2012年2月3日金曜日

『混成世界のポルトラーノ』のこと


『混成世界のポルトラーノ』のこと、少し書かせてください。
ちょっと長くなるかも。

左右社のHPには、こんな紹介が;

「テクストと写真で描く、現代世界を旅するための航海図。

北京、南台湾、ボルネオ        林ひふみ

大連、モントリオール、パリ       清岡智比古

ダッハウ、ネヴァダ、タスマニア   波戸岡景太

デリー、大東島、洛山          倉石信乃

ヒロ、ラハイナ、ホノルル         管啓次郎

文化と文化が出合う地を、旅人の視線で歩き、研究者として捉え直す。」

この通りなんですが、もう少し詳しく言うと……

まず最初の林さんの北京、いきなり引きこまれます。
林さんは、中国語圏では有名作家(新井一二三)なんですが、
その理由がはっきり分かる力の漲った文章です。

1つのキーは「ユーラシア」。
この大きな視点へと広がる瞬間ははっとさせられますが、
それは同時に、街中のなんでもない風景に向けられた視線と隣り合うことで、
全体が、こちらの胸の中にぐっと落ちてきます。
この文章は信用できる、と思えるのです。
たとえばこんな場面、

「建物の中は暖房もあまりきいておらず、
客はみな分厚い綿入れのコートを着込み、
人民帽と呼ばれたカーキ色のキャップか、
毛皮の耳当てがついたロシア人のような帽子をかぶり、
背中を丸めてテーブルを囲んでいた。
照明も薄暗く、店内は鍋から立ち上る湯気で白っぽく霞んでいた。」

丸まった「背中」が、湯気の向こうから迫ってきますね。

ただ林さんの文章の困る点は、お腹がすくこと!
どうしてこうも美味そうなものを集めて来られるのか?
彼女は普段からはっきり言っています。

「人間はね、食べたものでできてるの!」

おっしゃる通り。
ただこれが、「美食」に堕落することなく、
まあなんというか、大げさに言えば、
生命の源を目指す旅になっていること。
それが林スタイルです。

そしてもう1つ、これは管さんの文章などにも顕著なのですが、
1つのエッセイの中に、時間の遠近法がすでにしまいこまれているという、
訓練された「大人」にしか実現できない骨格があります。
これは若い人にも、今後持ちえるかもしれない視点として、
ぜひ若いうちに感じておいて欲しいと思います。
(わたしもそうしてればなあ……)

ところで、この本では5 人が、
いわばバラバラな場所のことを書いている、という印象があるかもしれませんが、
そんな単純な話でもないんです。

まず、今の時代、ある場所とちゃんと向き合おうとすれば、
どうしてもさまざまな場所からの波音が聞き分けられてしまう、
という事情があります。
これがこの『混成世界のポルトラーノ』を読んでいただくときの、
醍醐味の1つになっていれば、と思っています。

また、もっと具体的に、15 の場所は、響き合ってもいます。
たとえば、林さんが

「日本女性を母に持つ鄭成功の像が立つ台南駅(1936年竣工)のデザインは、
東京の上野駅(1937年)にそっくりだ。
中国東北地方で日本人が建設した旧満鉄大連駅とも。」

が書くとき、それはわたしの担当部分の、若い女性のセリフ、

「あ、大連駅を過ぎました。」

というなんでもない1文と、呼応しているわけです。
そしてもう少し大きな文脈で言うなら、
「ダッハウ」も、「大東島」も、もちろん関係がありますし、
最初の大東島踏査が行われた1885年、
「ハワイ島」には、944人の日本人が、
「官約移民」第1号として到着しているのです。

そして5 人の中で1番若い波戸岡さんの文章の始まり近く、
こんな印象的な一節が置かれています。

「ダッハウはダッハウではない、と詩人が言う。(……)
それが本当なら、私はその「ダッハウではないダッハウ」の方を旅したかった。」

ナチの強制収容所のある町として知られるダッハウ。
けれどもそこにそれが置かれる以前のその町は、
おそらくありふれた、それでいてちょっとした個性はあるにちがいない、
田舎の町だったのでしょう。
それが置かれさえしなければ、「世界史」に登場することもなかったような。

