2009年7月7日火曜日

長きもの


一週間ほど前のことだが、総文の研究室が並ぶA館5階の突き当りにある資料室である論文を読んでいると、ルナールの「蛇」ほどは長くないにしても、昨今のブログ風の文体と比べれば異様に長いといってもいい文と出会った。

資料室というのは、実質「談話室」、なんなら「井戸端」と古風にいってみてもいいような場所であり、その時もわたしの周りには数人の同僚教員が陣取っていたので、わたしは試しに、やたらに「、」が多い割には、その登場のタイミングが少なくともわたしの読む時の呼吸とは相容れない「山鳥の尾」のような文を読んで聞かせた。どうですかわたしはいくらなんでも長いように思うんですけど、と言い添えて。

う~ん、と言う同僚たちの中でただ一人、中国語の達人(というか、なんと日本人に間違えられるという)林先生が、そんなに長い文が似合うのは金井美恵子以外にいないのではないか、と冗談半分に言った時、わたしは一瞬とまどったが、金井の文章のリズムが体のどこかでよみがえった瞬間、なるほどこの「尾」はぎごちない金井風だと言えるのだと思った。

わたしは金井のいい読者ではないが、たとえば雑誌に彼女の名があれば、それはやはりデザートのようにとっておき、その雑誌の締めくくりに読んだりする程度には好きなのである。ただ、金井の文章について誰かとしゃべった記憶がないので、意外なところで林さんの口から出たその名に、たじろいだというのとはちがうが、たしかに一瞬思考停止のような感覚に襲われたのだった。

長い文と言えば、これはやはりプルーストのことが思い出され、するとどうしても、学生時代に読まされたあの入り子が渦巻くような文章が、あの時の教室の雰囲気と一緒によみがえり、ついでに、今は日本を代表する通訳になったF さんと、パリで 1度だけご一緒させて頂いたレストランの名前が「失われた時」だったなどという、愚にもつかないことも思い出されてくる。

となると話はあの大河小説(というのとは少しちがうが)のほうに行くかと思えば、わたしがここで書きたいのは、今日のフランス映画ゼミで見た「地上5センチの恋心」という映画についてなのである。

なぜここに繋がるかと言えば、それはこの映画の原題が Odette Toulemonde という女性主人公の名前そのものであり、オデットは「失われた時」の欠くべからざる人物であるからなのだが、そんなことより、むしろこの邦題のほうが問題なのではないか、と思われる方も多いだろう。結果として、この邦題は悪くない、と一応は言えるとわたしは思うのだが、映画を見てみれば誰でも気づく通り、実際は「5センチ」でも50センチでもなく、それは明らかに5メートル以上なのであった……

というわけで、本日は「金井」風で失礼いたしました!