2018年5月31日木曜日

Windows update を元に

ふだんはすぐにはしないのですが、
今回はつい、
特に考えもせず、
Windows update (April 2018 update)をしてしまったのですが、
これが失敗。
速度が遅くなり、
スリープが効かず、
シャットダウンもしなくなり、
毎回強制終了。
で、
これを直そうとしたのですが、できず。
でも、直す方法を探している途中で、
update後10日以内なら、
「元に戻す」方法があるのを、あるブログで発見。

https://syobon.jp/2018/05/06/how-to-suspend-windows-10-april-2018-update/

その通りに試してみると、
ナイス! ちゃんと元に戻り、
スリープなども使えるように。
よかった!

というわけで、
今回の大型update( April update 2018)は、
当分様子を見たほうがいいと思います。

「ご飯論法」

「ご飯論法」が話題です。
遅ればせですが、
たしかにおもしろいですね。

https://mainichi.jp/articles/20180527/mog/00m/040/004000c?inb=ys

2018年5月27日日曜日

VIXEN !

ラス・メイヤー監督の、
1968年の映画、

『ヴィクセン』

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=ffxXG7U6OV4&t=2693s 

これはまあ、ほとんど「ポルノ映画」なんですが、
なぜ見たのかと言えば、
『フレンチ・ブラッド』の中で、
そのポスターが貼ってあるのが目に入ったからです。
で、
見てみてわかりました。
この「ポルノ映画」のヒロイン、白人女性のヴィクセンは、
露骨な人種差別主義者であり、
彼女は一貫して黒人青年ネイルズを、
罵倒・忌避し続けるのです、差別語満載で。
スキンヘッズたちは、
この点を重視していたのですね。


2018年5月26日土曜日

「フランス映画の夜」

昨日の夜は、
フランス・デーの一環として行われた、

「フランス映画の夜」

でした。
見たのは、これ。

https://www.youtube.com/watch?v=LloZ9Uq8pgE

選ぶことのできた20本ほどの映画の中から、
まあ、一般的に言って、
一番選ばれそうもない作品を、
あえて選びました。
自分で見そうなものは、見ますから、ね。

でもそうは言っても、
かなり硬派な作品なので、
少し心配もあったのですが。

そして昨日。
とても幸運なことに、
とてもいい観客の方に恵まれ、
おもしろかったと言っていただき、
ほっとしました。
わたしはいい映画だと思っているのですが、
決して「おもしろおかしい」映画ではないので。

こういうイベントの最後には、
質問を募ることがおおいわけですが、
実際、質問が出ない、ということもよくあります。
でも昨日は、
とても活発に質問も出て、
しかもみんな、作品のどこかを照らすような質問で、
ちょっと感動しました!

で、終了後に受けた質問。
「山に行って、
薬剤師がマルコに読み聞かせた文章は?」

今調べたら、これでした。

Derrière chaque être vivant, il y a 30 fantômes,
car tel est le rapport des morts aux vivants.
Depuis l’aube des temps 100 milliards d’humains ont vécu sur la planète.
Ce nombre est intéressant, car par une étrange coïncidence,
il existe 100 milliards d’étoiles dans la Voie lactée.
Ainsi pour chaque homme qui a vécu, une étoile brille dans l’espace.
Chacune de ces étoiles est un soleil,
souvent plus puissant que cette étoile proche que nous appelons le soleil.
De nombreuses étoiles de la Voie lactée,
possèdent des planètes tournant autour d’elles.
Ainsi il existe certainement dans l’univers,
assez de mondes pour donner à chaque homme de la Terre,
un paradis ou un enfer qui n’appartient qu’à lui. 

Arthur Charles Clarke, préface à « 2001, l’odyssée de l’espace »

なんと、『2001年、宇宙の旅』(序文)なんですね!

2018年5月24日木曜日

Capernaum

先日終わったカンヌ映画祭。
わたしが気になっているのは、
『キャラメル』を監督・主演したナディン・ラバーキの新作、

Capernaum(カペナウム)

です。
ガラリア(イスラエル北部)にあるティベリアス湖。
その湖畔にある漁村カペナウムが舞台です。
12歳の少年 Zain は、親を訴えるのです、なぜなら、
「僕を生んだから」。

https://www.youtube.com/watch?v=x0yjVaHNYW0

これは楽しみです!


