2011年10月30日日曜日

Butte aux Cailles

金曜日にここで、キリンの店の写真を使いました。
ごく1部から、あの写真を撮ったButte aux Cailles をもっと! の声がありましたので、
お知らせしますね。
まずは店の位置から。


赤いAのところが、この壁の店、Chez Gladines のあるところです。
この店は、この界隈で1番人気の、バスク料理の店です。
日本の雑誌などでも、時々紹介されています。
この落書き、どこかでご覧になったかもしれません。


有名な落書きなので、そのまま撮るのがためらわれ、
つい手前のバイクも入れちゃいました!
この店の前はこんな感じ。


写真からも感じられる通り、Butte aux Cailles という場所は、
パリに 7 つある丘の 1 つで、近くをビエーヴル川が流れています。
(市内はほとんど暗渠ですが。)
この川のおかげで、このあたりにはさまざまな「メチエ」が起こります。
さっきの地図の、イタリー広場から北に上ると、国立ゴブラン織り工場。
広場の左には、
タイポグラフィーとグラフィック・デザインで有名なエスチエンヌ校もあります。
またビュット・オ・カイユの南側には、
かつてイタリアや東ヨーロッパからの移民がキャラバンで生活していて、
写真家の被写体、そして画家のモデルとなっていた……
(この辺、港千尋『パリを歩く』に教えられました。)

地図のA地点から南西に下り、
突き当たったところから斜め右上に伸びるのが、
ビュット・オ・カイユ通りです。
今このあたりは、学生や労働者向けの気の置けない飲み屋が多く、
こじんまりとしてはいますが、隠れ人気スキットでもあります。
ちなみにプールもあります。

Guy Fawkes


NYから始まっている反グローバリズム運動、
最近彼らの中に、仮面をつけている人たちがいますね。

http://www.afpbb.com/article/politics/2835171/7931120

これは、ガイ・フォークスの仮面です。

英語の guy のモトになったと言われるイギリス人、Guy Fawkes(ガイ・フォークス)、
1570年に生まれたカトリック信者である彼は、1606年、
カトリックを弾圧するジョージⅠ世暗殺計画の首謀者として死刑になります。
wiki によれば、

「ウェールズ方面では国王暗殺を試みた罪人として扱われているが、
スコットランド方面では自由を求めて戦ったとして英雄視されている」

そうです。
また20世紀末のイギリスのコミック『"V" for Vendetta ヴェンデッタ(復讐)の "V"』でも、
アナーキスト&独裁者である主人公が、このガイの仮面をつけていたそうです。

そしてこの暗殺計画決行予定日だった11月5日は、
「ガイ・フォークス・ナイト」として、今でも花火を打ち上げたりするとか。


この日のことは、マザー・グースにも歌われています。

Remember, remember the fifth of November
Gunpowder, treason and plot.
I see no reason why gunpowder, treason
Should ever be forgot...

(出だしは、Please to remember... という版も。)

11月5日、もうすぐですね……

http://fr.news.yahoo.com/pourquoi-les-contestataires-portent-ils-le-masque-de--v-for-vendetta.html

         ◆

どこで読んだのか忘れてしまいましたが、
「アラブの春」とこのデモの異同を扱っている文章がありました。
それによると、
「民主主義」が達成されているNYなどでこのデモが起きているということは、
たとえアラブ地域で「民主主義」が達成されても、
「格差問題」の解決には直結しない……ということでした。
そうですね、アラブ革命が、
なにもかもを解決するわけではありえないですね……

2011年10月29日土曜日

「混成世界のポルトラーノ」展


明日29日から、
勤め先の明治大学生田キャンパスにある図書館ギャラリー・ゼロで、
「混成世界のポルトラーノ」展  が始まります。

この展示は、総合文化教室の教員5人による共同研究の報告なんですが、
そもそも「ポルトラーノ」ってなんやねん! と思いますよね。
それは……
わたしがくだくだ言うより、こちらをご覧ください;

http://fiatmodes.blogspot.com/2011/10/blog-post_27.html

http://monpaysnatal.blogspot.com/

3都市×5人=15都市。
1人で15都市を回るのはなかなか大変。
そこで5人で手分けして、
それぞれ惹きつけられる、また長く付き合ってきた土地に赴いたわけです。
そして5人がそれぞれの場所で見ようとしたものが、
「混成世界としての現在」なのです。
もちろん「現在」とは、過去の折り重なりでもあるわけです。

わたしは、大連、モントリオール、そしてパリを担当しました。
でも15都市を並べてみると、
どこかでゆるく繋がり始めるもの感じないわけではありません。
そのあたりが、共同研究の醍醐味の1つです。

そしておそらく1ヶ月後くらいには、
これらの内容を写真付きで収めた
『混成世界のポルトラーノ』
という本が、左右社から刊行される予定です。
それについては、またお知らせさせてくださいませ!

2011年10月28日金曜日

Is Paris burning ?


風邪に気を取られていて書き忘れたのですが、
「テレビでフランス語」11月号に、
「パリは燃えているか?」第8回目が掲載されています。
(ラジオの「まいにちフランス語」のテキストではなく。)
このところ、バルベスあたりのアラブ人街が登場しています。
よろしければ!
 
そういえば先日、NHK出版から、
「お便り」を回して頂きました。
読んで頂いて、ありがとうございます。
そして中には、
ナミパリ、ナミ恋、テレビ、フラ語シリーズまでお付き合い頂いている
Kさんのような方もいらして、Grand merci ! を送らせていただきます。
Kさんは、かつて13区にホームステイされていたとか。
「パリは~?」でも、やがて(といってもまだ先ですが)13区が登場します。
ぜひ、読んでみてくださいませ。
Merci encore !
 
