2011年8月31日水曜日

J'❤ Barbès !


ご無沙汰です!
さきほど無事東京に戻りました。
(実は、途中でホテルを移ったのですが、
移った先ではネットが悪く、更新できずすみませんでした。)

今回の旅行は、
予定していた場所はすべて訪れることができ、
さらに、現地で出会ったものを追うこともできたりして、
120点のデキでした。
ルーブルもオルセも凱旋門もサン・ジェルマン・デ・プレも行きませんでしたが、
やっぱりパリはいいですね。

結局わたしが好きなのは、バルベスなのかもしれません。
最初に挙げた写真は、たまたま通りかかった結婚式祝いの場面です。
ドゥジャン通りが爆発していました。

また明日から、少し紹介させて頂きます。

2011年8月26日金曜日

Bobigny

今日はついに、
あの『アイシャ』の舞台となったボビニーまで足を伸ばしました。
といってもメトロの終点。
そんなには伸ばしてません。

ボビニーでは、「なにもない」ことを確認したかったのですが、
見事になにもありませんでした。
いやもちろん、大きなショッピング・モールがあり、
一軒家の続く住宅街があり、
新しい開発も進んでいるのですが、それでも、
立ち並ぶHLMの殺風景さが、
このボビニーという町の核でしょう。

見つけたかった小広場もみつかり、
その一隅にあるお菓子屋さんの主人とも話しました。
彼はアルジェリア人で、『アイシャ』のことももちろん知っていました。

午後は、ラ・シャペル駅南側に広がるインド街を。
北側にあるヒンドゥーの寺院(といってもアパルトマンの一室)も訪問。
この寺、名前はテンプル・ガネーシャ。
そうです、あの象の神様が祭られているのです。

そしてついでにサクレ・クールもひやかし、
そのままホテルまで、ぶらぶら3時間ほど歩いて帰りました。
歩くのにちょうどいい気候で、
特に見るべきものはないけれど寄りたかった場所なども通り、
楽しい、気持ちのいい散歩でした。

2011年8月25日木曜日

Bruxelles

今日は1日、ブリュッセルで過ごしてきました。
わたしは初めてでしたが、
なかなかラブリーな街♥でした。

パリからだと約85分。あっという間に到着。
グラン・プラスという大きな広場を中心に、
たくさんのきれいなお店が軒を連ね、
観光客もわんさかいます。

でもそこから少し離れた、
ジモティーたちの多い通りを歩くと、
行き交う人たちの多様さは、
パリにまったく引けをとりません。
パリに比べるとはるかに小さな街なので、
むしろこういう場所には、
密度の高い多様性が現れるのかもしれません。

アフリカ系の人も、ヘジャブの女性たちも、
キッパをかぶった子供もいます。
インド、パキスタン系と思われる人たちも。
アジア人の数は多くはないけれど、
さすがです、やっぱり中華街はありました。

夕食は、
パリにもたくさんお店のある Chez Leon の本店のテラスで、
ムール貝とエビ・コロッケとベルギー・ビールを。
Mmmm.....
記憶に残る夕食でした。

2011年8月24日水曜日

ラ・デファンス

パリに来てから4日目、
この間ずっと雨に合わず、
うまく行動できています。
(夜中には、2度ザーっと降ったのですが。)

今日のメインはデファンス。
前回デファンスに行ったのは、
たしか85年頃なので、
約25年振りということになります。

当時、デファンスはまだ完成前で、
でも巨大なショッピング・センターのほうは、
すでに営業を開始していました。
当時のことは、
正直言ってはっきり覚えているわけではないのですが、
あの時に比べれば、
街として機能している、呼吸しているのは
まちがいありません。

昼食は、
観光客はもちろん買い物客もほとんどいない店で、
デファンスに勤めるエリート風のサラリーマンにまじって
食べてみました。
いつかここでも登場した、
サンドイッチのチェーン店、Lina's です。

店はさっぱり清潔、店員の感じもよく、
味はフツーで、値段も(パリでは)フツーです。
ただこれもやっぱり、パリの顔の1つなんですね。

それにしても、新凱旋門はデカイ!
一辺105メートルは、だてじゃありません。

そうそう、インフォ係りの若い女性と少ししゃべっていたら、
彼女もTout ce qui brille. を見ていて、
なかなかよかったよね、というお返事。
そういえば昨日会ったエミリーも見ていて、
あの映画、意外に人気ありました!