2018年5月23日水曜日

詰み

財務省から957ページが出てきて、
これはもう、ほんとうに終わりだと感じます。

そして、今、会見を見ていましたが……

https://twitter.com/tako_ashi/status/998938485200375808




2018年5月20日日曜日

総合芸術特論

われらが総合芸術系には、
全教員(と言っても5人ですけど)が、
それぞれ 3コマずつ担当するオムニバス授業、

「総合芸術特論」

なる科目があります。
この科目名はムズカシげですが、
まあ、それぞれの教員の自己紹介といった趣もあります。

*******************************************

 倉石信乃  *松重美人の写真から原爆表象を考える

清岡智比古 *前半はグローバリズムについて映画を通して考える。
       後半は、音楽を通してディアスポラを感じる。

鞍田崇  *日本民藝館の観覧・見学
      レクチャー&ディスカッション@東大駒場キャンパス

管啓次郎  *木村友祐『幸福な水夫をめぐるディスカッション。その後、
      「場所と言葉、場所の言葉ーー小説家・木村友祐さんと翻訳者・
       Doug Slaymaker さんの対話を中心に」に参加。

波戸岡景太 *小説の映画化というアダプテーション理論を学び、その後、
      ヴィデオカメラを使って、自分たちのショートフィルムを制作する。

********************************************

自分のことを別にすれば、
メチャメチャおもしろそう!!

で、昨日の土曜日の2,3,4時間目が、
わたしの担当回でした。
メインは、

『パレードへようこそ』

なんですが、
この映画の舞台となった「イギリス」の「1984年」を、
3つの文脈に置いてみることから始めました。
まずは単純に、このグローバリズムの出発点という」時代が、
(日本を含め)現代までどう展開してゆくのかということ。
そして今度は少しさかのぼって、
両大戦間から、労働党が勝利した戦後、
そして石油ショックを経てサッチャー登場までの流れの中で。
最後は、ちょっとスパンを伸ばして、
産業革命、アダム・スミスあたりから、
資本主義、労働運動、あたりをキーワードにして84年まで、です。
もちろん、わたしの専門分野ではないので、
そんなに深い話はできませんが。
でも、こうした予習の後に見ると、
『パレードへようこそ』は、いっそう輝きを放つようです。

それにしても、こんなに面白そうな授業、
ちょっとありません。
学生の時、こんな授業と出会いたかったです!!

2018年5月18日金曜日

『イギリス近代史講義』

明日のゼミの予習として、

『イギリス近代史講義』(川北稔)(講談社現代新書)

を読んでみたのですが、
驚きました、おもしろ過ぎて!
こんなに深く、興味深い内容を、
こんなに読みやすい文章で書けるなんて……

尊敬します。

2018年5月16日水曜日

『未来を花束にして』

もう水曜日。早いです。
今期は、週の前半に授業が集中しているので、
水曜の夜がくると、ほんのちょっとだけほっとします。

今週は、土曜に集中講座があります。
その参考にするつもりで、

『未来を花束にして』

を(アマゾンのPrime Video で、400円で)見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=iG6DM8RvI-g

これは、原題は 『サフラジェット』で、
女性参政権を求めていた、急進的活動家たちのことです。
まったく、イヤになるくらい不平等な世の中で、
自分たちの権利を手放したくない男たちに囲まれ、
彼女たちはほんとに苦労します。
映画はイギリスの話ですが、
もちろん日本だって、なにも変わりません。
いや、もっとひどかったかも?

でも、
まだまだまだセクハラだってガラスの天井だって、
パターナリズムだって残っていますが、
100年前に比べれば、
たしかにマシになっています。
こうして遅々としてではあっても、
少しずつ良くしていくしかないんでしょうね。
理想社会なんてものは、
永遠に来ないとしても。

2018年5月12日土曜日

「羊好き」

今月号のdancyu は、特集「羊好き」。
これは気になると思ってめくってみたら、
おや、3月のB&Bのイベント後に行った、
クスクス・ルージールの、
まさに私たちが食べた、
「炭火焼仔羊のクスクス」が紹介されていました。
あれ、おいしいんですよ。
ワインも、コルシカのピノノワールがあって。

行きたくなってきました!

2018年5月10日木曜日

フランス・デー @駿河台キャンパス

今週は、授業はもちろんのこと、
大学院のゼミをみっちりやり、
緊急の会議に出て、
たまっていた書類をこなしと、
なかなか隙間のない進行でした。
なかでも一番時間がかかったのは、
レポート読みと、
このイベントの準備でした。


わたしは、
「フランス映画の夜」
のコーナーで、解説をする予定です。
時間がかかったのは、上映する作品の選定でした。
実は、ついさっき決めたところです。
上映可能な、
ごく限られた作品の中から選ばなければならないので……

18:00~20:00
@グローバル・フロント1階

です。
よろしければ、ぜひ!