*画像は13区のButte aux Cailles で。

2011年10月26日水曜日

業務連絡(東京詩)

「東京詩」ゼミ、定番の宿題です。
まずはこの詩を読んでみてください。

********************************************
感情的な唄        岩田宏


学生がきらいだ
糊やポリエチレンや酒やバックル
かれらの為替や現金封筒がきらいだ
備えつけのペンや
大理石に埋ったインクは好きだ
ポスターが好きだ好きだ

極端な曲線
三輪車にまたがった頬の赤い子供はきらいだ
痔の特効薬が
こたつやぐらが
井戸が旗が会議がきらいだ
邦文タイプとワニスと鉛筆
ホチキスとホステスとホールダー
楷書と会社と掃除と草書みんなきらいだ
脱糞と脱税と駝鳥と駄菓子と打楽器
背の低い煙草屋の主人とその妻みんな好きだ
バス停留所が好きだ好きだ好きだ
元特高の
古本屋が好きだ着流しの批評家はきらいだ
かれらの鼻
あるいはホクロ
あるいは赤い疣あるいは白い瘤
または絆創膏や人面疽がきらいだ
今にも泣き出しそうな教授先生が好きだ
今にも笑い出しそうな将軍閣下はきらいだ
適当な鼓笛隊
正真正銘の提燈行列がきらいだきらいだ
午前十一時にぼくの詩集をぱらぱらめくり
買わずに本屋を出て与太を書きとばす新聞社の主筆がきらいだ
やきめしは好きだ泣き虫も好きだ建増しはきらいだ
猿や豚は好きだ
指も。

*********************************************

岩田宏の代表作、「感情的な唄」です。
今回の宿題は、「わたしの感情的な唄」を書くこと。
よ~く真似してください。
表現も、長さも、選ばれているもののヴァラエティーも、
自分の真実を書いてください、
よ~く真似して。特に長さは。
(提出は来週の金曜の13h まで。)

4番バッター


子供のころは、東京の大田区にもまだ空き地があって、
日々そこで野球する毎日でした、日が暮れてボールが見えなくなるまで。
(今住んでいるところは、同じ東京とはいえ、
はるかに山に近い場所なのですが、子どもが遊べる空き地がないようです。)

テレビで野球中継を見るという習慣は失われて久しいのですが、
それでも深夜のスポーツニュースくらいは、時々見ます。
で数日前、ソフトバンクの内川選手が、
「40年振りに両リーグで首位打者になった」というニュースがありました。
そしてわたしには、その40年前の首位打者の名前が、すぐに浮かびました。
ドラゴンズの、江藤慎一です。

そしてたまたま昨日、先輩のM先生と雑談しているときに、
先生の口から「ドラゴンズ」という言葉が出て、
訊いてみると名古屋出身だそうで、
もちろん江藤慎一の名前もご存知でした。

「ぼくが小学生だった時だけどね、
友だちが江藤の大ファンで、なぜか自宅を知っててね、
一緒にサインをもらいに行こうって言われて、行ったんだよ」
「行ったんですか!? 自宅に?」
「牧歌的な時代だったんだね、今思えば。
でもちゃんと江藤が出てきて、サインしてくれたよ」

このエピソードは、わたしの江藤慎一のイメージ通りです。
いかり肩の、いかつい、迫力ある、生真面目な4番バッター。

2011年10月25日火曜日

AFROTOKYO


AFROTOKYO が始まりました;

http://www.afrotokyo.jp/senegal.html

表参道のCAY では、ランチしながらAbdou が聞ける!?
ちょっと状況が想像できないんですが、
もしお近くを通るなら、きっと面白いんじゃないでしょうか。

Abdou とその仲間たちは、
一昨日『ペレ』が、繰り広げられたサラヴァ東京にも登場します;

http://www.saravah.jp/tokyo/schedule/log/20111102.php

2, 3, 4日と、毎日ゲストが違うんですね。

でAbdou はこんな感じ;

http://www.youtube.com/watch?v=DSsu5mWd6CU&feature=related

行きたいな~

2011年10月23日日曜日

『ペレ、ハワイの神話』


なんとか体調も戻ってきて、
楽しみにしていたイベント、『ペレ、ハワイの神話』に行ってきました。
渋谷のサラヴァ東京です。

開始20分ほど前に着いたのですが、列が店の外まで!
店内も、開始前から熱気が満ちています。
そしていよいよ開幕、の前に……
今日の<主役>は、ハワイの女神ペレなのですが、
彼女の話をするときの恒例(なんだそうです)として、
会場のみんなで短い祈りの言葉を唱えます。
さ、これで安心して始められます。

まず第1部は、「ペレの髪、島の風」です。
これは、管さんのテキストに、Ayuoの曲が有機的に絡んでいく構成です。
そしていくつかの詩行には、Ayuo作曲による旋律がつき、
これを管さんがソロで、
あるいは弦楽担当の4人とパーカッション担当の1人とコーラスで、
歌ってゆきます。
そのメロディーは、なんと言えばいいんでしょう、
まさに神話的な、とでも言うしかないものです。
なんだか、贅沢……

詩の言葉はどれも魅力があり、
「新しく死ぬために」
「ピコのためのプカ」
「光のへそ、島のへそ」
「波と波のあいだへ」
など、タイトルを見ただけでも惹かれます。

この島で生まれたんだ
溶岩の島で
かあさんはへその緒を
小さな穴に埋めた
それがピコのためのプカ

その岩山には、16000もの、
「ピコ(へその緒)のためのプカ(穴)」があり……


そして
波と波のあいだに未知への通路が見える
それは視覚的・聴覚的・嗅覚的経験のいずれでもない
魚群が一斉に方向を変えるときのようなそんな直観が
総合的にきみに次の線を教えるのだ

で第2部は、「ペレ、ハワイの神話」。
これは一つの、言ってみれば宇宙のような、
言葉と音楽と肉体による物語です。
中心になるのは、「卵だったころからペレが温めて育てた」末の妹、ヒイアカと、
彼女が遠く迎えに行くことになるロアヒウとの、恋です。
Ayuoがロアヒウを、ヒイアカは美しいダンサーが演じました。

この物語の「隠し味」として効いていたのは、
Ayuo 編曲による「トリスタンとイゾルデ序曲」だったかもしれません。
無調的なAyuo の音楽の中に挿入されたこの曲は、
(「アンダルシアの犬」の記憶を呼び覚ましながら)
普遍へと繋がる輪郭を感じさせるものだった気がします。

それにしても……
こんなパフォーマンスができるんですね、
たった7人で!
とても広がりのある豊かな世界を、
潔癖に、美しく見せてもらいました。
ありがとうございました!

