2018年2月18日日曜日

『都市の類型学』(備忘録3)

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
で知られるマックス・ヴェーバーの、
唯一の都市論がこれ、
『都市の類型学』(1921)
です。
ジンメルの「大都市と精神生活」は1903年なので、
それよりはやや後で、
時代的には、シカゴ学派が注目される直前、
というところでしょう。
ただ、このヴェーバーの本は、
都市論の世界では、
たとえばジンメルほどは注目されていないようですが。

では、大雑把ですが備忘録。

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『都市の類型学』

主な分析対象:古代&中世の、ヨーロッパの都市

最重要ポイント:
中世の都市ゲマインデが、
近代資本制と近代国家の基礎となったという指摘。

「ゲマインデ」とは、一般に「共同体」のことだが、
ヴェーバーが言う真の「都市ゲマインデ」は、
以下の条件を満たすとされる。
・経済的な意味での「都市」
・(城壁などの)防御施設を持つ
・市場を持つ
・裁判所と法を持つ
・団体の性格を持つ
・自律性、つまり市民が参加する行政がある

→全部満たす都市は少数だった。
たとえば日本では、城壁がなかったわけで、
そもそも「都市」があったかどうか疑わしい。
大量現象としては、中世に、アルプス以北のヨーロッパにのみ見られた。
(めちゃめちゃ狭い!)

そして「都市ゲマインデ」は、古代にも中世にもあった。が、
近代資本制と近代国家が成長したのは、
中世の場合のみだった。どうして古代はだめだったのか?

その理由は;
古代の都市ゲマインデ:奴隷や外国人が経済活動。
           それをしない政治人による共同体。
           →身分的対立があった。
中世の都市ゲマインデ:経済人による、利益を守るための共同体。
           →(貧富の差はあっても)身分は同じ。

cf.「都市の空気は自由にする」~
中世ヨーロッパは、<領主ー農民>的な身分制度に覆われていたが、
都市ゲマインデは、そうした支配に対する、
自治と自由の空間として成立した。

        ★

中世の都市ゲマインデを母胎として、
近代資本制と近代国家は生まれた。
しかし、
いったん近代資本制と近代国家が成立すると、
都市ゲマインデは消失した。
それはなぜか?

その理由は;
中世の都市ゲマインデが、
その領域内に形成した「市民社会」というものは、
やがて近代国家に吸収され、
市民が担っていた経済活動も、
都市を越える「国民経済」として展開するようになったから。

        

都市 = 大聚落 ≠ 隣人団体(=住民は互いに見知っている)

時代も空間も越えて、
すべての都市に共通しているのは、
それが大聚落だということ。(←とても単純。でもその通り。)
そしてそれは隣人団体ではないので、
当然、住民相互の相識関係はない。(その通り。)

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最後の部分。
現代でもなお、都市の人間関係の希薄さが言われたりしますが、
ヴェーバーにならえば、
それこそが都市だということにもなるわけですね

「健全なアナログ志向を」

いつもいろいろ教えてもらっている、
われらが波戸岡先生のインタビューです。

http://www.meiji.net/it_science/vol174_keita-hatooka

異なるメディアのそれぞれの特質に敏感になるということ」。

かりにも「総合芸術系」で授業をしているわけですから、
これは心することにします。





2018年2月17日土曜日

L'Economie du couple

今日はオリンピックのニュースで盛り上がっていますが、
元将棋部としては、
藤井新六段の誕生にびっくりしています。
優勝すれば六段なのは知っていましたが、
まさか、名人を含むA級棋士に連勝するとは……。
もう、実力は八段なんでしょうか!?
怪物です。(←もちろん誉め言葉!)