2011年8月23日火曜日

Paradis du fruit

今日の昼ごはんは、
今帰仏中であるジャニックさんと、
スキットのヒロインであるエミリーさんと食べました。
エミリーさんは、今パリで暮らしています。

食事したのは、Paradis du fruit 「果実の天国」
という名のチェーン店の1つだったんですが、これがおいしい。
リンゴ・ジュースは、
今までの人生で飲んだ最高のリンゴ・ジュースでした。
ジュースだけで10種類以上あったと思いますが、
きっとほかのもおいしいんでしょう。

ジャニックさんは、
クレルモン・フェランであったシンポジウムから戻ったばかり。
でそのシンポでは、主に環境についての話し合われたそうで、
ワークショップがなんと85 !
もちろん反原発の話題も多く出たそうです。
福島のことがあって、
考えを改めた人が多かった、
そして
これは「町」や「県」はもちろん「国」の枠さえ超えて、
国際的に連帯して、
進めていかねばならない問題だと考える人が増えている、
とのことでした。

これは昨日もみんなで話したことなんですが、
チェルノブイリの時は、
だから社会主義はだめなんだ、
という言い方がまだ通用するかに見えたわけですが、
福島以降、
そういうことではないという事実が広く理解されました。
つまりこれは、右とか左とかいうことではないわけですね。

菅総理はほんとに評判が悪いけれど、
やっぱり個人的には、
彼に少しでも反原発を押し進めてもらって
よかったと思っています。
昨今話題の大連立は、この点については、
もっともまずかろうという気がします。

利権と関わる政治家は、
反原発によって失業する労働者を「人質」にとり、
原発を続けようとするでしょう。
知り合いの中にも、
ある程度政治的に行動する時期だ、
と言い出す人もいます。

……というわけで、パリでも日本でも、
この話題は避けて通れません。

さて明日の予定は…… 
これから考えます!

2011年8月22日月曜日

13区&MAC/VAL

今日の天気予報は「雨」でしたが、
結局1滴も降らず、それどころかかなり暑い一日でした。
まあ湿度が低いので、辛いということはありませんでしたが。

で今日は、かなり充実した1日でした。
13区では、前回見逃したものをきちんと確認できたし、
午後は郊外まで足を伸ばし、
MAC/VAL現代美術館まで行ってきました。
こっちは、実はお目当ての作品は出てなかったのですが、
その作品について係りの人に尋ねたところ、
なんと今研修中の日本人スタッフを連れてきてくれて、
彼女にいろいろ教えてもらうことができました。
また今日は日曜で、
参加型の作品なども置かれており、
美術館自体とても楽しむことができました。

そして食事。
昼は、あてずっぽうで入ったヴェトナム料理が安くてうまく、
夜は、今日一緒に行動してくれた留学生3人が連れて行ってくれた、
やはり13区の中華がまた安くてうまくて、
これはとってもよかったです。

明日は、あの人と昼御飯です。
楽しみです♥

2011年8月21日日曜日

Just arrived !

さっき、無事にパリに到着しました。
中央線は遅れるし、
乗ろうと思ったスカイライナーは満席(!)だし、
予定より40分以上遅れて成田に着いたので、
ちょっと焦りましたが、なんとか到着できました。

今の時期のパリは、やっぱり日が長いですね。
今9時半ですが、やっと暗くなりました。
明日はさっそく13区へ向かう予定です。

2011年8月19日金曜日

A Paris


というわけで、明日パリへ向かいます。
滞在中、1度ブリュッセルへも行ってみる予定です。
周りの人の話だと、なかなかきれいな街のようで、楽しみです。

ではみなさんも、よい週末をお過ごしください。
(ネット環境が許せば、更新できると思います。)

2011年8月16日火曜日

MIX


パリ郊外にある、ヴァル=ド=マルヌ県現代美術館。
この美術館は、おもしろい「予習」をさせてくれます。
作家自身による作品の解説、あるいは作品についての思い出話などを、
HPで聞くことができるのです;

http://www.macval.fr/francais/ressources/audioguides/Parcours-4-Nevermore,4511

をクリックすると、聞くことができます。
これを i -pod に入れて連れ出せば、
作品の前で聞けるってことなんですね。
「ライブ」、ということになるでしょうか?