『ハイチ震災日記』


『帰還の謎』がおもしろかったので、
ダニー・ラフェリエールのもう1つの翻訳本、
『ハイチ震災日記』
も読んでみました。
(藤原書店から、2 冊同時刊行です。)

あの日、つまり2010年1月12日、16時53分、
ラフェリエールはハイチの首都ポルトープランスのホテル・カリブのレストランで、
仲間の編集者と一緒に、注文した海老や魚の塩焼きを待っているところでした。
そしてあの10秒。
ポルトープランスはすさまじい被害を受けます。

この「日記」は、その場にいた人間にしか書けない、
切迫した緊張感があります。が、それだけではありません。
ラフェリエールは、亡命作家として30年以上、
ハイチをモントリオールから見つめていました。
もちろん23歳まではハイチで過ごしたわけです。
だから、
彼がこの地震を語ることは、
彼のハイチを語ることにほかならないのです。
彼のハイチへの愛を、と言ってもいいかもしれません。

ハイチの歴史のことは、少しは知っていました。
先住民は、スペイン系の植民者に皆殺しにされたこと。
そこにアフリカかから黒人奴隷を連れてきて、過酷な労働を強いたこと。
そして1804年、ナポレオン軍を破り、世界初の黒人国家を作り上げたこと。
ただその後、フランスに突きつけられた賠償金に、
ハイチは長く苦しむことになるのですが。

(1つ、わたしがこの「日記」から教えられたこと。それは、
独立後のハイチを、ヨーロッパもアメリカも「ハチブ」にした、ということです。
植民者にとっては、奴隷たちが勝手に国を作って独立するなんて、
あってはならないことでした。
だから彼らはハイチを孤立させ、困窮させ、
他の植民地への見せしめにした、というのです。
なるほど。そういうことは実にありそうです。)

ラフェリエールは、子供時代には祖母から、
独立のために立ち上がった黒人の雄姿をよく聞かされた、
と書いています。
ああ、そうなんですね。
そんな作家が、33年の亡命生活後に、
あの大地震を経験するわけです。
(そして今日本人がこの本を読んで、
あの日の東北のことを重ね合わせないでいることは不可能でしょう。)

この『ハイチ震災日記』と『帰還の旅』、
2 冊合わせて読むと、ハイチがぐっと身近になります。

最後に、宇波先生の書評を;

http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-175.html#

2011年10月21日金曜日

foolish


このところ、急に気温が下がりましたね。
たしか先週の木曜あたりから風邪っぽくて、
日曜あたりにはかなり咳き込んでいました。
今では咳はおさまったんですが、
今日で4日連続頭痛です。
(朝目覚めた瞬間の頭痛の無念さよ!)
首、肩のこり、ハンパありません。

たしか、一昨年あたりもこんなことがあったなあ……
と思ったら、一昨年のまさに今頃!
もしかして、季節の変わり目? 遅れてきた夏バテ?
という気もしてきました。
ただこの10日ほどは、今年サイテーの体調で、
出かけたいところに出かける自信がありません(涙)。
でもまあ、授業だけは一応こなすあたり、立派です!(←Staying foolish !)

        ◆

そしてカダフィは、「死亡」した、と言ってますけど、
正確には「殺害」、ないし「裁判なしで処刑」されたわけですね。
(ビン・ラディンの時もほぼそうでした。実行したのは「アメリカ」でした。)

これから国を作っていく上で、
本当は生かしておくほうがよかったんじゃないかと、
わたしは思っています。
なぜならこの「死亡」を、カダフィ支持派は忘れないだろうからです。
これは未来における不安の種です。
つまり戦略的に、未熟な感じがするわけです。

そしてまた、カダフィ派だった彼らは思うでしょう、
自分たちももし捕まれば、裁判なしで殺されるかも、と。
この時点ですでに、「民主主義」はやや危ういものに見えます。
(それともそういう「民主主義」?)

「革命」なんだから仕方ないんだ、と言えば言えるかもしれません。
でもそうだとすると、この200年以上、
「革命」のやり方は進歩していないことにもなります。
どうなんでしょう……?

*画像はラ・デファンスのモール、4 temps。

2011年10月20日木曜日

『帰還の謎』


ハイチで生まれ、23歳のときモントリオールに亡命し、
今はハイチとケベックを行き来する作家、
ダニー・ラフェリエール。
彼が、33年ぶりにハイチに帰還した時のことをつづった小説、
『帰還の謎』
を読みました。
結論:とてもおもしろかったです。

小説、と言いましたが、
実際には「行分け」で書かれている分量のほうが多くて、
フツーの「小説」とはちょっと違います。
でも読みやすいので、構える必要は全然ありません。
目次は、こんな感じです;

http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1211

小説全体の始まりでもある「電話」は、こんな風に始まります;

  その知らせが夜をふたつに分かつ。
  熟年になれば誰しも
  いつかは受け取る
  避けがたい電話。
  父が亡くなった。

そして彼は、父親がひとりで暮らしていたNYに向かいます、
氷に包まれたモントリオールから、
よれよれの『帰郷ノート』(セゼール)を鞄に入れて。

作家の父親の過去は、
読み進めるうちに次第に明らかになってきます。
それは作家の帰還の中に、父親不在の、いわば「失われた子供時代」を、
取り戻そうという意図が潜んでいたからでもあります。
それは切なく、厳しく、ハイチという背景なしには語りえないことです。