で、今日は、
ベレニス・ベジョ&セドリック・カーン主演の、

L'Economie du couple (2016)

を見てみました。


15年ともに暮らしたカップル。
彼らには、可愛い双子の娘たちがいます。
(小学校2年くらい。)
でもこのカップルは、今、別れに直面しています。
映画は、
この二人のいがみあい、
口喧嘩、イライラ……
などを描いてゆきます。
画面の重さを救ってくれるのは、
もちろん可愛い娘たちなんですが、
ただ、なんというか、
主演のふたりの、
いわゆる「抑制のきいた演技」がとてもよくて、
たとえ喧嘩の場面でも、
不思議と見るのがイヤにはなりません。

別れの直接の引き金は、
必ずしもはっきりしません。
でも、女性のほうは、
この15年自分は働き、
家計のすべてを支払ってきた、と言います。
一方、あまり仕事のない建築家である男性は、
自分がかなり改装したからこそ、
このステキな家の価値が上がった、
だからその分はよこせ、と言います。
(彼は、借金取りに付きまとわれています。)
その金額が、なかなか折り合わず、
文無しの男性は、
出てゆくところもないのです……

音楽が、この映画の雰囲気をよく伝えています。
バッハです。


そして、喧嘩続きの映画の中で、
一度だけ、ふたりが、
かつて愛し合った時を思い出すシークエンスがあります。
それは娘たちが、
この曲に合わせて踊り出したのがきっかけでした。


そして、両親も加わって4人で踊るうち、
ふたりは、思い出すのです…… いい場面でした。

アルゼンチン系のベレニス・ベジョは、
ここでも何度か登場しています。



いい女優だと思います。

明日です

3月10日の、
『パリのすてきなおじさん』
のイベントについては、
すでにお知らせしましたが、
同じB&B で、明日行われるのが、これ。

小島ケイタニーラブ×めいりん×管啓次郎
「朗読劇 星の王子さま」


http://bookandbeer.com/event/20180218_le-petit-prince/

管さんの訳を使って、
オリジナルの曲も付けて。
『星の王子さま』ファンは、見逃せませんね!

2018年2月16日金曜日

『歴史の都市 明日の都市』(備忘録2)

修士論文発表会の後、
ふとパラパラと読み返してみて、
備忘録を書いておくことにしました。
ごく簡単なものですけど。

https://www.amazon.co.jp/歴史の都市明日の都市-ルイス・マンフォード/dp/4105093010/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1518787680&sr=1-2&keywords=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E9%83%BD%E5%B8%82+%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%81%AE%E9%83%BD%E5%B8%82

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『歴史の都市 明日の都市』(1961) ルイス・マンフォード

都市の起源から出発し、
古代・中世・ルネッサンス・バロック・近代・現代、まで、 
それぞれの時代の都市の様相がさまざまに示され、
さらに、(1961時点での)未来の都市についてまで話は及ぶ。
つまり、これは、
都市を巡る「大きな物語」、
都市の起源から未来までを、
1つの大きな物語とみなして語る本である。

その物語は、思い切り図式化すれば、

内爆発 → 外爆発 → 見えない都市

ということになる。

<内爆発>~都市の始まり
城壁内の、
王を中心とする、
古代の「ひとつの世界となった都市」のあり方のこと。
ばらばらに分散していた社会的諸機能が集められ、
1つの世界観・宇宙観にしたがって編制されること。
「王」はここで、
大量の人々を周囲の世界から引きつける「聖なる力」であり、
内爆発を生む触媒である。

<外爆発>
「人間の力の異常な技術的拡大」を果たし、
近現代の技術文明が、
世界的な規模で拡張してゆくこと。
その結果、
城壁は消え、
有機的に編制されていた社会的諸機能は解体される。
そして、巨大都市が生まれる。

<見えない都市>
「(多くの実際の面において)都市となった一つの世界」のこと。
(マクルーハンの「グローバル・ヴィレッジ」(1964)は、
この視点の直接の影響下にある。
この論議は、現代のサイバー都市論にも繋がりうる。)

ただし、
「大きな物語」は、
1979年に、リオタールによって否定された。
実際本書も、いわばヨーロッパ中心主義であり、
アジアやアフリカの都市には言及されていないのだから、
ほんとうは、
人類の都市の歴史全体をカヴァーする「大きな物語」とは言えない。
それでも本書には、
専門が分化した現代では忘れられがちな、
大きな問い(「都市とは何か?」等)がある。
その問いは本質的で、スルーすることはできない。

