2009年8月21日金曜日


まあこういうこともあるのね~、と思ったのが、ついさっき。何の気なしに、古本の検索を次々に試していたのですが、もう1年以上出なかったある本が、ついにありました! 大正14年発行なので、半分以上あきらめていたのですが、ラッキーでした。到着が楽しみです。

ここまで書いたので書名も書きますね。それは、『鳶色の月』(梶浦正之)です。すご~くマイナーな詩人です。なにしろ、明治大学図書館にさえ1冊もありません。東京では、法政の図書館にありました。……というくらいマイナー。で、3500円でした。高いのか、安いのか? まあ買える値段でよかったです。

それで思い出しましたが、買えない値段の欲しい本の代表が、黒田三郎の『小さなユリと』です。この本に収められた詩は、他の本(思潮社文庫とか、全詩集とか)でも読めるのですが、オリジナルは、美しい挿画が入っています。これがね、状態にもよりますが、たいてい5~7万! します。これじゃ買えないです(涙)。

いつからか(というか、だいたい30年くらい前から)、本が大量生産大量消費される時代に入った、と言われます。本が読み捨てられる時代、というわけです。個人的には、そういう流れには抵抗があります。が、(たしか金井美恵子が書いていたのですが)読んで捨てられるなら、それは幸福なこと、なぜなら、返本&裁断の憂き目にあう本も多いのだから、という(書き手からの)意見も読んだことがあります。たしかにね、とりあえず読んでもらえたら、一応幸福だと考えるべきなのかもしれません。

でへんな連想ですが、面白い本というのは、こちらに何かを考えさえる本だ、何が書いてあるにせよ、考えさせない本は面白くない、という見方を読んだこともあります。たしかにね。

で、そういう面白い本は、手元に置いておきたい気もするし、考えた時点で、もう自分の一部になったとも言えるし…… Qu'en pensez-vous ?(どう思いますか?)