作品を1番知っているのは作家自身とは限らない、なんて、
もう何十年も前から言ってきたことですが、
それはそれとして、
わたしは、制作者本人の話を聞きたい派なので、
こういうのはいいですね。

単純と言えば単純な形ですが、
やっぱりネットがあるからこそ、
こういうことが簡単にできるわけで、
これも広い意味での、メディア・ミックスといえるのでしょう。

こういう試み、日本の美術館でもなされているのでしょうか?

2011年8月15日月曜日

『パリを歩く』


東京は連日暑さが続いています。

今日は15日ですね。
去年、品川区シルバー大学で、
「東京詩」の講座をやらせてもらったときのことが思い出されます。
受講してくださった学生さん(全員シルバー世代です)の半数ほどが、
66年前の今日のことをはっきり覚えていらして、
順にそのお話しをしてくださったのです。
品川の実家を離れ、子供だった自分だけ疎開させられていたけれど、
死ぬなら一緒がいいだろうという親の意見で、
品川に呼び戻されたばかりだったのよ、という方もいらっしゃいました。

(先日たまたま、その時使った地域センターの前を通り、
たった1年前なのに、なにかとても懐かしい気がしました。
印象が強かったからなんでしょう。)

         ◆

来週からパリに行く予定があり、
予習としてあれこれ漁っているのですが、
中で出色の1冊と出会いました。

『パリを歩く』(港 千尋)

美しい本であるばかりでなく、
静かでゆったりして、しかも熱を発散する文章。
読んでいて心が落ち着きます。

単純に情報としても知らなかったことも紹介されていますが、
もちろんそればかりでなく、
知ってはいるはずのことにも、
考えもしなかった角度から光が当てられていて、
ハッとすることが何回も。

素晴らしい本です。

2011年8月14日日曜日

『神々と男たち』


20日から、ユーロスペースのレイトショーで、
『神々と男たち』が上映されます。
こんな映画でしたね;

http://tomo-524.blogspot.com/2011/04/des-hommes-et-des-dieux.html

で、ユーロスペースのHPはこちら;

http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=342

夜が大丈夫だというあなた!
サラヴァ東京のすぐ近くです!

場所


フランス語版のwiki に、
こんな項目があるのをご存知でしょうか?

http://fr.wikipedia.org/wiki/Liste_des_films_tourn%C3%A9s_dans_les_Hauts-de-Seine
(Les Hauts-de-Seineで撮影された映画リスト)

先日、Tout ce qui brille の舞台の話をしましたが、
これはPuteaux だろうと思って探してみるとそこにはなく、
すぐ下のLa Défence にその名がありました。
そうですね、これも正解でしょう。

そしてたとえば
Il reste du jambon.
は……

http://tomo-524.blogspot.com/2011/04/il-reste-du-jambon.html

Puteaux とNanterre に名前が挙がっています。
Nanterre と言えば、そうです、メディ君が生まれ育ったあの「シテ」です。

映画を見る時、
「場所」は重要です。
そしてその場所を、あるいは時間的舞台を、あるいはテーマを形作る、
「歴史」も重要でしょう。
その場所や時間やテーマが、
他の作品でどう扱われているか、まで含めて。
(そしてさらに言うなら、
その作品がどの部分が、別のどの作品のどの部分と呼応しているのか、
も大事でしょう。)

ただわたしの場合の問題は、
ストリート・ヴューを見始めると、延々と散歩して時間が過ぎていく……
ということです。
(でもやめられない!)