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なにしろ600ページ近い本なので、
すご~く大雑把ですが、
とりあえず備忘録でした。

銃乱射

アメリカでの銃乱射事件。
これはもう、アメリカの病そのものに見えます。
が、
いろんな人が指摘している通り、
銃はアメリカの建国神話の一部なので、
これを捨てることはなかなかできません。
(ライフル協会の利益、もあるでしょうが、
それは副次的なことがらなのでしょう。)

アメリカ映画を見ていると、
執拗にナショナル・アイデンティティーを確認しないではいられない、
という印象があります。
いつでも、
自分が誰なのか確かめていないと、
自分が誰だかわからなくなってしまうというか。
映画を通して確認し続ける行為に、需要があるというか。

アリゾナで成立した「オープン・キャリー」という法律は、
公共の場所での銃の携行を認めているそうです。
たとえばモールには、
そんな人がたくさんいるわけです。

そして1つ大事なことは、
トランプが大統領に就任して以降に起きたテロの犯人は、
白人系が最も多い、という事実です。
にもかかわらずそういう印象があまりないのは、
犯人が白人の場合、「テロ」という表現を避ける傾向があるから。
そして犯人が中東系の場合には、
躊躇なく「テロ」という語が使われるという事実。
これをバイアスといわず、
何をバイアスというのでしょう?

2018年2月15日木曜日

Paris pieds nus

タイトルに惹かれて見てみたのは、

Paris pieds nus(2016)

です。
これは、『ロスト・イン・パリ』という邦題で、
去年の夏に公開されています。
(わたしはDVDで見ました。)

https://www.youtube.com/watch?v=SQNkvmh2beg

一言で言えば、
ファンタジックなコメディー、なんですが、
不思議に飽きるところがなくて、
おもしろく見ました。
しばしばチャップリンと比較されるそうですが、
たしかに、思い出します。

ある日、
カナダの雪深い町で司書をしているフィオナのもとに、
1通の手紙が届きます。
もう半世紀も前にパリに行った伯母、マルタから、
助けて、というメッセージ。
ずっとパリに行ってみたかったフィオナは、
ついに旅立ちます。
が、
宛所にマルタはおらず、
あちこち探すうちトラブルに巻き込まれます。
そんな中知り合うのが、
ホームレスのドムです。
2人はともにマルタを探し始めるのですが……
というお話。

主演のフィオナとドムを演じるのは、
アベル&ゴードン(Abel & Gordon)。
2人は、監督・脚本もつとめています。
本業は道化師なだけあって、
動きがシャープです。
(実年齢は、還暦です。)
そしてマルタを演じるのが、
あの『24時間の情事』で知られるエマニュエル・リヴァ。
彼女にとっては、これが遺作となりました。

それにしてもこの監督たちは律儀で、
いわゆる「伏線の回収」率がすごいです。
ほとんどそれが、物語を引っ張っている感じさえします。
で、トータルとしてはとても感じよかったのですが、
気になったこともあります。
まず、マルタの住んでいるのが、
おそらくサン・ジェルマン・デ・プレ教会のすぐ裏あたりで、
こんな家賃の高いところに住める理由が、
いまいち分かりませんでした。
また、ドムが暮らすテントが、
「白鳥の小島」の北端、
つまり自由の女神のふもとなのですが、
あの辺ならむしろ、
橋の下に住むんじゃ? と、
思ってしまいました。
そしてなぜ、
こんな一見つまらないことを言うのかと言えば、
タイトルに「パリ」と入るからには、
たとえファンタジーでも、
やはりパリの構造(と言えるかな?)は、
無視しないでほしかったからです。
でも、繰り返しますが、
たしかにおもしろい映画でした。

