2018年2月16日金曜日

銃乱射

アメリカでの銃乱射事件。
これはもう、アメリカの病そのものに見えます。
が、
いろんな人が指摘している通り、
銃はアメリカの建国神話の一部なので、
これを捨てることはなかなかできません。
(ライフル協会の利益、もあるでしょうが、
それは副次的なことがらなのでしょう。)

アメリカ映画を見ていると、
執拗にナショナル・アイデンティティーを確認しないではいられない、
という印象があります。
いつでも、
自分が誰なのか確かめていないと、
自分が誰だかわからなくなってしまうというか。
映画を通して確認し続ける行為に、需要があるというか。

アリゾナで成立した「オープン・キャリー」という法律は、
公共の場所での銃の携行を認めているそうです。
たとえばモールには、
そんな人がたくさんいるわけです。

そして1つ大事なことは、
トランプが大統領に就任して以降に起きたテロの犯人は、
白人系が最も多い、という事実です。
にもかかわらずそういう印象があまりないのは、
犯人が白人の場合、「テロ」という表現を避ける傾向があるから。
そして犯人が中東系の場合には、
躊躇なく「テロ」という語が使われるという事実。
これをバイアスといわず、
何をバイアスというのでしょう?