  帰路の切符をもたぬ旅だけが
  家族、血縁、
  狭い愛郷心からぼくらを救うことができる。

けれども今、作家は死んだ父親が待つマンハッタンの教会へ向かいます。
そして葬儀。教会に集まる父の友人は、
ハイチ系のタクシー運転手が多い。

  父のことをこんなに近くから見るのは
  これが初めてだ。
  手を伸ばしさえすれば
  父に触れられる。
  それをしないのは、
  生前、
  父がふたりのあいだに保とうとした距離を
  尊重するからだ。

  (……)
  タクシーは五十番街で
  酔っ払いみたいに進路を外れている。
  平然としている霊柩車も水の上で滑る。
  まるでバラデールにいるみたいだ。
  ハイチのヴェニスと呼ばれる、父の生まれ故郷。

そしてラフェリエールは、ハイチに向かいます。
父の死を、母に伝えるために。
(ここからが第二部です。)

33年ぶりのハイチ。
しかしそこはハイチなのです。

  二百万人以上の住民のうち
  半分が文字通り飢えている町というものを
  あなたは考えたことがあるだろうか?

  (……)
  ぼくはこの町にいる。
  ヴィラット通りとグレゴワール通りの角で輝く
  太陽のもとで、
  生きているという単純な喜び以外には
  一度として
  何も
  起こらない町に。

ここから、彼の長い旅が始まります。
そして終わり近く、作家はついに、
父親の生まれた村、バラデールにも訪れるのです……

ハイチには、なかなか行く機会がありません。
でもこの本を読むと、上っ面な旅行よりも、
ハイチの、ヴードゥーの、その「実」の一端に触れた気がします。

最後に、東京中日に載った書評を。

http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2011101603.html

2011年10月18日火曜日

Go ! Go !


さあ今日は、われらがChuck Berry、
85歳の誕生日です。
なんか、めでたいですね!

やっぱ、ど~してもこれですか?

http://www.youtube.com/watch?v=6ofD9t_sULM&feature=related

Deep down Louisiana close to New Orleans
Way back up in the woods among the evergreens
There stood a log cabin made of earth and wood
Where lived a country boy named Johnny B. Goode
Who never ever learned to read or write so well
But he could play the guitar just like a ringing a bell

Go ! Go !


この曲は1958年です。

キース・リチャーズは言っています。

"Chuck was my man.
He was the one who made me say 'I want to play guitar, Jesus Christ!'...
Suddenly I knew what I wanted to do."

おめでとうございます!

2011年10月17日月曜日

Borinage

先月、雑誌「こころ」にサン・トワ・マミーのことを書きましたが、
アダモの子供時代のことをもう少し知りたくて、
ちょっと本を読んでみることにしました。
Adamo -C'est sa vie. です。
 子供時代と言いましたが、
それはつまり、一家がベルギーに移民した時代、ということです。
ベルギーのグランまでは、
シチリアからだと、丸々3日かかったようです。
1947年のことです。

アダモ一家は、その1年後、
グランから5キロほどしか離れていないジュマップに引っ越します。
ここのほうが、父アントニオが降りていく「28番炭鉱」により近いから、
ということのようです。
そしてそこは、ボリナージュの一角です。

でこのへんまで読んで、ちょっと調べモードに入り……

ボリナージュは、有名な炭鉱の町(というか、地域)です。
世界的に有名なドキュメンタリー作家・ヨリス・イヴェンス、
彼の『ボリナージュの悲惨』(1933)は、まさにここで撮られたわけです。
(フランスでは、彼のDVD ボックスが出ています。)

またそれより前、
あのゴッホが伝道師として住んでいたもの、このあたりです。
炭鉱夫たちに説教して回るゴッホ……
上の画像は、ゴッホが書いたボリナージュです。
1878年頃です。

またゴッホよりもさらに10年ほど前の、
このボリナージュに近いマルシエンヌ辺りを舞台にした小説もありました。
ゾラの『ジェルミナール』です。
(まあこの時代のことなら、たいていのことが出てきますね、ゾラは。)
これは『居酒屋』の主人公ジェルヴェーズの息子、エチエンヌが主人公です。
彼もまた炭鉱夫です。

……やっぱり、調べてみると(って言っても半日ですが)、
何かしら出てくるものですね。
それにしても、炭坑夫という仕事は、おそろしくきつそうです。
にもかかわらずアダモの回想によると、父アントニオは一切、
きつそうな素振りは見せなかったそうです。

2011年10月16日日曜日

業務連絡(解答)


木曜の小テストの解答です;

1) Jeanne est venue ...
2) Je lui ai téléphoné ce matin.   *目的語代名詞は、<助動詞+過去分詞>の前。
3) On a profité des prix spéciaux.    *profiter de ~ 「~を利用する」
4) Qu'est-ce que tu as acheté ?
5) Il y a eu du lait ...

6) ..., nous sommes sortis souvent ...         *男女混合

7) Est-ce qu'ils ont quitté leur pays ?
8) Tu n'as pas pensé à tes parents ?    *penser à 人
9) Ses parents ont décidé d'aller à Paris.
10) Elle a pu faire des provisions ...

11) Marie a été secrétaire à Paris.       *動詞 être の複合過去→助動詞は avoir
12) Nous avons aimé les enfants.    
*「その子たちを愛した。」→「その子たちが気に入った。」くらいの感じ。
 13) A-t-il eu une voiture ?      (←Il a eu une voiture. の倒置疑問。)
14) Vous avez été très aimable.   →ありがとう、ということ。
15) René et Yves ont travaillé ...

16) Nous sommes arrivé(e)s ...
17) Vous avez vu la moto ...        *devant le théâtre は、la moto にかかります。
18) Jeanne et son mari sont allés ...     *男女混合
19) Je suis sorti souvent avec elle.        *「しょっちゅう彼女とデートした。」
20) Elle a rencontré ma famille.

和訳も範囲です。トライ!