ちなみに、
「白鳥の小島」が登場する映画と言って真っ先に思い出すのは、
これ。

https://www.jiji.com/jc/v4?id=hssfranse-003-16060001

また、ベルモンドのこれにも出てきてました。

http://tomo-524.blogspot.jp/2013/06/peur-sur-la-ville.html

音楽はショスタコのこれ。

https://www.youtube.com/watch?v=3tGOFEgDzug

そして『24時間の情事』の原作小説は、

https://www.amazon.co.jp/ヒロシマ私の恋人-ちくま文庫-マルグリット-デュラス/dp/4480024352/ref=pd_cp_14_2?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=XEGN1DGK01VGB044HJFK

です。

「Toc ! Toc ! フランス語ワールド」

たまたまネット上で見かけた修士論文。
指導教授は、西山教行先生。
題して、
「NHK テレビフランス語講座における「文化」の分析 」。

http://www.flae.h.kyoto-u.ac.jp/2017_Uozumi_master.pdf#search=%27%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%81+%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0+%E6%B8%85%E5%B2%A1%27

嬉しかったのは、
p.24で、
「Toc ! Toc ! フランス語ワールド」
を取り上げてくれたこと。
これは、ぜひやりたかったことの一つで、
ディレクターのKさんやOさんも同じ意見でした。

実は、ラジオのほうでも、
「今週の一曲」というコーナーで、
音楽を通して同じ趣旨のコーナーを作ったのですが、
これは、
著作権がらみでCDには収録できず、再放送時もカットされたので、
ほとんど幻のコーナーとなってしまいましたが、
わたしは気合が入っていました。
(ある時、音楽評論家で尊敬する北中正和さんにお目にかかった時、
このコーナーのことをご存じだったので、
かなり嬉しかった記憶があります。)

古い話で恐縮です!

2018年2月14日水曜日

論文と水餃子

というわけで、
修士論文発表会も、本日無事終了し、
2月5日から始まった、
1年で1番慌しい10日間が終わりました。
風邪にもインフルにもならず、
なんとか大過なく過ごせてよかったです。

今日の発表会は、
中野キャンパスで行われたのですが、
ランチは、水餃子を贔屓にしている珉珉で。
(まあ本当は、もっと皮がしっかりしていて、
スープに浸かっていないタイプのほうが、好みなんですが。)
で、
論文発表の後の、お疲れさま会が……ふたたび珉珉!
ホール係の(台湾出身の?)お姉さんには、
また来ました!
とご挨拶。
でも今度は総勢8人で、
いろいろ注文できたので、
それはそれで楽しかったです。
(もちろん水餃子も頼みましたけど!)

2018年2月12日月曜日

読み終えて

というわけで、
修士論文を読み終わりました。
写真論や映画論たちです。
みんなそれぞれにおもしろかったです。
特に、都市論を写真論を結び付けたものは、
興味がわきましたが、
都市論というのは、
それだけでも先行研究が膨大なので、
それを押さえきるというのは、
簡単ではありません……

そして写真論も映画論も、
どちらも映像が問題になっているわけですが、
論文でそれを扱うとなると、
やっぱり文章力が必要なんだなあと、
再認識しました。

みんなまだまだまだ若いので、
これからも挑戦していってほしいです。


2018年2月9日金曜日

the longest week

金曜日になりました。
実は今週は、
1年で1番大学業務の多い週で、
風邪をひいたりするとまずいので、
ちょっと緊張しましたが、
なんとか金曜までこぎつけられて、
一安心しています。
そしてさらに来週も、
この感じが続く予定なんですが、
これは週の半ばまで。
なんとか乗りきりたいと思っています。

今、開会式を見ていました。
派手過ぎず、好感が持てました。
南北統一という課題が、
この式典を独特なものにしていたと思います。
(ワールド映画ゼミで、
『国際市場で逢いましょう』を見ておいて、
良かったと思いました。
学生たちにとっては、
あれを見ているのといないのとでは、
やはり感じ方が違いだろうと思いました。)

土日は、
学生たちの修士論文を読む予定です!

