前回の続きですが、その前に、1つ確認。
産業革命(R.I.)は、
18世紀の後半にイギリスで始まったわけですが、
でもなぜ、その時期のイギリスだったのか、というのは、
なかなか難しい問題のようです。
で、諸説あるわけですが、
(『欲望の資本主義』によると)
有力なのは、
その頃のイギリスは、(さまざまな理由が重なり、結果として、)
人件費がヨーロッパで1番高かったから、
という説だそうです。
つまり、人件費を抑えるためにこそ、
技術革新が求められ、
当然、その効果が一番発揮されるのが、
イギリスだということになるわけです。
なるほどね。
では、つづきです。
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19世紀における、都市の「批評的」考察は、
以下の3種類があると考えられるようです。
① régularisation ・全体サーキュレーション(交通)
(整序化) ・オープンスペース(公衆衛生)
★資本家=企業家的論理
②pré-urbanisme i ) 急進派 ~進歩主義、未来志向的
(後に→ル・コルビュジエ、バウハウス、CIAMへ)
ii) 文化派 ~退行的、過去志向的
(W. モリスはここに入る)
★思想家たちの、理論的・理想的なプラン
③urbanisme ・都市に新たな秩序と意味を与える試み
★都市計画の専門家による
これらは、
都市が「全体的で包括的な意味」を失った後に、
都市とはなにか、という意識から出てきた考察でした。
が、
①の整序化は、結局、そうした都市の状況をさらに悪化させた、
つまり都市は、意味や記号(のシステム)として、
より不毛なものとなってしまいました。
というのも、そもそも「整序化」は、
いわば対症療法であり、
意味自体を取り戻そうとは考えていなかったからです。
せっかくのオープンスペースも、
古い公園のような意味を持てず、
単なる「緑地」でしかなかったのです。
②の「急進派」は、
後にル・コルビュジエなどに引き継がれていくことからも分かる通り、
産業社会という新しい社会にふさわしい、
秩序や意味を求めていました。
「来るべき未来」を先取りしようとしていたのです。
それに対し「文化派」は、ノスタルジックで、
失われた過去を取り戻す、ことを目指していました。
ショエは、モリスらに対して、厳しい言葉を書いています。
R.I. という、「不可逆的な」変化が理解できなかった、
というわけです。
そしてこの②の2つの「批評的」考察を受ける形で、
③の都市計画が生まれてくるわけです。
そして、上の①~③に共通する点として、
ショエは以下の3点を指摘します。
1)都市に対する批評的な、反省的な思考だった。
2)他の社会的システムがもたらす意味と切り離された結果、
都市空間自体が、価値を持つものとして認識されている。
また、
都市計画は、その背後に「理論」を持つ。つまり、
都市計画は、自己を正当化・実体化する「メタ言説」を持つ。
3)都市計画は、自然科学的なモデル(「有機体」「循環」など)を
使うようになる。
この中では、2)の指摘がおもしろいですね。
(現代アートみたい?)
これは言い換えれば、
都市は、自身の現実を批評する言説を内包している、
ということにもなるのでしょう。
急進派のモデルは、
ル・コルビュジエやバウハウスを経て、
現代の未来的な都市モデルに繋がってゆきます。
文化派のモデルは、
街並み保存、遺跡を組み込んだ再開発、さらには、
(チャールズ皇太子の)「アーバン・ヴィレッジ」などにも繋がってゆきます。
またこの両者の「時間性」は、
ちょうど逆向きのヴェクトルを示していて、
それはつまり、「現在」における、
意味の不毛化を克服しようとすることなのだろう、
とショエは言うのです……。
というわけで、
薄い本なのに、けっこうムズイのでした。
でもたしかに、
彼女の授業に出てみたかったですね。