2009年7月13日月曜日

良寛


唐突ですが、「近代」っていつから始まったんでしょう? 明治から? 電車が走り始めてから? 参政権が平等なものになってから? 

それはもちろん、なにをもって「近代」とするかによるわけですね。で、たとえばそれが電車とともに始まったというなら、電車は何を可能にし、そうして可能になったものは「近代」にどんな性格を与えているのか、まで言わないと、あまり意味がないかもしれません。

ただそれは逆に言えば、色んな意味付けを与えられた、色んな「近代」があり得るということでもあるようです。

さあ、なぜ急にこんな話なんでしょう? 昨日キリスト教の話が出たので、これはまたまた、先日 i-pod で聞いた吉本の講演を思い出してしまったわけです。で、ノートに整理する代わり、ここでちょっと整理しちゃおうというコンタンです!

今回の主人公は良寛(1758-1831)です。明治まであとちょっと、という時代ですね。

良寛については、たくさん本も出ています。だから詳しいことは措くとして(あるいは wiki に譲るとして)、ひとつポイントは、彼が若い頃、数年間禅の修行をして、結局挫折してしまったという事実です。

仏教は、一つには<宇宙>と自己との合一を目指す、と言ってもいいのでしょう。その境地に至れば、この世の辛さやら悲しみやらとは無縁になれる、と。そしてそれを、禅という肉体の修練を通して目指していく、ということなのでしょう。


とはいえ、その境地は、言ってしまえば「無機質との合一」以外ではない、ということになってしまいます。まあね、生きていれば、もう、ね。

で、その道を辿ろうとして挫折した良寛は、いわば文学に向かいます。(一般的には、自然や、無邪気な子供たちのほうへ近づいた、ということになるのでしょうか。)そして晩年、良寛は一つの詩を書き、そこで、今自分は夜の床に居て、下の世話さえできないでいる、早く夜が明けて、世話をしてくれる彼女が来てくれないか…… と書きます。

ここにあるのは、「苦」です。「苦」が、詩の対象となっている、と言えそうです。でもこれは…… 禅が理想とした境地とは、まるで正反対の地点です。つまり、こうしたことを書くこと自体、良寛にとっては、挫折の生き直しでさえあるかもしれないわけです。ここには、肉体の「苦」と二重になった、精神の「苦」もあるのでしょう。

しかし、しかしです。

「苦」を対象とする詩は、江戸期に書かれていたのでしょうか? これはむしろ、明治以降、新体詩以降の詩のあり方ではないでしょうか? そんな風に考えることができ、もし本当にそうだとするなら、この良寛の晩年には、一つの「近代」を見てとることができそうです。彼自身にとっては二重の「苦」であった詩を、それでも良寛は書かずにいられなかった。彼の「目」が、それを見ていた。つまりこの「目」には、「近代」の萌芽が潜んでいるのではないか?

……とまあ、こんなお話なんです。(ただし、正確にこのままではありません。わたしが、自分に分かりやすいように変えてしまったところもあります。)

ほんとに、吉本さんには感心しちゃいます。こんな面白い話を、いくつもしちゃうんですから……