2018年2月6日火曜日

MFFF、1番よかった長編作品は……

というわけで、
MFFFの長編映画は、
(一応)見終わりました。
(『ピガール広場』はすでに見ました。

http://tomo-524.blogspot.jp/2017/12/les-derniers-parisiens.html

Dans la forêt は、ホラーらしいので、
わたしはパスします。)

で、今回見た10 本の中では、わたしは、

『アヴァ』

が圧倒的によかったです。
次によかったのは、
『スワッガー』『婚礼』『クラッシュ・テスト』『1:54』
の4作。
その次によかったのが、
『Willy N.1』『夏が終わる前に』
の2本。
ここまでは、おもしろかったです。

そしてイマイチだったのが、
『ジャングルの掟』『ヴィクトリア』『Rock'n Roll』
の3本。
前2作は、好きな女優が出ているのに、
残念でした。

こうして見ると、
有名俳優が出演している作品は、
あまりいいと思えなかったことになりますが、
もちろんそれは結果に過ぎません。
Vimala Pons Je suis à vous tout de suite などは、
とても好きな作品です。

http://tomo-524.blogspot.jp/2016/08/je-suis-vous-tout-de-suite.html

それにしてもMFFF、
これで1000円ちょっとですから、
150%もとをとりました。
しかも、ふだん選ばないタイプの映画も見ることになるので、
なかなか新鮮でした。
次回も楽しみです!

Rock’n Roll

MFFF 10本目は、

Rock'n Roll

です。

https://www.youtube.com/watch?v=QzDAsbOSuy0

ギヨーム・カネ、43 歳。
幸せに満ちた人生を送っていると思っていた。
パートナーのマリ オンと息子、愛する家族との生活、
自然に囲まれた田舎の別荘、馬…。
すべてが 「ダサい 男」のイメージにつながっているらしい。
なんとかしようと意を決したギヨームは、
自分が まだまだ「イケてる」ことを証明しようと、
あきれ顔の周囲の心配をよそに、
あらゆるこ とに「挑戦」するが…。
私生活でもパートナーであるギヨーム・カネとマリオン・コティヤ ールが
本人役で共演」

ギヨーム・カネの監督・主演ですから、
彼の作品と言っていいでしょう。
いわゆる「中年の危機」もので、
上の紹介だと、「ダサい男」を脱するために、
と読めますが、ポイントは、年齢、
つまり、若さの喪失です。
自分が、若い女の子たちの「対象」から除外されていることを知り、
いやそんなはずはない、
そんなはずじゃなかった、
今からでも取り返すぞ!
と張り切るお話です。

序盤はテンポよく、
自虐ネタを連発しながら、好調に進みます。が、
中盤はやや重く、
その後はややブラックな様相を呈し、
終盤は、ブラックではなかったことを示す展開です。
(いや、ここまで全体がブラックのつもりかも??)

そして実はパートナーのマリオンにも、
ややしつこい感じの性格設定がなされていて、
虚実の間の境界線を見えなくする、
という意味では成功しているのでしょうが、
そもそもの問題は、
この結末で解決されたことになるんでしょうか?
そうは感じませんでした。

わたしは一般に、
小説家が主人公の小説、
俳優や演出家が主役の芝居、
やはり俳優や監督が主役の映画に対して、
あまりいい印象がありません。
これらは概して、
内向きで、仲間受けで、
(たとえ自虐という形であっても)自己愛的になりがちだからです。
今回も、
ややその嫌いがあったように思いました。

*間違っているかもしれませんが……
ある場面で、あるアメリカ人が、
ギヨーム・カネのことを指して、
Froggy
という言葉を使っているように聞こえました。
これは、軽蔑的に「フランス人」を表す英語です。
日本語字幕では「フランス人」となってましたが、
自虐とはいえ、一瞬驚きました。