2018年5月6日日曜日

A fond

100%エンターテインメント映画、

A fond (2016)

を見てみました。
理由は1つ。
主演のジョゼ・ガルシアの作品を、
これまであまり見てなかったからです。

これ、日本語版がありました。
(YouTube ムービーもあり。)
『ボン・ボヤージュ ~家族旅行は大暴走』

『ボン・ボヤージュ ~家族旅行は大暴走~』

物語はごく単純。
夏の家族旅行に出かけたはいいけれど、
クルーズ・コントロールが故障し、
130キロのまま走り続けなければならない! 状況に。

フランス語以外、ほとんどなにも勉強になりませんが、
エンタメとしては◎でした。

2018年5月5日土曜日

Embrasse-moi

レスビアンであることを公言している、
オセアンヌ=ローズ=マリの監督主演による、

Embrasse-moi(2017)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=tq3gRW883Xk

パリで整体師をしているヒロインが、
たまたまヴァンセンヌの森で出会ったセシールに一目ぼれし、
彼女と仲良くなるまでの物語です。
そしてセシールには、飛行機恐怖症という弱みがあり、
それを克服するというのが、
もう1つの物語になっています。

たくさんのレスビアンやゲイの人たちが出てきて、
その日常さ加減はちょっと新鮮なものの、
映画としては「?」でした。
物語が単線的で、
ストーリーとのつながりが弱いエピソードが多く、
しかもそれが大したことないダンスだったりして。
「レスビアン映画」はまだ多くないだけに期待していたのですが、
ちょっと残念でした。

2018年5月4日金曜日

Du goudron et des plumes

サミ・ブアジラと、イザベル・カレという、
(わたしにとっては)ちょっと意外な組み合わせの映画、

Du goudron et des plumes (2014)

を見てみました。
全体としては軽いコメディーです。

https://www.youtube.com/watch?v=9OR2J3r2VAQ

南仏のモントーバン。
地元に生まれ育ったクリスチャンは、「見てわかる」アラブ系。
彼は妻(=今も近所に住んでいる)と離婚し、
12歳の娘ヴァネッサが生きがいで、
時にはちょっとしたオタノシミもする生活。
彼の仕事は白アリ退治なのですが、その流儀は完全に詐欺。
自分が持ち込んだ白アリを見せて、契約を迫るのです。
また、彼の父親は閉鎖された工場の元工員で、デモにも参加。
母親はすでに亡くなり、アルジェリアに埋葬されています。
(つまり、このモントーバンは、
母親の「故郷」にはならなかったということでしょう。)
兄(=ジネディーヌ・スアレム)も妻に捨てられ、
今はほとんど抑うつ状態。

クリスチャンの娘のヴァネッサは今、
「夏の3種競技会」の開会式での、
バトントワリングによる行進の練習に余念がありません。
で、そのヴァネッサと仲良しアレジアは、
シングル・マザーのクリスティーヌと暮らしています。
クリスティーヌは、現在妊娠中なんですが、
相手の男とはもう別れています。でも生む気満々です。
そして、クリスチャンとクリスティーヌが、
子供たちを通して出会うのです。
物語は、この大人の、地味な恋愛と、
クリスチャンが参加することになる「3種競技会」が、
中心になります。

前回見た La fille du patron では、
男性主人公が「アラブ系」であることは、
一度も触れられませんでした。
そして今回も、たった2度だけ、
その点が明らかになります。
1度目は、母親がアルジェリアに埋葬されていることが、
クリスチャンと父親との会話で話題になるとき。
2度目は、クリスチャンが詐欺容疑で連行された後、
クリスティーヌがクルマで迎えに来る場面。
彼は彼女に、

「アラブ人を警察に迎えに来てくれたんだね」

と、卑下と感謝が入り混じった微妙な言葉をかけるのです。
もちろん、クリスチャンがアラブ系なのは見てわかるので、
この2度はダメ押しとも言えるのですが。

(こうした点を指摘しすぎるのは、
ラベリングのようでよろしくない、
という考え方があるのは知っています。
とはいえ、この映画が(暗黙の裡に)提示している、
フランスの新しいナショナル・アイデンティティーを検討するには、
避けて通れない点だと思っています。)