2011年8月13日土曜日

ソマリアを

シリアもとても大変ですが、
それ以上に気がかりなのがソマリアです;

http://www.msf.or.jp/news/2011/08/5285.php

そしてコレラも爆発的に拡大とか……



2011年8月11日木曜日

「こころ」VOL.2


平凡社の新しい雑誌「こころ」、
VOL.2 が発売になりました。
目次はこちら;

http://www.heibonsha.co.jp/kokoro/

そしてamazon はこちら;

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D-2011%E5%B9%B4-vol-2-%E5%8D%8A%E8%97%A4-%E4%B8%80%E5%88%A9/dp/4582380026

特集の「岩谷時子の歌の世界」に、
わたしも書かせて頂きました。
テーマは「サン・トワ・マミー」。
まあ今さらですが、オリジナルのアダモ版と、
岩谷時子/越路吹雪版、
こんな感じです;

ADAMO:http://www.youtube.com/watch?v=hNuW-MjVOZE
      (前半は日本語。2'10あたりからフランス語。)

岩谷/越路:http://www.youtube.com/watch?v=2qvxK_3mu_s

この曲、作詞・作曲ともアダモなんですが、
岩谷さんの訳詞で最初に気づくのは、
視点が男から女に移動していることですね。
そしてこのアダモと岩谷さんの2つの「サン・トワ・マミー」の背景には、
あまり知られていない事情があり……

というあたりを書きました。
他の執筆者の文章なども全部読んでみたんですが、
1つのテーマを複数の人間が書くと、
かくも対象が多面的に見えるものかと、
改めて「特集」の意義を感じた、というわけです。

よろしければ、ご一読ください!

2011年8月10日水曜日

MIRAL


今日の東京は久しぶりに暑くて、
夏!
という感じでした。
でもやっぱり、夏はこうじゃないとね。

でその熱気の中、渋谷のユーロスペースで、
『ミラル』という映画を見てきました;

http://www.miral.jp/

結論から言いましょう。
素晴らしいです。
もしお盆に特にご予定がない場合、
ぜひこの『ミラル』を組み込んでみては?
と言いたくなるくらい。
ストーリーなどは、どうぞ上の公式サイトでご覧くださいませ。

大好きと言ってもいいヒアム・アッバスは、
いつもながら抑制された力強さ。
彼女が出演をOKし、実際に出ている作品なら、
もうハズレということはないのでしょう。
そして他にも、知った顔がたくさん。
特に『シリアの花嫁』に出ていた俳優たちが、3人。
また『キャラメル』で輝いていた美しい娘・ヤスミンは、
打って変わった重い役柄。
でも彼女、見事に彫りあげました。打たれます……
もちろん主役のミラルも、
一途な若さを好演していると思います。

……という風に、俳優さん達のことを書いてしまいましたが、
この映画はもちろん、祈りにも似た強烈なメッセージを発散しています。
それは、パレスチナに和平を、ということ以外ではありません。

物語は、オスロ合意あたりまでを時間的舞台とし、
9.11以降の混乱の深まりなどには、触れていません。
ただわたしたちは、知っています、
オスロ合意は未だ和平に繋がっていないこと、
ユダヤ教過激派がラビン首相を暗殺したこと、
そしてわたしたちは、忘れてはいけないのでしょう、
370万人ものパレスチナ難民を生んだこの中東戦争が、
どうして起き、どんな風に進展したのかを。

(中東戦争は、英語ならArab–Israeli conflict、
フランス語ならConflit israélo-arabe。
日本語でも、「イスラエル-アラブ戦争」のほうがわかりいいんじゃ?)

ガザは、ガーゼの語源にもなった古い土地です。
パレスチナ、という言葉を発する時の、
ミラルの声の強さが、印象的です。

訂正!

先日『黄色い星の子供たち』のことを書きましたが、
すみません!
大きな勘違いをしていました。
上映館、日本中にありました;

http://kiiroihoshi-movie.com/pc/theater/

お詫びして訂正します!

