2011年10月17日月曜日

Borinage

先月、雑誌「こころ」にサン・トワ・マミーのことを書きましたが、
アダモの子供時代のことをもう少し知りたくて、
ちょっと本を読んでみることにしました。
Adamo -C'est sa vie. です。
 子供時代と言いましたが、
それはつまり、一家がベルギーに移民した時代、ということです。
ベルギーのグランまでは、
シチリアからだと、丸々3日かかったようです。
1947年のことです。

アダモ一家は、その1年後、
グランから5キロほどしか離れていないジュマップに引っ越します。
ここのほうが、父アントニオが降りていく「28番炭鉱」により近いから、
ということのようです。
そしてそこは、ボリナージュの一角です。

でこのへんまで読んで、ちょっと調べモードに入り……

ボリナージュは、有名な炭鉱の町(というか、地域)です。
世界的に有名なドキュメンタリー作家・ヨリス・イヴェンス、
彼の『ボリナージュの悲惨』(1933)は、まさにここで撮られたわけです。
(フランスでは、彼のDVD ボックスが出ています。)

またそれより前、
あのゴッホが伝道師として住んでいたもの、このあたりです。
炭鉱夫たちに説教して回るゴッホ……
上の画像は、ゴッホが書いたボリナージュです。
1878年頃です。

またゴッホよりもさらに10年ほど前の、
このボリナージュに近いマルシエンヌ辺りを舞台にした小説もありました。
ゾラの『ジェルミナール』です。
(まあこの時代のことなら、たいていのことが出てきますね、ゾラは。)
これは『居酒屋』の主人公ジェルヴェーズの息子、エチエンヌが主人公です。
彼もまた炭鉱夫です。

……やっぱり、調べてみると(って言っても半日ですが)、
何かしら出てくるものですね。
それにしても、炭坑夫という仕事は、おそろしくきつそうです。
にもかかわらずアダモの回想によると、父アントニオは一切、
きつそうな素振りは見せなかったそうです。