そして『社長の娘』とこの映画に共通しているもう1つのことは、
舞台がパリではないこと。
共生が、地方都市でも進んでいるということなのでしょう。
特に今回の作品では、
クリスチャンが地元の代表として大会に出ます。
この意味は、小さくないでしょう。
特に、彼の母親の埋葬先を考えると。

なんということのない映画なんですが、
やっぱり、主役の2人が魅力的です。
イザベル・カレは、いつもながら地味なんですが、
なぜか好感が持てるのでした。

*タイトルについて
タイトルの du goudron et des plumes というのは、
比喩的には、「衆人環視の中で恥ずかしい思いをすること」
くらいの意味なんですが、直訳は「タールと羽根」。
実は、中世から現代まで行われている「見せしめ的懲罰」で、
昔は、罪人の体にタールを塗り、そこに羽根をつけ、
町中を引きずり回し、
その人間が罪人であることを周知させる、
というものがあったようなんですが、
これが du goudron et des plumes なんです。
けっこう酷いですが、
これは植民地でも、アメリカでも、行われていたようです。
まあ、この映画には、
そんな暗さはまったくないんですけどね。

2018年5月3日木曜日

La fille du patron

しばらく前に買っておいて、
やっと手に取ったDVDが、
そもそもなぜ買ったのか分からないことがあります。
好きな監督、あるいは俳優が出ているわけでもなく、
テーマが魅力的だ、というわけでもなく。
でも、自分で選んで買ったんだから、
その時は何か理由があったわけで、
とにかく見始めはします。
で、見終わって、
やっぱり分からない! ということも稀にありますが、
たいていは何か思い当たります。

映画を2本見ました。

A perdre la raison(2012)『理性を失うほどに』

La fille du patron(2016)『社長の娘』

です。
前者は、タハール・ラヒムが出ていて、
メディアの評価も高い作品ですが、
わたしはあまりピンときませんでした。
追い込まれた母親が、
自分の幼い子供4人を殺してしまう(!)お話です。
(しかも、「現在」を冒頭に置いて、
映画全体がその「現在」に向かってゆくというベタな構成。
しかも(×2)、その「現在」において4つの小さな棺が映るので、
観客は物語の果てに待っているものを常に意識させられるという、
なかなかの苦行になります。)
ヒロインのエミリー・ドゥケンヌは、
この映画の主演でした。

http://tomo-524.blogspot.jp/2013/11/la-fille-du-rer.html


で、後者、なんともマンマなタイトルですが、
これは(難点もあると思うものの)ちょっとおもしろかったです。

https://www.youtube.com/watch?v=3oKHwVyRzfU

舞台は、フランスの、あるさびれた町の工場とその周辺。
アラブ系のヴィタルは40歳で、
奥さんと小学生の娘がいます。
テキスタイルの工場で働いていますが、
同僚の中ではリーダー格で、
社内のラグビー・チームでは監督もしています。
このチーム、企業対抗戦で勝ち進んでいます。
このヴィタルが抱える最大の問題は、妻との関係。
愛は残っているものの、それは冷えています。

ある日この工場に、
労働環境改善のための調査をする担当者がやってきます。
アリックスは27歳。
この問題についての博士論文を書き上げたばかりで、
2週間後には、カナダの企業に着任する予定です。
で、このアリックスが、
実は「社長の娘」なのです。

この事実は隠されていましたが、
ボレッティという姓が珍しいため、
わりとあっさりばれてしまいます。
そんな中ヴィタルは、彼女の調査対象となり、
2人は急接近。
ヴィタルは、家を出ます……

監督・主演をこなしたオリヴィエ・ルストが、
ちょっと長めの文章を書いていました。


これによると、
彼は「工場労働者の息子」であり、
この映画の空間は、
彼自身が育ってきたもののようです。
そして、労働者の世界、
連帯、分かち合い、助け合い、でできているこの世界を、
社会的状況を否応なく映し出してしまうこの世界を、
描きたかったと。
また同時に、
ブルジョワと労働者という、
さまざまな「差異」を抱えた2つの階層の関係、
その「愛」の可能性についても描きたかったと言っています。
そして、

Elle (=l’équipe du rugby ) représente une France que j’aime
avec des grands, des gros, des petits, des bruns, des blonds, des chauves,
des Noirs, des Maghrébins…