2011年8月8日月曜日

そりゃそうだ


パリ13区事情に関連して、
なにか本が読みたいと思って、
ためしにアマゾンで「パリ」「周恩来」と入れてみると……
そのものズバリ、『パリの周恩来』(小倉和夫)という本が出ているのを発見。
さっそく読んでみました。

発行されたのは1992年で、
その後新資料が出たかどうかなど、
わたしはまったく知りませんが、
結論から言うと、とても勉強になりました。
そして1つ、なんだかミョーに腑に落ちたことがありました。

周は、1920頃にパリに渡ったのですが、
当時中国は、いわば赤ちゃんのような状態でした。
辛亥革命はあったものの、
北洋軍閥の勢力は強烈、
しかも日本をはじめとする植民地主義国が、
どやどやと自国に入り込んでいました、土足のままで。

自国を憂う若者たち。
周たちはパリにいて、
知識人ではなく外国人労働者として扱われながら、
中国の未来のヴィジョンを探りました。
そして彼らが選びとるのが共産主義だったわけですが……

その時彼らは、ヨーロッパ流の資本主義を選ぶこともできたわけです。
(実際そう考えた留学生たちもいたようです。)
でもそうしなかった理由は、『パリの周恩来』によれば、
まず第1に、
当時周たちが生きていたヨーロッパは、WWⅠ後の不況のただ中にあり、
とても若い中国が目指すべき状態には見えまなかったこと。
そして第2に、
今も自国を脅かしている植民地主義を、
自分たちもまねる気持ちになどなれなかったこと、
なのだそうです。

なるほど、そうでしょうとも。こんな状況で、
じゃあ俺たちはもっと強力な帝国主義だ!
なんて言うのはワカモノらしくありません。

ここで思いだされるのは、アフリカです。
1960年代に、イギリスやフランスから独立した国々は、
社会主義を掲げることが多かった。
それは心情的には、周たちの事情と近かったのでしょう。
さんざん自分たちを理由なく搾取していたアイツラと同じ路線なんか、
進めるわけないじゃん! と、
そりゃ思いますよね。

そしてまた、たとえば今のマグレブや中近東の国が、
もし「アメリカ=悪魔」だと思っているなら、
とてもじゃないけど、アメリカ的民主主義なんか、
取り入れる気になれないでしょう。
その民主主義には、強欲資本主義ももれなく付いてくるのですから。

そしてこの「アメリカ=悪魔」という考えは、
それほど極端でもないようです。
アメリカ軍がしてきたこと、
アメリカに援助されたイスラエルがしてきたこと、
アメリカ的資本主義が、たとえばアフリカでしてきたこと。
彼らの立場から見た場合、
それらをまとめて、「悪魔的」所業だと言っても、
そんなに不自然な感じはしません。

そして彼らには宗教があるのだから、
共産(ないし社会)主義による国家ではなく、
イスラム国家の建設に向かう、ということになるのは、
むしろ当然のような気もします。

日本、アメリカ、あるいはヨーロッパのどこかにいて、
「世界の一員になりたきゃ、とりあえず民主主義からな!」
と嘯くのは簡単ですが、
(そしてそれが決定的に間違っているとも言えませんが)
それだけでは足りないのでしょうね。

2011年8月6日土曜日

C'est où ?


今日は丸々1日かけて、
たった1本の映画を見ました。
しかもそれは、もう2,3回見た映画、
Tout ce qui brille  『キラキラしてる』
です。
半年ほど前に、ここでもご紹介しましたね;

http://tomo-524.blogspot.com/2011/02/blog-post_21.html

いったい1日かけて、どこを見ていたのかというと……
劇中に登場するすべての場所を、特定しようとしていたのです。

結論からいえば、やはり「すべて」はムリでした。
でも、たとえば冒頭近く、
主人公の少女2人がクラブに繰り出す場面があるのですが、
その店はLe Baron だということが分かりました。
この店、東京にも支店があり、
まあ知っている人なら、
お店の入口にあるマーク(画像)を見ればわかったのでしょうが、
わたしはなかなかたどりつけませんでした。
でもこの店、実は「パリで1番イケテル」という評判なんだそうです。
カール・ラガーフェルドなんかも来たりして。
そうだったんですねえ。
(場所はアルマ橋からすぐのところ。)

また、主人公の1人が働いているサンドイッチ・チェーン店 Lina's。
彼女が勤めているのは、デファンス店だと判明しました。
これは映画の画像と、色んな支店の画像を見比べるという、
ハイテクを使ったローテクな作業でした。

