2008年11月20日木曜日

ばちあたり


  罰当りは生きている                          岡本潤


あなたは一人息子を「えらい人」に成らせたかった
「えらい人」に成らせるには学問をさせなければならなかった
学問をさせるには金の要る世の中で
肉体よりほかに売るものをもたないあなたは何を売らねばならなかったか
だのにその子は不良で学校を嫌った
命令と服従の関係がわからなかった
先生の有難味というものがわからなかった
強いられることには何でも背を向けた
学校へは上級生と喧嘩しに行くのであった
一から十まであなたに逆らう手のつけられない「罰当り」だった
その子はあなたを殴りさえした
――その時その子が物陰で泣いていたことをあなたは知っていますか
それでもあなたはその因果な罰当りを天地に代えて愛さずにいられなかった

学校を追われた不良児は当然社会の不良になった
社会の不良は「えらい人」が何より嫌いでそいつらに果し状をつきつけた
「善良な社会の風習」に断乎として反抗した
その罰当りがここに生きている
正義とは何かを摑んで自分を曲げずに生き抜こうとする叛逆者の仲間に加わって
警察へひっぱられたり あっちこっち渡り歩いたり
飢えて死んでも負けるかと云って生き通している


お母さん!
あなたが死んで十年
だがあなたの腹から出てあなたを蹴った罰当りの一人息子は此の世に頑然と生きています


                    ◇

もっと優しい詩を紹介するつもりだったのですが、岡本潤なら、やっぱりこれかな……。この詩、何度読んでも、ぐっときます。わたしは社会主義者ではないけれど、岡本潤の作品には、シンパシーを感じるものがいくつもあります。

岡本よりはるかに若いランボーは、すでに、「ぼくは正義に対して武装した。Je me suis armé contre la justice.」と書きました。「正義」は、時に悲惨の生みの親であるのですから、「武装」する必要がありますね。でも岡本はそうしなかった。彼の「正義」は、「善良な」ものではなかったけれど、それもまた「正義」ではあるのでしょう。ランボーなら、「武装した」はずです。

このことは、詩にある種の「悔恨」を付け加える気がします。岡本さん、あなたは武装しようと思わなかったんですか? 「正義」が危ういことぐらい、気づかないはずないのに……。でもそれでは、「岡本潤」ではなくなってしまいますが……。

日本の、ほとんど知れらていない詩人の作品の中にも、いいものが残っていますね。