ラグビー・チームは、僕の好きなフランスを表している。
そこには、大男、太っちょ、チビ、褐色の、ブロンドの髪の男、ハゲの男、
黒人、マグレブ出身者がいる。

「人民」である労働者を核とした une France「ひとつのフランス」。
そしてそこには、アフリカ系もアラブ系も含まれている、
そういう「フランス」が、彼は好きだと言っています。

ルスト監督は、明らかにアラブ系に見えます。が、
階層的「差異」を問題にするとき、
彼はこうした民族問題には触れません。
ただ、「フランス」のアイデンティティーを語るときには、
やはり「マグレブ系」という言葉を書かずにはいられないのでしょう。
(まあ、「アジア系」は入っていないんですが。)
この文章の中で、
彼はジャン・ルノワールの『獣人』にも触れていますが、
そこにも、たしかに「人民」がいました。
『社長の娘』は、
こうした意味での「フランス映画」の伝統の系譜に、
位置付けることができるのでしょう。
そう考えると、
インテリの白人であるアリックスと、
アラブ系労働者であるヴィタルの恋は、
「マリアンヌ」と「人民」の関係そのもののようです。
これは、実は新しいナショナル・アイデンティティーの「形」だと思います。

ただ一方で、難点もありそうです。

まず単純に、
アリックスがヴィタルに魅かれる過程に説得力がない。
ヴィタルが、きれいなアリックスに魅かれるのはわかります。
でも、博士課程にいたアリックスが、
唐突にヴィタルと恋に落ちるのが、理解しづらいです。

また、そのこととも繋がりますが、
ヴィタルがややマッチョすぎる。
そして、やや自己陶酔過ぎる、
精神主義的すぎるのも、気になります。

さらに言えば、アリックスの友人たち、
学位を持つ若者たちの描き方が、浅い。
博士課程の学生たちも、
それなりに苦労はあり、
あんな、グローバル金融の手先みたいな子たちばかりじゃありません。
そのことを、監督も、
したがってヴィタルも理解しない。
ここは明らかな弱点でしょう。

労働者の妻たち。
彼女らの描き方も、ややステレオタイプ。
家事をし、縫物をし、井戸端会議をし、ラグビーの応援をする。
それだけ。
ちょっとちがうような。

というわけで、
気になる点はいくつもあるのですが、
それでも、結果として、
おもしろい位置にある映画だと思いました。

*お馴染みのムサ・マースクリが、
ヴィタルの同僚として出演していました。
アラビア語も話していました。

2018年5月2日水曜日

USJ

昨日の事故、
フランスでも報道されています。

https://www.20minutes.fr/monde/2264403-20180502-video-japon-grand-huit-bloque-passagers-suspendus-dessus-vide-pendant-deux-heures?xtor=RSS-176

わたしは高所恐怖症気味なので、
あれはもう、ムリすぎ……
でもまあ、怪我人がいなくてよかったです。

*記事のタイトルの

grand huit = montagnes russes =ジェットコースター

ですね。
(形状が「8」に似てるから、「大きな8」。)

Peppa Pig

今日は気になるニュースが多いです。

中国で、あのペッパピッグが、
ネット上から削除されているという話題。

http://www.europe1.fr/international/chine-peppa-pig-censure-sur-internet-et-accuse-detre-une-icone-subversive-3640535

かわいいブタちゃんなんですが……。
でもたしかに、このペッパピッグが、
「反体制的なイコン」
になることは、
考えられないわけじゃないですね。
中国の検閲官、鋭いです。
(もちろん、検閲に賛成しているわけじゃありません。)

ところでこのニュース、
CNNでも Europe 1 でも伝えられていますが、
日本語ではまだなにもヒットしません。
ちょっと遅い?!

Black Bloc

Black Bloc、
わたしは初めて聞きました。

http://www.leparisien.fr/faits-divers/qui-sont-ces-black-blocs-accuses-des-violences-du-1er-mai-01-05-2018-7692813.php

メーデーのデモだったわけですが、
完全に「暴動」化しています。

Black Bloc は、アナーキスム寄りの過激な左翼集団で、
今回の暴動では、
反資本主義を掲げる過激集団も合流していたようです。
暴れたのは、一部なのでしょう。


the 1st Trans model of color

もう3週間ほど前のニュースなんですが、
わたしはさっき気づきました。
アフリカン・アメリカンで、トランスジェンダーのモデル、
レイナ・ブルームが、
あのヴィクトリアズ・シークレットのランウェイを歩く、
the 1st Trans model of color
になりたいと宣言しています。
VS は、more inclusive でなければ、というのです。

ヴィデオです。

https://www.yahoo.com/lifestyle/trans-model-launches-viral-campaign-first-trans-woman-color-cast-victorias-secret-194703152.html

10年前と今では、
さまざまな minority を取り巻く状況は、
ずいぶん変わった気がしますが、
さらに10年後には、
もっと良くなっているといいですね。

“We all have unique stories ;
we are just different, and we have every right to be."