『カニバル<食人種>』


昨日、『植民地を謳う』について書きましたが、
この本の冒頭には、1931年に開催された、
「パリ植民地博覧会」が紹介されていました。

この悪名高き博覧会については、
すでに何冊かきっちりした研究書が出ていますが、
わたしにとって印象に残っているのは、
小説『カニバル<食人種>』です。

これを書いたのは、どういう巡り合わせでしょう、
このところ何度か登場しているディディエ・デナンクスです。
(訳したのは、かつて明治の理工学部でも教えてらした高橋啓さん、
担当した編集者は津田新吾さんです。)

当時フランスは、フランス「本国」の20倍の植民地を持ち、
その世界中に広がる領土から物産品をかき集め、
それをパリで展示しようとしました、「大フランス帝国」万歳! というわけです。
まあそれもか~な~り問題ですが、
さらにまずいのは、「人」も展示したことです。
しかも、たとえばニュー・カレドニアの人たち100人の場合は、
パリ旅行でも行かない? みたなノリで連れ出しておいて、
パリではなんと「食人種」を演じさせられ、
外出禁止、しかも冬なのにまともな服も、さらにはまともな食事もなし、
という扱いを受けます。
しかもフランスは、彼らのうち30人をドイツの動物園に貸し出す始末……

「彼ら」は人間と動物の間の存在で、
我ら文明の絶頂に位置するフランス人は、
「彼ら」を教導する責務がある、
……とフランス人は思ったわけでしょう。
(もちろん全員ではありません。
この博覧会にはっきりと反対した、
たとえばブルトンをはじめとするシュルレアリストのような人たちもいました。)

デナンクスの『カニバル』は、この事件を題材として、
ドイツに連れて行かれた恋人を探し求める男の話です。
2人は、カナキー(ニュー・カレ)ではいつも一緒だったのに。
彼は友だちとともに、1931年のパリを歩きます。
バルベス・ロシュシュアール駅前で、大暴れします……

解説で高橋さんが言うように、この時代は、
世界恐慌と第2次大戦の狭間であり、
ヨーロッパ人にとって、この博覧会は些細な出来事だったかもしれません。
けれども、カナク(ニュー・カレの先住民)たちにとっては、
些細どころじゃなかった。
サッカー・ファンなら覚えているかもしれませんが、
かつてレ・ブルーに、カランブーというカナクの選手がいました。
彼の曽祖父は、この博覧会に連れて行かれた一人だそうです。

たった80年前の出来事です。

2011年10月14日金曜日

明日、池袋で


実は明日は、このまたとない顔合わせを、楽しみにしてました;

http://www.libro.jp/news/archive/002084.php

ただ残念ながら、完全に風邪です。
出かけるのはムリかも……(涙)

シャンソン・コロニアル


今日の授業では、ず~っとかすれ声でしたが、
ピン・マイクのおかげで、まあなんとか授業できました。
学生には聞きづらかったと思いますが。(デゾレ!)

さて先日、取り次ぎに勤めてらっしゃるアキちゃんから、
ある本を紹介してもらった、と書きました。
その本とは、
植民地を謳う ――シャンソンが煽った「魔性の楽園」幻想』
です。
この本の帯にはこうあります;

フランスはかつて一大植民地帝国であった。
(……)現地の人びとを「野蛮人」や「食人種」として侮蔑しながら、
男たちはそこに楽園幻想を抱き
「女・裸・阿片」を謳い上げる「植民地シャンソン」を生み出した。

ポイントは「植民地シャンソン」、シャンソン・コロニアルです。
わたしはこういうジャンルがあることさえ知らなかったので、
蒙を啓かれる思いで読みました。

ただ紹介されている歌の中には、
知っているものもあります。
たとえばあのジョセフィン・ベイカー(ジョゼフィン・バケール)の「2つの恋」。
これは有名な曲だし、そういえば一時、親がよく家でかけてました。
これです。J'ai deux amours, mon pays et Paris...

http://www.youtube.com/watch?v=4owwqtTqtdA&feature=relmfu

この1930年の曲は、
「アフリカで、パリへ去った恋人のコロン(植民者)を想って唄う」ものだというのですが、
そうだったんでしょうか?
もしそうだとすれば、驚きです。
単純に、パリへの憧れ、くらいに思ってましたから。
(それにしても、植民地から見た憧れ、ではあったわけでしょうが。)
それはともかく、
「ジョセフィン・ベイカーの唄には、仏植民地」などが頻繁に登場し、
「植民地の女王」が歌うことで、
それらの植民地がいわば「お墨付き」をもらった、という著者の主張はおもしろいです。
ジョセフィンはルイジアナの出身で、NYでも歌い、
その後パリにやってきてブレイクした歌手・ダンサーです。
もちろん彼女は黒人ですが、それでも、
アフリカの植民地を代表するのにふさわしい歌手という気はしませんね。
その役自体が作られたもので、
「フランス」が必要としていた、と考えるほうが自然でしょう。

この本、正直に言うと、
構成、引用、表記の仕方などに、改善の余地があるかなとも思います。
でも、読み始めたら一気に読めたし、
わたしの知らなかったことがたくさん書いてあったし、
さまざまな「刺激」に満ちた inspiring な本であると思います。

アキちゃん、ありがとうございました!
今後ともよろしくお願いします!

2011年10月13日木曜日

「影響」


昨日から、やや喉が……と思っていたら、
今朝もまだやや違和感があり、
1時間目はまあフツーに授業できたものの、
2時間目の中盤ではかなり声が出にくくなり、
終わった後は完全にガラガラ声に!
というわけで、今は声がちゃんと出ません。
でも、喉が痛いわけじゃないのがやや不思議。

今日は、書きたい本のことがあったのですが、
それは明日以降に回して、
まあどっちでもいいようなネタを。
ビヨンセです。

たしか昨日のニュースで、
「盗作だ!」と訴えられていた新曲「カウントダウン」の振り付けについて、
その「影響」をビヨンセが認めた、というのがありました。
でもこれ、まあ誰が見ても、
知らなかったとは言えないよね、という印象です。

ただそれよりも、
わたしが気になったのは2つ。
まず、振り付けの著作権て、どこまでが範囲なのか難しい、ということ。
(考えたことありませんでした!)
それから2点目は、この訴えたほうの振り付け師のダンス、
ちょっといいじゃん! ということです。
これです;

http://www.youtube.com/watch?v=D5TcCNEG-Ro

最初は、8分は長いな、と思いましたが、
結局最後までじ~っと見ちゃいました。
おもしろい!

