第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦から70年。第1次大戦開始からは100年。今年、現代史の節目を迎える欧州では、ことあるごとに各国首脳が集い、歴史をふりかえる。かつての敵対関係を超えて、戦争の記憶の共有が進む。歴史観をめぐって対立が深まる一方の東アジアとどこが違うのか。現地から報告する。

小鳥がさえずり、タンポポが風に揺れる。鐘の音も聞こえてきた。フランス中部の小村オラドゥールは、のどかな田園が広がる。しかし、時間は1944年6月10日で止まっていた。

■廃墟の村を保存
 村全体が廃虚だ。崩れ落ちた建物をのぞくと、赤茶色にさびたミシンがある。道には自動車の残骸。焼き打ちされた教会では、鉄枠だけの乳母車が、70年前の惨劇を伝えている。

 この日、ナチス親衛隊が村を占拠。村民を納屋や教会に閉じ込め、火を放ち、一斉射撃した。女性と子供を含む642人が虐殺された。その4日前に連合軍がノルマンディーに上陸している。村は抵抗運動とのつながりを疑われたが、武器は見つかっていない。戦後仏政府は、虐殺を歴史にとどめるため、村をそのまま保存することを決めた。

 昨年の9月4日、ドイツのガウク大統領とフランスオランド大統領が、連れ立って村を訪れた。69年の歳月を経て、村が独大統領の訪問を受け入れたのである。2人は、生存者の腕をとって、悲劇の現場だった教会の祭壇に向かった。

■「真実のみが礎」
 〈ガウク大統領〉「ドイツ人が犯した重い罪に向き合うとき、深い驚愕(きょうがく)の念を免れることはありません」

 〈オランド大統領〉「真実のみが和解の礎となる。戦後両国は、過去を乗り越え、未来を分かち合うと決断しました」

 オラドゥールの地だけではない。今年6月6日にノルマンディー上陸作戦の記念式典。同月26日に第1次大戦の古戦場ベルギー・イーペルで開かれた欧州連合(EU)首脳の会合。8月3日には独仏開戦100年式典と、共同行事が続く。

 第2次大戦後の冷戦下の欧州では、今日のEUに発展する地域統合が進んだ。ドイツは欧州の一員に徹する道を選び、フランスは受け入れた。和解の環境が整っていたといえる。だが、それだけでは、十分ではなかった。

 「和解は、両国の単なる経済協力の延長でもなければ、社会に自然と浸透するものでもない。双方の指導者層の間に、和解を成し遂げようという明確な意志があり、首脳がそれにふさわしい象徴的行動をとり、指導的役割を果たしたことが大きかった」と、ロンドン大学のアントニー・ベスト博士(国際関係史)。