Elwin Olaf


Paris etc. の中で言及される写真家、
エルウィン・オラフ。
とりわけ、2016年の Nuit Blanche (10/1)の夜に、
彼が Hôtel de Ville を使って行ったプロジェクションマッピングについて、
「素晴らしかった」と話され、
実際映像も出てきました。
それが、これ。

https://www.erwinolaf.com/art/Nuit_Blanche_Paris_2016_L-Eveil

ただ、Paris etc. の中での解釈は、
「いろんな国籍の人の顔が映し出され」
ということなんですが、
見てみると、必ずしもそうなってないし、
作品のテーマもそれとはややずれるようです。
でも、
ずれているからこそ、
映画制作者の意図がはっきりします。

オラフの作品がたくさん見られるサイトがありました。

http://www.flatlandgallery.com/artists/erwin-olaf/works/?serie=18

左の列の、写真集の名前を選ぶと、
作品が何点か現れます。
よく分からないまま、
次々見てしまいます。

adresse

これも備忘です。

マリアンヌのアパルト:
8 rue Nicole-Reine Lepaute

ジルのアパルト:
12 rue Martel

マリアンヌとノラの子供が通う小学校:
55 rue Baudricourt
Ecole Elémentaire Baudricourt

同じ通りに、書店 You Feng あり。

ノラのアパルトの厳密な住所は分からないが、
オランピアッド広場を見下ろす高層ビルの一室。
小学校まで徒歩数分。

2018年5月1日火曜日

Allison


さらに続きです。
アルザス出身のアリソンは19歳。
フィアンセとは、10か月後に結婚の予定です。
そして今回、4か月間の料理人修行のため、
初めてパリにやってくるのです。
目指す店は、シェフ・パスカル氏の名前から、Le Paris de Pascal。
(この店名、le pari de Pascal「パスカルの賭け」のもじりでしょう。)
そして住み込むのは、
186 rue Saint-Maur。(←Google Map で見つけました。)
レピュブリック広場の近くで、
同居人の可愛いミュージシャン、カンタンは、
目元に火傷らしい傷があるのですが、
それは、2015年のテロの時、
広場からほど近いカリヨンにいて負ったものです。
(アリソンが、カリヨンの前を歩くシーンがあります。
ただ、何の説明もないし、カリヨン(や隣のプチ・カンボッジュ)が、
アップになるわけでもありません。
フランス人なら誰でもわかるのでしょうか。
そうも思えませんが。
もう1点。アリソンがパリに到着してすぐ、
レピュブリック広場に来た時のこと。
マリアンヌ像をバックに自撮りするのですが、その時彼女は、
「ここにはもう décor
(テロの後、さまざまに書かれたメッセージのことでしょう)
はなくて、でもお店はたくさんあるの、バカげてる!」
と言うのです。)
テロ後のパリ、
それが1つのテーマとなる瞬間です。

ところでアリソンの姓は Rosen で、
ユダヤ人にも多い名前です。
でも、ユダヤ人のゲイの家に料理のバイトに行ったとき、
ユダヤ人て初めて見た!
と言ったりします。
(イスラムではないアラブ系のノラ同様、
先入観を否定しているのでしょう。)

上京してきたアリソンは、
良くも悪くも「田舎」的だと言えるのでしょう。
ただ基本的に「都会派」の作品なので、
アリソンが体現する「田舎」的なるものは、
概して否定的に描かれているようです。
とはいえ、アリソンの美質も、もちろん描かれています。