でこれに「影響」を受けたのがこれ。
途中にもチョイチョイ似た場面がありますが、
1番はっきりしてるのは、3分18秒あたりからです;

http://www.youtube.com/watch?v=2XY3AvVgDns&ob=av2e
 
Dangerously in love の頃、ビヨンセが大好きでした。
最近は、あんまりいいリスナーじゃないんですけど、
やっぱり新曲は気になりますね。
 
*画像は15区のシトロエン公園。

2011年10月11日火曜日

セーヌの記憶


直前の投稿(『ペレ』)の画像は、

http://mangrove-manglier.blogspot.com/  

から無断借用したものです。
(中村さん、ちょっと使わせてくださいね!)

そしてパリ在住の中村さんが、今日(11日付で)書いている内容は、
先日ここでご紹介した『記憶のための殺人』の重要事件でもあります。
ぜひ読んでみてください。

『ペレ ---- ハワイの神話』

今日の午後、
今月末から始まる展示(@ギャラリー・ゼロ、生田キャンパス内)で使う、
朗読と写真を組み合わせたものの試作を見る機会がありました。
メンバーは、共同研究をしている5人です。

ただ写真を並べるだけじゃ物足りない、というので、
この声と映像の共作に行き着いたわけです。
これがね、若手のエース波戸岡さんが、センス良く作ってくれていました。

まったく最近の若い者ときたら!

でそのあと、共同研究のリーダーでもあり、
稀代のチャレンジャーでもある管啓次郎さんがそこに現れ、
何をするのかと思ったら、歌の練習! でした。

実はさっきの「試作」には、管さんのウクレレ即興演奏がちょいちょい入っていて、
これがなかなかいいんです。
(ラジオをやっている時だったら、ジングルに使いたかった!)

ただ今は、弦楽器じゃなくて歌です。それもハワイアン。
どうやら、コレのための練習なんですね;

http://www.saravah.jp/tokyo/schedule/log/20111023.php

↑ には「朗読」とありますが、歌もあるんですね。
しかも! Ayuo さんもかなり気合入ってるようです。

日曜の夜のひと時、
BIG WAVE に身を任せてみるのは、いかがでしょうか?

2011年10月10日月曜日

ジャニックさん


ジャニックさんが、ブログを始めました!

http://janickmagne.blog.lemonde.fr/2011/10/10/la-gentillesse-des-telespectatrices/

読みやすいフランス語で、
ジャニックさんらしいユーモアもありますね。
中級のみなさん、トライ!

*画像はケ・ブランリの、ジル・クレマンによる庭です。

双十節


100年前の今日、10月10日に起こったことといえば、
そうです、辛亥革命ですね。
10 が2 つなので、「双十節」とも呼ばれるそうです。
中国より、むしろ台湾でのほうがにぎやかに祝われるとも読みました。

パリ13区の中華街のことを調べていると、
当然中国の近代史が問題になります。
フランスや「列強」との関係がはっきり浮かび上がってくるのは、
やっぱりアヘン戦争(1840~42)以降ということになるのでしょう。
明治維新が1868ですから、それより少し前ですね。

中国と「列強 Grandes puissances」の関係、といっても、
それはつまり、「列強」による植民地化のことです。
中国はそれに抵抗(もちろんね)し、
その動きと内紛が絡み合って、
結果として、
中国近代史はとてもとても複雑な絵を描き出しているように思えます。
国共合作の時期があるかと思えば、
国民党が抗日運動を禁じている時期があったり。

知らないことが多くて、
何を読んでも新鮮なんですが、
たとえば、義和団事件(1900)の賠償金を得た「列強」が、
そのお金で中国に教育機関を作ったという話は、興味を引かれました。
アメリカが清華大学を作り、その学生たちをアメリカに留学させたり。

一見中国に貢献しているように見えながら、
これは「文化侵略」だ、という見方も当然あります。
フランスは、つい10年ほど前まで徴兵制があったわけですが、
その頃、徴兵逃れでフランス語教員になり、
日本に赴任してくるフランス人たちがいました。
兵役1年の代わりに、外国でフランス語を2年教える、
という選択肢があったと聞きます。
フランスが「言語覇権主義」だという場合、
このへんのやり方を指しているのでしょう。

先日ご紹介した『島の水、島の火 Agend'Ars 2』には、
こんな一節があります;

けれども忘れられた島の響きに
私の創造を託すことができないのだ
どれほどの倒錯かと笑われようとも
私はボードレールの言葉で書くしかない  (ⅬⅥ)

この「私」とは、1928年にマルチニックで生まれ、
18歳の時奨学生としてパリに向かった詩人です。

翻って、この極東でフランス語を勉強する場合、
でも「相手」の意図とは別のところで、
この言葉に近づいていくことはできるでしょう。(もちろんね)
フランス語(に限りませんが)は、「フランス」だけの言葉じゃないことが、
もう分かっているからです。

*画像は、パリの Jardin d'acclimatation の園内です。

2011年10月8日土曜日

1 円


先日、1円(送料250円)で買ったこの本、
今のわたしの興味にあまりにぴったりで、はまりました。
これです;

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E5%8B%A4%E5%B7%A5%E5%80%B9%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%9B%9E%E6%83%B3%E2%80%95%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E3%81%AE%E4%B8%80%E6%BA%90%E6%B5%81-1976%E5%B9%B4-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BD%95-%E9%95%B7%E5%B7%A5/dp/B000J9LRSQ/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1318083474&sr=8-1

