2008年5月24日土曜日

<東京詩>ゼミ・1


今週の「<東京>詩」ゼミでは、吉川君がBump of chicken の3曲を使って発表をしてくれました。Bumpのことはよく知らなかったので、勉強させてもらいました。Merci !

ゼミ生の1人に、わたし同様、Bump初心者の学生がいました。彼女いわく、

マジメなんですね、Bumpって。

まあね、彼女が好きなDJ.Ozma と比べたら、たいていのミュージシャンはまじめです!(と彼女には言いませんでしたけど。)ただ、たしかに彼女の言うこともわかるのです。ほとんど初めて聞いたBumpは、ほとんど往年のフォークソングでした。だって、上京しようとする「わたし」は、鞄に物語を詰め込んで、自分なりの切符を買って、夢の置き場所を守ってるんですぜ、ダンナ、これがフォークでなくってなんでしょう? この21世紀の青春も、たとえば「神田川」の、たとえば「傘がない」の青春と、地続きの場所で繰り広げられている気がします。

ゼミではこのあと、「上京者」の意識が話題になっていったのですが、今は違うことを書きます。

昔、「傘がない」が好きでした。都会では自殺する若者が増えているけれど、自分の問題はそれじゃない、君に会いに行きたいのに傘がないことなんだ、という歌でした。甘く、切ないなあ、と思ったものです。が、やがて、(主にロックとの出会いを通して)こう思うようになりました、傘がないなら、濡れていけばいいじゃん! と。

Bumpのことはよく知らないので、いい加減なことはいえません。ただ、今Jpopと呼ばれている音楽には、まだ「傘がない」ことを気にしているものがある気がします。その悲しみ(?)を美化することで、ある種のカタルシスを得ているような…… そんなとき、おじさんはいつも思うのです、そんなことはいいんだ、走り出せよ! (と、最後は自分がフォーク風になるという、自家撞着で終わります!)