冒頭アリソンは、ほとんど戯画的なほど、
「お上りさん」として現れます。
服も、髪型も、雰囲気も。
そしてある晩、同居人たちの部屋での飲みに誘われ、
そこに参加した時のこと。
パリの若者たちが、FNを支持しているのは facho だと揶揄しているとき、
アリソンは言うのです、
「うちの家族はFN支持。
ファシストじゃないけど、移民のせいで、仕事がなくなってるし」
それを聞いたパリの若者たちは、
なんとまあ!
という表情。そして、その中にいた、
おそらくはアフリカ系とヨーロッパ系の両親を持つ若い女性は、
「じゃあ、わたしは仕事もっちゃいけないってこと!?」
とおどけてみせ、みんなが笑うのです。
アリソンはいじけて、部屋に戻ります。
残った若者たちは、
言いすぎだよ、という人もいれば、
言ってやんなきゃ、という人も。

その後アリソンは、
ジルの息子で遊び人のレオとキスしたり、
ディスコで知り合ったかっこいい男の子と(初めて!)寝たり、
(それをフィアンセに報告したり)
同僚の、レスビアンの女の子と寝たり、
髪を切ったり、ピアスをしたり、
ファッションを変えたり、します。
「都会に染まる」ということなんでしょう。
ただ決して、彼女の内面は荒んでいるわけではなくて、
眠っていた子供が目を覚ましたという感じ。
でも、やっぱり子供なので、
目を覚ましたのはいいけれど、結局、わがまま。
同居人たちからも、レズビアンの彼女からも、
別のアラブ系の同僚からも、そう指摘されます。
そして少しづつ、大人になってゆきます。

物語のラスト近く、
アリソンはアルザスに戻ります。
でもそれは、アラブ系のカレシと一緒にでした。
すっかり変わってしまった娘の姿、
そしてアラブ系のカレシを見た父親は、
2人を追い出してしまいます。
頑迷な田舎、ということなんでしょうが、
この辺の描き方は、ちょっと不公平かも。

このアリソン以外の女性たちは、
もう自立していますが、
アリソンだけは、この物語の中で、
少しずつ成長するのです。
Paris etc. は、アリソンの成長物語だということもできるでしょう。

ちなみに、わたしが1番好きだったのは、
アリソンの送別会でのこと。
かわいいミュージシャンのカンタンが、
Ma facho préférée !(僕のお気に入りのファシストさん!)
と笑いながら近づいてゆくと、
Je suis pas facho !(ファシストじゃないもん!)
と言いながらアリソンも近づき、
しっかりと抱き合う場面でした。

Nora


備忘録の続きです。
今回は、ノラに関わることがら。

最初にハッとしたのは、
ヘジャブをつけた女性作家へのインタヴューの場面。
その作家とヨーロッパ系白人のインタヴュアーがいる会場に、
通訳としてノラが飛び込んできます。
(書店らしい会場の外では、
上半身裸の女性たちが、
反イスラムのシュプレキコールを上げています。)
ふつうに始まったインタヴューでしたが、
途中突然、
ノラが作家にアラビア語で食ってかかります。
白人男性は
「何て言ったんだい?」
「この人はね」とノラは言います、
「ヘジャブを被ってないわたしは、grosse pute だって!」
grosse pute=デブの売春婦、なんて言われれば、
そりゃノラも怒ります。
しかもこの作家は、唾さえ吐いてみせるのです。
で、ノラは白人男性に言います、
「あなたたちは、なぜいつもこの人たちに発言権を与えるの?」
「だってそれは、人民(peuple)に発言権を与えることだから」
「わたしが peuple なの! Je suis le PEUPLE !
あなたにとって、誰が peuple なの?」
そしてノラは、
こんな仕事やってられない!
と言い捨てて、帰ってゆきます。

ノラの祖父母は、テュニスから、
ノラの父親が89歳の頃、リヨンに来た。
リヨンの、Croix-Rousse
それは必ずしも移民街ではない。
ノラは4人兄弟。

ノラの母親は読み書きができなかった。だから、
子供たちには教育を受けさせたがった。
ノラは、bac +6 (修士課程)まで進み、論文も書いた。

あるホテルのバーでのこと。
ノラとマリアンヌはすでに酔っぱらっていて、
そこにウェイターが、
つまみを運んできて、ノラに言います、
「こちらには、豚肉が入っております」
そしてウェイターが去ると、
ノラはマリアンヌに、真顔で言います、
「どうしてわたしがヴェジタリアンだと思ったのかな?」
もちろんこれは、
ノラがイスラム教徒だと思われたということですね。
それに対しノラが、
あえて気づかないふりをしたと。
アラブ系でもイスラムでない人も、
もちろんいるわけですね。

こうしたエピソードに共通しているのは、
ナショナル・アイデンティティーの問題です。
13区のアジア街に住む、アラブ系フランス人。
それは一つの新しい「像」なのでしょう。

Paris etc. (備忘録)

トータルで6時間になるテレビ・ドラマ、

Paris etc.

