2011年10月2日日曜日

『アイデンティティーと暴力』


たまたま昨日の夜、アマゾンで注文したばかりの本、
『アイデンティティーと暴力』
が、今朝の朝日の書評で取り上げられていました。
まだ1行も読んではいないのですが、
これで期待が高まりました。
キーワードは、「アイデンティティーの複数性」のようです。
人間を、何らかの単一のアイデンティティーに「還元」してしまうとき、
暴力が避けられなくなる…… という内容のようです。

むか~し、NYを評して、
「人種の坩堝(るつぼ)」というのが定番でした。
でもその後、溶けあってないから「サラダボール」だとか、
いやドレッシングさえ同じじゃないから「野菜籠」とか、
「モザイク」だとか、「パッチワーク」だとか、
いろんな表現が試されては消えていった気がします。
パリを、村の集まりだ、ということも(今も)あります。

それぞれの村人が、たった1つのアイデンティティーしか抱かなければ、
それは「衝突」に至るしかない、とも考えられます。
それを越えるには、というのは、
とにかく大問題なのは間違いないと思います。