2018年2月3日土曜日

『1:54』

MFFF 9本目は、

『1:54』

を見てみました。

「ティム、16 歳。
社交的ではないが、優秀で、素晴らしい身体能力の持ち主だ。
学校でさまざまな嫌がらせを受け、
親友を失う事態に至ったティムは、
いじめのリーダー、ジェフに打ち勝って、
陸上の全国大会に出場することを目標にするが、
いじめグループからのプレッシャーや脅しは日に日に増していく」

https://www.youtube.com/watch?v=EJFDFJLzcyg

これはカナダ・ケベックを舞台にした映画で、
Yan England という監督にとっては、
最初の長編映画だとあります。
それにしてもこの映画、
観客を引き付ける力がすごい。
物語の中にどんどん引き込まれます。
上の紹介記事には、
途中から「スポーツもの」になっていくかのような印象を与えますが、
それはいい意味で裏切られます。
また、上ではただ「親友を失う」と書かれていますが、

******以下、ほんの少しネタばれます************

実はこの「親友」は、
ゲイなんです。
そして主人公のティムもまた。

まったく無駄を感じさせない、
緊張感が持続する映画でした。
ただ、この映画について何かを書くと、
みんなネタバレになってしまうので、
書くのがためらわれるんですが、
1つだけ。
弱さ、ずるさ、身勝手さなどを描かなければ、
人間を描くことはできないわけですが、
この監督は、頭ではなく、内臓において、
それを知っているのだろうと感じました。

*1か所、日本語字幕が間違っているようです。
壁に貼られた2012年の新聞があるのですが、
その見出しの訳です。
1位と2位の人物が、逆だと思われます。
(2011年ではなく、2012年のほう。)

*ジェニファーを演じているソフィー・ネリスは、
かつて『ぼくたちのムッシュ・ラザール』(Monsieur Lazhar)にも
出ていました。

*主人公ティムのファミリー・ネームは「フォルタン」。
これって、学生時代に教わった、
カナダ人の先生の名前と同じ。
で、ちょっと調べてみたら、
この Fortin という名前は、
「ケベックで多い名前」の第9位でした。

www.stat.gouv.qc.ca/statistiques/population-demographie/caracteristiques/noms_famille_1000.htm

知りませんでした!

2018年2月2日金曜日

『ヴィクトリア』

MFFF 8本目は、

『ヴィクトリア』

です。

https://www.youtube.com/watch?v=j2-gPz3cT6E

主演はヴィルジニ・エフィラ。
彼女が、あけっぴろげで、感情豊かで、
さばさばした「いい女」という、いつものキャラを演じますが、
今回の役どころは弁護士です。

まあ、ここまで見てきたMFFF の8本の映画の中では、
もっとも「特に言うことがない」作品で、
要は、ヴィルジニの「可愛さ」をさまざまに描くことだけ、
を考えて作られたのだと感じられます。
とはいえ、
わたしもヴィルジニは嫌いじゃないんですが、
やっぱり、彼女の魅力をスクリーンいっぱいに広げるには、
作品自体の質を高めることのほうを、
もっと考えるべきじゃなかったかと思うのでした。

彼女の映画なら、こっちのほうがよかったです。

http://tomo-524.blogspot.jp/2017/02/un-homme-la-hauteur.html

この映画は、おとなの恋の測り方』というタイトルで、
日本でも公開されました。

また、こんなのもありました。

http://tomo-524.blogspot.jp/2016/08/et-ta-soeur.html

1つだけ。
先日見てとてもよかった『アヴァ』で、
アヴァのお母さん役を好演していたLaure Calamy が、
ヴィルジニの同僚弁護士として出演していました。

『スワッガー』

MFFF 7本目は、

『スワッガー』

です。
これは英語で、「いばって歩く人」のことです。

https://www.myfrenchfilmfestival.com/ja/movie?movie=41602

https://www.youtube.com/watch?v=YDY4xNSt5mo

舞台は、パリの北東の隣り合う2つの街、
Aulnay と Sevran です。
登場するのは、
そこにある中学校(Collège Claude Debussy)生徒たち11人です。
というわけでこの映画は、
「ドキュメンタリー」なんですが、
ちょいちょいフィクション的な要素も挿入されます。

11人は、アフリカ系の子が多くて、
セネガル、コートジヴォワール、ベナン、などが出てきます。
それ以外には、インドのポンディシェリ出身の子も、
白人の女子もいます。