楽しく見終わりました。
6時間の群像劇なので、
いくつもの物語が同時進行し、
それらは絡み合ったり、合わなかったり。
まだ見終わったばかりで、
全然整理されていないのですが、
備忘録として断片を。

主人公とも言えるマリアンヌ(と妹のマチルド)の両親を演じたのは、
ジャック・ブーデとミッシェル・モレッティ。
つまり、『戦争より愛のカンケイ』で、
主人公アルチュールの両親を演じた二人が、
そのままスライドしてきています。

5人のヒロイン中、
唯一のアラブ系であるノラ。
彼女と夫の関係は、
絶え間ない口喧嘩と深い愛に貫かれていましたが、
最後は、ここで終わりにしよう、ということに。
いわゆる「別れ」で終わるのはこのカップルだけです。
ただ、
アルザスから出てきた少女アリソンは、
いろいろあった挙句、
アラブ系のサミールと結ばれます。
この、もっとも " facho" (=ファシスト)に近かった少女と、
アラブ系の少年との恋の成就は、
ノラの結婚の破綻とパラレルな位置にあるのでしょう。
「フランス」と「(アラブ系)移民」の関係の、
2つの可能性。
(ただしノラのケースも、
決して憎み合ったりはしていません。
愛し合ってるのに、うまくいかないのです。)

マリアンヌの二人の息子はヨーロッパ系で、
一人娘はアフリカ系なので、
てっきり養子なのだと思っていましたが、
4時間ほどたったところで、
この娘の父親が登場。
どうやら彼はグアドループの人で、
若い時旅していたマリアンヌと知り合って……
ということなんですが、
年齢(マリアンヌ=45歳)から言って、
その後子供を持ち、引き取ったということなんでしょうか。
はっきりは語られないのですが、
そういうことになるでしょう。
(だから、「アフリカ系」ではなく、カリブ系でした。)

アフリカ系の人の姿が、
背景に映り込むよう努力しているのはわかります。
が、人格を持った存在として、
アフリカ系の人が登場することはありませんでした。
(もちろん、どこかに入れることはできたでしょう。
たとえば、マリアンヌが通う教習所の指導員。
彼女は彼と関係を持つのですが、
もし彼をアフリカ系の俳優が演じていたら……
でもこれはかえってまずかったかも。
というのも、この指導員は、
薄っぺらな人間として設定されているから。
たった一人出てくる大人の黒人が薄っぺらいというのは、
明らかに問題がありますね。)


ヒロインたちのうち3人は、知的な専門職に従事しています。

病院勤務医(マリアンヌ)
通訳・翻訳業(ノラ)
会社経営(ジル)

医師というのは、「ミドル・クラス」とは言えないのでしょうが、
ドラマの中のマリアンヌは、
いわゆる「上流」の雰囲気ではまったくありません。
住んでいるのも、13区だし。
またノラは、典型的な高学歴・低収入です。
でも彼女はこれから、彼女にふさわしい仕事を見つけるかもしれません。
ジルのことは、ちょっと情報が少なくて、
よくわかりませんが、
彼女がパリに持っているアパルトマンは、
愛人(=義父!)に買ってもらったものです。

そして残る二人は、

マッサージ師(マチルド)
調理人(アリソン)

なんですが、
マッサージ師をしているマチルドは、
不倫を解消した後、
アーティスト(インド人とフランス人の両親を持つ)と恋仲になり、
彼にもらったヒントから、ラスト近く、
法律の勉強する決心をします。
(初めて自分の意思で、何かを決めたのです。)
彼女もやがて、専門職に就くのでしょう。
アリソンの場合、むしろ彼女は「地方」を背負っているのであり、
職業的な階層は二次的です。
とはいえ、彼女の職場の同僚たち、
あるいは、colo(共同間借り人)たちは、
このドラマ全体の中では、
ある階層的世界をはっきり提示していて、重要です。
(そうした世界での「パリ」の描写も含めて。)

で、なぜ「階層」についてこだわるかと言えば、
それは、

Paris 

というテレビ・ドラマの場合と、比較したいからです。
こちらでは、意図的に、
さまざまな階層の人たちが登場していました。
それに比べると、Paris etc. のほうは、
やや専門職のほうに寄っている印象です。
(つづく)