2009年3月29日日曜日

光合成の木




昨日「花輪」のことを書きました。が、考えてみると、これってなかなか深いのかも、という気がしてきました。

普段花輪に接する機会と言えば、これはパチンコ屋の開店(!)と、お葬式くらいでしょうか。でも、たとえこの2つだけで考えても、花輪は「祝い」と「弔い」の両方に対応していることになります。とすると、「名も無き東京人のための花輪」は、「名も無き東京人」を祝福し、かつ弔うものだということになりますね。

でも…… これは考えてみれば、花輪というより、「花」そのものの役割なのかもしれません。原人の墓からも、花粉が見つかるっていいますし、もちろん祝い事に花は欠かせません。とすると「輪」のほうは…… これはいつからあるものか調べてませんけど、とにかく一つの文化的形式なのでしょう。面白いですねえ。


で、もう一人、昨日は触れなかった平川滋子という作家の作品「光合成の木」も、印象的でした。フリスビーに似た白い円盤、これが実は、紫外線を感じると紫に変わるという代物なのですが、これが大量に、美術館前の大きな樹に括りつけられているのです。円盤の色は、昨日、不規則な紫のグラデーションを描いていました。そして天気が変われば、当然「光合成の木」の表情も変わるわけですね。オモシロイ!

で、実はわたしも、この円盤(サイン入り)を一枚持っています。展覧の最後に、800円で売ってたんです! 喜んですぐ試してみたら、ちゃ~んと紫になりました。