主人公たちの住むPuteaux の建物も、ほぼ分かりました。
机にしまわれた主人公宛の手紙の表に、
はっきり住所が書いてあったからです。
これはラッキーなのか、それとも監督の意図なのか。
おそらく後者でしょう。

もちろんフィクションですから、
実際とはちがうこともあるでしょう。
でも、こうしてしらみつぶしに探しまくると、
映画そのものへの理解も深まるような気がします。
作品を抽象的に解釈するのではなく、
なんというか、
具体的に抱きしめる感じ、とでも言いましょうか。

すごく時間がかかりますが、
みなさんもお好きな作品で試してみたら、
案外新発見があるかも!?
単純なコツは、
画面に現れる番地表示、道路標識、そして店名などに注目することです!

『黄色い星の子供たち』


春からずっと待っていた作品、
『黄色い星の子供たち』
が、ついに公開されています;

http://www.youtube.com/watch?v=wlW77xl2afw&feature=related

「ヴェル・ディヴ」と呼ばれるこの「事件」は、
フランスのナチへの協力なしには起こりえませんでした。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Rafle_du_V%C3%A9lodrome_d%27Hiver

この Vel' d'Hiv という表現は、フツーに使われます。
(でも日本語ページがないところを見ると、
日本ではまだあまり知られていない?)

國枝先生のこのページが参考になります。
(下へスクロール);

http://web.sfc.keio.ac.jp/~mrt/culture/2007/07/post_69.html

2011年8月5日金曜日

へそ

やらなくてもいいかなと思ったのですが、
やっぱりやってみたくなったので、やってみます。
3 枚の画像を並べてみたくなったのです;


これは『パリ・ジュテーム』の「ショワジー門」の一場面。そして;


これは『オーギュスタン、恋々風塵』の一場面。最後が;


これは去年わたしが撮った写真。

お分かりになるでしょうか、
これらはどれも同じ場所、
13区のレ・ゾランピアッド(Les Olympiades)といわれるあたりです。
ここは、パリのアジア地区の「へそ」といっていい場所だと思います。

でも不思議なのは、
日本語で書かれたガイド本には、
この界隈のちゃんとした紹介記事がほとんどないことです。

数日前にご紹介した周恩来の住居も、
ここから徒歩圏です。

2011年8月4日木曜日

La source des femmes


どうですか、この画像のメンバー?
11月に公開予定の新作、
『La source des femmes  女たちの泉』の出演者たちなんですが、
なんだか、わたしにとっては夢みたいな❤組み合わせです。

Leïla Bekhti、Hiam Abbass、Hafsia Herzi、Biyouna

この4人が同じ映画に出ることがあるなんて、
考えもしませんでした。嬉しい驚きです!
予告編です;

http://www.youtube.com/watch?v=bGqQ0D4yXCE&feature=related

一応、わたしの印象で言うなら……

Leïla Bekhti は『パリ・ジュテーム』の「セーヌ河岸」や、
Tout ce qui brille に出演したアルジェリア系の若手。
後者は以前ご紹介しましたね;

http://tomo-524.blogspot.com/2011/02/blog-post_21.html

彼女の新作はもう1本あって、
そこではTout ce qui brille 的な現代の女性を演じています。
こちらは今週公開されたばかりのようで、
舞台挨拶情報があります。(行けないけど!)
予告編も見られます;

http://www.facebook.com/LeilaBekhti.fans

Hiam Abbass は『シリアの花嫁』、『扉をたたく人』から
『レモン・ツリー』や『サテン・ルージュ』まで、
すべてここでご紹介しました。

Hafsia Herzi は『Française』。

http://tomo-524.blogspot.com/2011/04/francaise.html

Biyouna は、例のAïcha の叔母さんです。
彼女の存在感て、抜群です。
ハスキー・ヴォイスも魅力的。

彼女らに共通しているのは、
やはり生命力でしょうか。
それは溢れるように輝いていたり、
あるいは固い核のように秘められていたりして、
一様なんてことはないですが。