発売が1976年ですから、
もう35年前なんですね。

勤工倹学、というのは、雑に言えば、
第1次大戦末の1917あたりから数年間行われた、
中国人労働者のフランス留学制度です。
半分働いて半分学ぶ、
こうすれば、お金の無い若者たちでも、
フランスで「新教育」を受けられる、というわけです。
周恩来や鄧小平も、そのメンバーだったことは、
以前ここでも触れましね。

でもこの制度、その実態がどうもうまくつかめないんです。
その大きな理由の1つが、
当時の中国の政治状況の乱れ具合です。
辛亥革命は終わっていましたが、
あちこちに軍閥はあるし、
大地主みたいなのもいるし、
税金を含めたお金の流れが複雑だし、
さらにいえば、
貧しいっていってもどれほど貧しいのかよく分からないし、
行った先のフランスでどんな生活だったのかもはっきりしないし。

でこの本は、実際にこの制度を使ってフランスに行った人の回想です。
彼は、共産主義の校長先生にやさしくされたり、
悪名高いルノーのセガン工場で働いたり、
時にはパリを見学したり、
1920年のフランスでの彼らの生活が、リアルによみがえります。

そしてこの本、「注」がすごく充実。
35年前にこの本を訳しておいてくれて、ほんとにありがたいです。
本というのは、「未来へのプレゼント」でもあるわけですね。
今回は、しっかり受け取らせていただきました!

200万部


本文18ページ、3€(310円)。
この大ベストセラー本の話題が、
今日はNHKの海外ニュースでも取り上げられていました。
翻訳が34語、売り上げは200万部を超えたそうです。
この本です;

http://www.amazon.fr/Indignez-vous-St%C3%A9phane-Hessel/dp/291193976X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1318078025&sr=8-1

訳せば、『憤れ』とか『憤慨せよ』とでもなるでしょうか。
社会的不正義に対して、憤れ、若者よ、行動するんだ、
というメッセージがつづられているようです。

書いたのは、元レジスタンスの闘士で、今93歳の男性です。
たとえば「デモ」を例にとれば、
フランスでは日本の何十倍も行われているでしょうし、
すごく身近なはずです。
それでも著者の眼には、おとなしいワカモノ、と映るようです。

『憤れ』に話を戻せば、
ちょっと驚くのはAmazon France でのコメントが275もあること。
平均が3.5くらいですから、
みんなが絶賛、というほどでもないのでしょうか。
まあ、20ページもないわけですから、
本というよりパンフレットかもしれませんが。

ニュースによると、12月には翻訳も出るようです。

2011年10月7日金曜日

4年生


わたしたちの小さな研究室は、
飾り気のないビルの、5階の北側に並んでいるのですが、
そのフロアの中央辺りには、
ちょっとした「憩いの空間」(?)が設けられていて、
そこに置かれたテーブルでは、
時に学生たちが勉強したり、昼ご飯を食べたり、おしゃべりしたり、寝たり、
しています。

今日そこを通りかかった時、
見覚えのある女子学生が、友だちとしゃべっているのが目に入りました。
Kさんは今4年生。
ということは、わたしと同期入学(?)で、
最初の「東京詩」の学生の一人でした。久しぶり!

「就職は?」
「決まりました。地元の県庁に」

それはよかったです。
で話しているうち、友だちのほうも、

「わたしも先生の『フランス映画』出てたんですよ」

ああ、そう? すみません!
ただあの授業は、20人の半期で、
直接話すという機会もなかったので……

「『ニキータ』を半分見て、その続きを書くっていう宿題、
おもしろかった!」

ああ、そんな宿題もありましたね!
でも去年から、「フランス映画」は「ワールド映画」に変身し、
たとえば今週も、レバノン映画を見たんだけどね。

「ああ、それも出たかった」

彼女は、大手メーカーに就職が決まっているとのこと。
すごいですよね、とKさん。

それにしても2人とも、
とてもまじめで勉強熱心なのが、
言葉の端々から伝わってきます。
県庁でもメーカーでも、
2人ともきちんと仕事をしていくでしょう。

ちょっと早いけど、卒業おめでとう!

2011年10月6日木曜日

コントラスト


今日の授業中の、パリの gare 「駅」についての雑談から;

フランスは、その国作りの過程で、
色~~~んなものをパリに集中させてきました。
だからパリは突出していて、
たとえばフランス第2の都市リヨンと比べても、
だいぶ差がある気がします。

逆にたとえばドイツなどは、
そうじゃないと言いますね。
いわば、75点くらいの都市がいくつもあるというか。
ベルリン、ボン、フランク……

ところがパリの「駅」は、1極集中していません。
gare は6つあるわけで、これははっきり分散してます。
もしこれが1つだったら、それは便利だったでしょう。
東京でいえば、すべての長距離列車のターミナルが東京駅だったら、
大阪から山梨に行くのも、取り換えは楽々です。
でも東京も、そうなってません。

フランスは、国作りは1極集中だっただけに、
そうして作られた都市(パリ)の内部で、
別の基準が適用される場合があったことは、
なにか強いコントラストを感じてしまいます。

そして6つのgare を繋ぐために発達した面もあるのが、メトロ。
(あるいは1930年代以前は、Petite Ceinture という路面電車。)
都市は、もちろん自然発生的な部分もあるけれど、
基本的にはあるヴィジョンのもとに「計画された」ものです。
時代の要請に合った「計画」が、そうして生まれるのでしょう。

でも「計画」って、その通りにはなりません。
だから結局は、自然発生的な部分が「計画」を補い(あるいは浸食し)、
生きている街になっていくのでしょう。

……というような雑談でした!

2011年10月5日水曜日

『記憶のための殺人』


いや~、今日は冷たい雨でしたねえ。
急に肩が凝ってきました。(って関係ない!?)