波戸岡さんは、その2つのダッハウの裂け目に滑り込もう、
そしてその空白じみた時間/空間から、
もう1度21世紀に帰る旅を試みているように見えます。

そして波戸岡さんが素晴らしいところは、
それが極度に個人的な試みを、社会的なものにもして見せることです。
彼は、友人たちの言葉を思い出します。

「そうだね、誰でも一度はあそこに行くべきだと思うよ。
その一言を口にすることは、
ホロコースト以後を生きる私たちの最低限のモラルだ。」

さっき、「空白じみた」と書きましたが、
波戸岡さんのデビュー作は、
『オープンスペース・アメリカ――荒野から始まる環境表象文化論』です。
このタイトルは、わたしのような年代の場合、吉本さんの、
『空虚としての主題』を思い起こさせるところもあります。
ポルトラーノからちょっとそれますが、
ここまできたらちょっと触れておきたいですね。

この「オープンスペース」というのは、
実は分かるようで分からない何物かです。
だって、空き地、なわけですから。
(言語学の定番ネタに、「穴」の定義、というのがあります。
穴には実体がなく、穴以外によってのみ説明できる空虚、なんですね。
それに近い?)
でもたとえばこれは、ごく単純に考えて、
モダン建築の並ぶ町、あるいは、
ほんとにどこにでもあるような新興住宅地、
というようなものだと言っても、そう的外れではないのではないでしょうか。
そこには、家も庭もアスファルトもあるわけですが、
(つまり本当の「空き地」ではないわけですが、)
今その住宅地を眺め渡している「私」にとって、
それは「なにもない空間」なわけです。
そしてもし、このなにもない、荒涼とした場所にこそ、
どうしようもない親しみを、懐かしさを感じるとしたら……

波戸岡さんは来年度から、ドイツで研究される予定です。
どんなオープンスペースを見出し、
そこから何を見ることになるのでしょう?
わたしも1読者として、とても楽しみにしています!

そして、日本の写真論を牽引する倉石さんは、
実はARICA というシアター・カンパニーで、
テキストとコンセプトを担当なさってもいます。
(いいなあ、才能のある人たちは!)
最初に置かれた「デリー」は、
このARICAのインド公演の体裁を取っています。
倉石さんが「デリー」で見せる文章は、ほとんど散文詩のよう。
楔のような、捩じられた鋼索のような、スリップする氷の塊のような文章なんです。

(わたし以外の4 人は、お世辞じゃなくて、みんな文章が上手。
そしてみんなお互いに似てない! 面白いですよ~)

たとえば冒頭の1行はこうです;

濃霧のインディラ・ガンディー国際空港に降り立った時には深夜零時を過ぎていた。

いいですねえ。霧は、気配の化身なのでしょうか?

そしてリハーサルの合間、カフェテリアで一服した倉石さんは、
「ターバンを頭に巻きアーガイル地のセーターの上にツイードの背広を着た
髭の濃い初老の男」に声をかけられます。
彼はどうやらヨガの行者らしいのですが、
なんと彼が話し始めたのは……

そして後半では、ニューデリーからオールドデリーへ。
小型オート三輪から降り立つ「わたし」。

「すると手ぶらのあるいは荷物を担いだ群衆が次々に視野のフレームに
飛び込んでくる。それは止まない。心の中にひとりでにスナップ写真が
いくつもできあがるのだ。」

そして倉石さんは、「群衆」を「むしろぼんやり」眺めることになるのですが、
その結果、

「多段階的な速度が視野のフレームの中に出入りしわだかまる。」

はあ。なるほど……
これを書ける人は、倉石さんしかいないでしょう。

本当は、倉石さん(だけじゃくみんなそうですが)の文章は、
もっともっと内容豊かなんですが、
それはぜひ、本文をお読み頂ければと願っています。

トリは管さんです。
これは日経に連載されていたものです。(改稿あり)
管さんは今や日本を代表する書き手の1人なので、
ここでご紹介するまでもないでしょう。
ただ今回の文章は、モトが新聞だけに、
間口を広く取ってある印象です。
(奥行きはいつも通りの深さです。)

ハワイの神話、アロハ・シャツ、ウクレレ、サーフィン……
こうして並べると定番にさえ見えかねない材料も使いながら、
織られた文章の綾は……

そしてわたしも知らなかったこの歌唱;

http://www.youtube.com/watch?v=nj70xlYGmEI

こんなことまで教えてくれます!!

……というわけで、
微熱の中での「一気書き」なので、
著者のみなさま、的外れ&失礼の節はどうぞお許しを。

そしてここを読んでくださっているみなさん、
騙されたと思って、最初から最後まで、
ぜ~んぶ読んでみてください。
いい本だと、思っていただけると、確信しています。
長々すみませんでした!