中で1番目立つのは、
やはりアフリカ系で、ちょっと太めで、
すごくおしゃれな男の子、レジスでしょうか。
お母さんとオバマが大好きな彼は、
意外にもケンカも強くて、
(自分から仕掛けたりしない子ですが、)
将来はファッション関係の仕事に就き、
マドレーヌ寺院の近くに住みたいと言います。

インド人のポールは、
なぜかスーツを着るのが好き。
病気のお父さんは、薬が切れると、
彼を叩くこともあります。

アフリカ系のアスタンは、
とても活発な印象の女の子で、
やや胸元が広くあいたTシャツを着ていますが、
コーランもよく読むと言います。
アフリカの、人と人の距離が近い生活が懐かしいし、
おばあちゃんにも会いたい。
でも、アフリカの友だちからは、
あんたはラッキーだって言われるし、
「フランス人」でいられるのは、嬉しい……

画面はきれいだし、
こどもたちはそれぞれ個性的で、
パリ郊外的な問題ももちろんありますが、
思春期の少年少女の、
普遍的な問題も抱えているのね、と、
再認識させられます。

当然、『パリ20区、僕たちのクラス』との比較になりますが、
それぞれに面白かったと思います。

『近代都市』(備忘録1)- b

前回の続きですが、その前に、1つ確認。
産業革命(R.I.)は、
18世紀の後半にイギリスで始まったわけですが、
でもなぜ、その時期のイギリスだったのか、というのは、
なかなか難しい問題のようです。
で、諸説あるわけですが、
(『欲望の資本主義』によると)
有力なのは、
その頃のイギリスは、(さまざまな理由が重なり、結果として、)
人件費がヨーロッパで1番高かったから、
という説だそうです。
つまり、人件費を抑えるためにこそ、
技術革新が求められ、
当然、その効果が一番発揮されるのが、
イギリスだということになるわけです。
なるほどね。

では、つづきです。

*******************************************

19世紀における、都市の「批評的」考察は、
以下の3種類があると考えられるようです。

① régularisation  ・全体サーキュレーション(交通)
 (整序化)   ・オープンスペース(公衆衛生) 

 ★資本家=企業家的論理 

②pré-urbanisme  i ) 急進派 ~進歩主義、未来志向的 
          (後に→ル・コルビュジエ、バウハウス、CIAMへ)
         ii) 文化派 ~退行的、過去志向的
          (W. モリスはここに入る)

 ★思想家たちの、理論的・理想的なプラン

③urbanisme ・都市に新たな秩序と意味を与える試み

 ★都市計画の専門家による

これらは、
都市が「全体的で包括的な意味」を失った後に、
都市とはなにか、という意識から出てきた考察でした。
が、
①の整序化は、結局、そうした都市の状況をさらに悪化させた、
つまり都市は、意味や記号(のシステム)として、
より不毛なものとなってしまいました。
というのも、そもそも「整序化」は、
いわば対症療法であり、
意味自体を取り戻そうとは考えていなかったからです。
せっかくのオープンスペースも、
古い公園のような意味を持てず、
単なる「緑地」でしかなかったのです。

②の「急進派」は、
後にル・コルビュジエなどに引き継がれていくことからも分かる通り、
産業社会という新しい社会にふさわしい、
秩序や意味を求めていました。
「来るべき未来」を先取りしようとしていたのです。
それに対し「文化派」は、ノスタルジックで、
失われた過去を取り戻す、ことを目指していました。
ショエは、モリスらに対して、厳しい言葉を書いています。
R.I. という、「不可逆的な」変化が理解できなかった、
というわけです。

そしてこの②の2つの「批評的」考察を受ける形で、
③の都市計画が生まれてくるわけです。

そして、上の①~③に共通する点として、
ショエは以下の3点を指摘します。

1)都市に対する批評的な、反省的な思考だった。
2)他の社会的システムがもたらす意味と切り離された結果、
  都市空間自体が、価値を持つものとして認識されている。
  また、
  都市計画は、その背後に「理論」を持つ。つまり、
  都市計画は、自己を正当化・実体化する「メタ言説」を持つ。
3)都市計画は、自然科学的なモデル(「有機体」「循環」など)を
  使うようになる。