それにしても、いつ見られるかなあ……

Augustin


昨日の『オーギュスタン、恋々風塵』は、
実は『おとぼけオーギュスタン』という作品の続編です。
で、一応これも見てみました。
とても短くて61分です。

オーギュスタンは、「フランスのMr. ビーン」と呼ばれているそうですが、
まあ誰が見てもそういう感想になるでしょう。

この第1作でちょっと興味を引いたのは、
20区に住む上海出身の女性が登場していたこと。

「難民なの?」
「まさか! わたしはコミュニストよ」

彼女はホテルでベッド・メークなどをしています。
こういう女性たちに、
監督のアンヌ・フォンテーヌはシンパシーを感じているのでしょう。
(オーギュスタンは、監督の弟さんだそうです。)

アンヌ・フォンテーヌと言えば、
セクシー系のコメディも撮っていますね;

http://www.youtube.com/watch?v=qcx-SDvpCHc&feature=relmfu

でもやっぱり、
主人公のFabrice Luchini のキャラは、
どことなくオーギュスタンを彷彿とさせる気がします。

2011年8月3日水曜日

Augustin, roi du Kun-Fu 


8 月に入っているのに、
東京はあまり暑くありません。
7月の、梅雨明け1 週間は暑かったんですけどね。

今日は、『オーギュスタン、恋々風塵』という映画を見ました。
(原題は、Augustin, roi du Kun-Fu 「オーギュスタン、カンフー・キング」。)
予告編ではなく、抜粋ですが;

http://www.youtube.com/watch?v=ItA4aKQZSV0

このヴィデオは妙に静かですが、
原題からも想像できる通り、
この映画、はっきりB級です。
とはいっても、いやな感じはありませんが。

映画のエキストラなどで生計を立てているオーギュスタンは、
カンフー映画に刺激され、
いつか自分もカンフー映画に出てみたいと思い始めます。
そしてついに、パリのアジア=13区に引っ越し、
そこでカンフー修業を開始。
でも彼は、他人との肉体接触がチョー苦手で……

彼は自分の弱点を克服すべく、ハリ治療に挑戦します。
そしてそのハリの先生が、マギー・チャンです。


やがて2人の間に、ある感情が芽生え……

なぜこれを見たかというと、
舞台がパリの13区だったからです。
13区は、Petite Asie(小さなアジア)と呼ばれる地域で、
パリを代表する移民街の1つです。

ただ残念なのは、
この地区に関係する映画や音楽が少ないこと。
この『オーギュスタン……』は、
そういう意味で貴重といえるのでしょう。

そして、あっちこっちネットから手繰り寄せているうちに出会ったのが、これ;

http://french.peopledaily.com.cn/VieSociale/6795047.html

2人の中国人が、
かつて周恩来(と鄧小平)が2年暮らしたプチ・ホテルを買った、
という記事です。

このホテル、Hotel Neptune は、
やはり13区の、Place d'Itatie から伸びる rue de Godefroy にあります。
そして2人が滞在していたのは1920-21年。

フランスと中国の関係も、
ここらでちょっと勉強しないと……

2011年8月2日火曜日

多文化主義

ちょうど1週間前の火曜日、
オスロでのテロに関連するニュースに触れました。
ヨーロッパの首脳たちが、
「多文化主義は失敗だった」
と語っているということと合わせて。

そしてやはり、そうした態度を否認するコメントも出ています;

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/520986/

色んな人が指摘しているように、
オスロ事件の犯人が、
移民を受け入れない日本を理想としている、
と言っているのは、
なんとも皮肉なことです……

Thank you.


今日は大学に行って、
雑用をいくつかすませてきました。
で会議の後は、
資料室で軽く打ち上げです。

その途中、
中国の人が、どんな時代にどんな形でフランスに移民したかについて、
林先生と清水先生に教えてもらいました。
ラッキー!

そして帰宅したら、
メディからメールが来ていました。
実はAicha の中で、ビウーナというアイシャの叔母が、
ちょっとした賞を取った場面があります。
そこで歌われるアラビア語の歌が分からなくて、
メディに「教えて!」とメールしていたのでした。

それは、Dor Biha ya Shibani という、結婚式などで歌われるものなんだそうです。
通りで、こんな感じなのね;

http://www.youtube.com/watch?v=MtcNc1ZoOcI

ちょっとステキですね?

というわけで、周りの人に教えてもらえるって、いいなあ