今日は、ディディエ・デナンクスという作家の
『記憶のための殺人』(Meurtres pour mémoire)
という小説を読みました。
たしかこの小説に、ペリフェリックの話が出てきたような気がして。
で、たしかに出てきてたんですが……

http://www.amazon.co.jp/%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%AE%BA%E4%BA%BA-%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8-%E3%83%87%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4794206232/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1317825424&sr=8-3

この翻訳、出てすぐ読んだ覚えがあります。
1995年には、話題の小説でしたし。
そして16年ぶりに読んでみて、
あの頃は全然読めてなかったことに、はっきり気づきました。

当時は、サスペンスとしてもおもしろいと思ったんです。
もちろん今回もそうは思いましたが、
このサスペンスという点では、
やはりアメリカやイギリスの熟練の書き手には及ばないかな、
という気もしました。

でもその代わり、
デナンクスには「歴史性」への意識があって、
それはとても貴重&稀少なものです。
そしてもう1つ。
デナンクスのパリの描き方が、その正確で微細なところが、
なかなかいいんです。
95年にはなかったけれど、今あるもの、
それはストリート・ヴューです。
まったくこれのおかげで、
小説の読み方が変わった気さえします。
ちょっとした坂も、石段の数も、分かるんですからね。

巻末の解説(堀茂樹)も充実しているし、
楽しみながら学べる本です。

2011年10月3日月曜日

『島の水、島の火  Agend'Ars2 』


今日は楽しみにしていた新刊詩集、
管啓次郎 『島の水、島の火  Agend'Ars2   アジャンダルス 2
を読みました。

http://sayusha.com/sayusha/903500560.html

管さんは、今回の第2詩集について、
「追悼の色彩」(あとがき)という言葉を使っています。
自分の追悼の気持ちを、押し隠して、書く、
ということも可能かもしれません。
でも管さんはそうはせず、
ずいぶん深い、まったく光が差し込まないようなところから、
出発し、
もう1度(もう何度?)、言葉を呼び寄せています。
そしてその言葉は


雨滴は太陽に挑むことができず
砂粒は風にけっして勝てない
そのように言葉はひとしずくの雨、ひとつぶの砂として
蒸発を受け入れ、制御できない飛行を甘受する
それでもこの雨滴に喉をうるおし
この微細な砂粒にしがみつく虫がいるだろう
われわれは虫だ、われわれはあまりに小さい
すべてのわれわれが虫だ、あまりにはかない
この小さな体と感覚器の限界に捉われながら
世界を語らず、ただ世界の光と雨に打たれて生きている  (Ⅰ)

これは決意と言っていいのでしょう。
そしてこの決意から、この詩集は始まるわけです。

もちろん、直截な追悼ではない詩もあります。
引用したい詩は多いけれど、たとえば;

断崖を愛する心には二つの方向があった
それを聳えるものと見るかそれとも奈落と見るか   (Ⅹ)

「森に入ってはいけない、お前の心が暗い時には」
それでその朝ぼくはすべての暗い考えを捨てて
森へゆく祖父やオジたちについてゆくことにした
かれらは舟を探しにゆく、このカウリの森の深いどこかに
今年のワカ(カヌー)が埋まった一本の巨木がある
そのまっすぐな樹木を伐り出し
村に持ち帰ってから舟を彫り出すのだ   (ⅩⅩⅩⅥ)

すべてを運動とプロセスにおいて体験しよう
絶えず変化する私/私たちの devinir に賭けよう
それが créolisation(クレオール化)、気象のように、海流にように  (ⅬⅦ)


世の中には、うまい文章を書く人がいます。
それはそれで羨ましいことです。
でもこの詩集の日本語は、
そういうものとは違う気がします。
そうではなく、立ち止まろうとする日本語の肩を掴んで、
揺らしているのです。
もし、立ち止まりたくないなら、
ぜひ読んでみてください。

2011年10月2日日曜日

『投奔怒海』


今日は、同僚の中国語の林さんから借りた
『投奔怒海 BOATPEOPLE』
という中国映画を見ました。(英語字幕)
香港を中心に活躍するアン・ホイ監督の、1982年の作品です。
知りませんでしたが、かつて日本でも公開されたんですね。

タイトルから想像できる通り、
戦争後のベトナムが舞台です。
細かく言うなら、1978年、ベトナム中部の港町ダナン、
それが舞台です。

主人公は日本人カメラマン。
彼は政府にVIP待遇で扱われ、
いわばベトナムの表向きの顔を見せられます。が、
色んな人との出会いを通し、
その過酷な、つまりボートピープルを生み出すような現実を知るようになります。

http://www.youtube.com/watch?v=xIXVoJpLy0E

見ていて辛くなります。
でも考えてみれば、
あんなちっぽけなボートに自分の運命を賭けるしかないなんて、
日常がどれだけ惨いか、の裏返しなわけですね。

最近、パリの中国系移民のことをぼちぼち調べてみて、
出発地の状況をもっと知らないと、
と思うようになっています。
勉強しないと!

『アイデンティティーと暴力』


たまたま昨日の夜、アマゾンで注文したばかりの本、
『アイデンティティーと暴力』
が、今朝の朝日の書評で取り上げられていました。
まだ1行も読んではいないのですが、
これで期待が高まりました。
キーワードは、「アイデンティティーの複数性」のようです。
人間を、何らかの単一のアイデンティティーに「還元」してしまうとき、
暴力が避けられなくなる…… という内容のようです。

むか~し、NYを評して、
「人種の坩堝(るつぼ)」というのが定番でした。
でもその後、溶けあってないから「サラダボール」だとか、
いやドレッシングさえ同じじゃないから「野菜籠」とか、
「モザイク」だとか、「パッチワーク」だとか、
いろんな表現が試されては消えていった気がします。
パリを、村の集まりだ、ということも(今も)あります。

それぞれの村人が、たった1つのアイデンティティーしか抱かなければ、
それは「衝突」に至るしかない、とも考えられます。
それを越えるには、というのは、
とにかく大問題なのは間違いないと思います。

2011年10月1日土曜日

10月号


今日発売の「かまくら春秋」10月号に、
先月号の続きを寄稿しています。
これで上下完結です。
神奈川方面の方は、よろしければ!

http://kamashun.shop-pro.jp/?pid=35263328