この中では、2)の指摘がおもしろいですね。
(現代アートみたい?)
これは言い換えれば、
都市は、自身の現実を批評する言説を内包している、
ということにもなるのでしょう。

急進派のモデルは、
ル・コルビュジエやバウハウスを経て、
現代の未来的な都市モデルに繋がってゆきます。
文化派のモデルは、
街並み保存、遺跡を組み込んだ再開発、さらには、
(チャールズ皇太子の)「アーバン・ヴィレッジ」などにも繋がってゆきます。
またこの両者の「時間性」は、
ちょうど逆向きのヴェクトルを示していて、
それはつまり、「現在」における、
意味の不毛化を克服しようとすることなのだろう、
とショエは言うのです……。

というわけで、
薄い本なのに、けっこうムズイのでした。
でもたしかに、
彼女の授業に出てみたかったですね。

2018年2月1日木曜日

『近代都市』(備忘録1)- a

Françoise Choay(フランソワーズ・ショエ)は、
1925年生まれのフランス人で、
以前はパリ大学の先生だった人です。
専門は、都市史、と言えばいいのでしょうか。

著作の多くはフランス語で書かれていますが、
小数、英語のものもあるようで、
その1つが、かつて日本でも翻訳されました。

『近代都市―19世紀のプランニング』(1969)

薄い本なんですが、中身は濃いです。
全然まとまってないんですが、
備忘録として、メモします。

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まず、現在でもよく使われる「都市計画」という語、
これの出発点は、スペイン人のセルダが1867年に使った、
urbanizacion でした。
もちろん、都市計画的な試みは、
何千年も前からあったわけですが、
19世紀の後半になってやっと、
この言葉が生まれたといいます。
(ちなみに日本では、1919以の「都市計画法」以降。)
これは何を意味しているのか?

時代を画したのは、産業革命(R.I.)です。
それ以前、特に中世において、
都市は、
「あらゆる社会システム(政治権力・学問・経済・宗教)と関連づけられ」ていて、
「全体的で包括的な意味のシステム」だったと言います。
ところが、R.I.が、
都市からこうした意味の文脈を奪い、
これを解体します。その原因は、以下の3つ。

①強烈な経済優先主義
②都市の意味付けと無縁な、(農村からの)移住者の侵入
③コミュニケーション手段の開発

そして、意味が無効となってしまった都市においては、
都市はどうあるべきか」という問題を、
考え直さねばなりません。
つまり、R.I. 以降、
都市についての「批評的な」が考察が生まれてくるのです。
そして、その流れの中で、
urbanizacion というスペイン語が生まれるわけです。

<つづく>

銀鱈、幽庵焼き

今日(というか、もう昨日ですが)は、
午前中、駿河台で会議があり、
午後は白水社で打ち合わせ、という1日でした。
そしてその境目で、ランチをしたわけですが、
なかなかおいしい和食でした。
細い路地にある、面(おもて)という店です。
(この路地には、牡丹亭という牛タンの店もあり、
こちらもおいしいと思います。)

ランチは、銀鱈と、きんぴらと、青菜と、茶わん蒸しと味噌汁&ごはん。
で、デザートにプチお汁粉、だったんですが、
みんなおいしかったです。
聞けば、銀鱈は、
下ごしらえとして、
醤油、みりん、酒、を1:1:1で混ぜたものに、
2時間ほど漬け込むのだそうです。
(で、焼いて、漬け汁を少し煮詰め、
かけて、大根おろしを添える。
これって、幽庵焼き、ですね。)
きんぴらも、食べなれたしっとり系ではなく、
とてもシャキシャキ。
細く切って、炒め時間を短くするとのこと。
なるほどね~。

そして夜は、月食。
よく見えました。
やっぱり、壮大ですね。