2015年4月30日木曜日

Cliente

もう30年も前ですが、
大学のある先輩が、
「ナタリー・バイが一番好き」
と言っていたことがありました。
まあ、それはともかく、
今日見たのは、彼女が主演した

Cliente (「女性客」)2008

です。
準主役を演じるのは、
わたしにとっては、
『イブラヒム』の終わり近く、
大人になったモモを演じた、
エリック・カラヴァカです。

映画としては、ダメ作品でしょう。

ヒロインは、
51歳独身で、
仕事で大きく成功してる女性です。
彼女は、月に1、2回、
若い男を買っています。
そしてその買われた男の一人が、
彼女と親密になるのですが、
妻帯者である彼は、
そうはいっても妻を愛していて……
というわけで、
書いていても、ちょっと鬱陶しいような……

でも、これが「ダメ作品」だというのは、
このストーリーというよりも、
演出そのものにあります。

以前、小田島隆氏が、ある番組で言っていました、
「渡る世間……」というドラマは、
登場人物の心情を、
すべて(本人の、あるいは他人の)セリフで解説してくれるので、
想像力や解釈は必要ないのだ、と。
まあこれは、
たとえばNHKの連続テレビ小説なんかでも、
ときどき過剰な説明が入りますし、
色んなテレビ・ドラマで見出せることなんでしょう。
でも、映画ではあまり見ません。

ところがこの作品ときたら、
何人もの登場人物が、
ここぞというところで、
自分の心情をナレーションで入れてくるのです。
ある発言をしたあとで、
でもほんとはそう思っていなかった、
みたいな本人によるナレーションが。
これは、ダメでしょう。

ただ、がんばっていい点を探せば……
これは先日の Lulu femme nue に通じるような、
50代の女性の「迷い」を描いていると言えば言えるのでしょう。
でもそれが、買春に向かうところ、
そしてヒロインは、そんな自分を「自由な女」だと信じているところが、
もうまったく lamentable なのでした。

Fausto


今日見たのは、

Fausto (『ファウスト』)1993

です。
これはあのゲーテの『ファウスト』とは無関係で、
主人公の名前(発音はフォスト)から来ています。
フランス語版が入手できなかったので、
英語字幕版(A la mode というタイトル)で見ました。

映画の始まりは、1964年。
このあと1~2年ほどが時間的舞台です。
自転車事故で親を失くしたフォストは、
パリの孤児院に入ります。
彼はそこで、無二の親友となるレイモンと出会い、
二人は、それぞれ「徒弟」に出ることになります。
フォストは仕立て屋に、
レイモンは町の自動車修理工場に。
そしてこれが、ともにユダヤ人街サンティエ地区にあり、
二人の働いてる先は、
ともにユダヤ人が切り盛りしています。

フォストの主人は気のいいおじさんで、
結局は、フォストを息子のようにかわいがります。
(この辺、『サンドイッチの年』を思わせもしますが、
フォストはユダヤ人ではなく、イタリア系なので、
そこが決定的に違います。
レイモンも非ユダヤ人です。)
フォストはやがて、ファッション・デザインに目覚め、
その仕事に喜びを見出すようになります。
そして、レイモンが働いていた工場の娘と恋に落ち、
ついには結婚することにもなります。

ユダヤ人社会に入った2人の若者、
ということになりますが、
そのあたりがはっきり前景化するのは、たとえば、
コシェールの肉屋で働き始めたレイモンが、
「お客さんがみんなおれの<毛鉤>を注視してるみたなんだ。
おれも、割礼したほうがいいかなあ」
と相談する場面でしょう。
あるいは、フォストのプロポーズを、
ユダヤ人のしきたりにのっとり、
仕立て屋の主人が代わりに行う場面とか。

明るく、にぎやかな青春映画ですが、
やはり、背後のユダヤ人社会があるからこそ、
魅力が増している気がします。

RAPT

銚子が出てきたので、もう1本、

RAPT(『誘拐』)2009

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=NvW5TOCL93k

大企業の権力者で、大金持ちのスタニスラフが、
ある日誘拐されます。
そして巨額の身代金要求が。

<以下ネタバレあり>
しかし、警察の捜査が進むと、
明らかになったのはむしろ、
スタニスラフの知られざる私生活でした。
何人もの愛人たち、
カジノでの大損……。
週刊誌はそれをおもしろおかしく書きたて、
残された家族の苦しみは捻じれたものになってゆきます。
それでも妻は、ついにお金を払う決断をするのですが、
この受け渡しは失敗に終わります。
ただ捕まった男は、決して仲間を売りません。
そして……
なんとスタニスラフは解放されるのです。
けれども、家族の反応は微妙。
そして実は、解放後に、
彼は犯人たちにお金を支払う約束をしていました。
この約束が守られないと、
死人が出ると脅されて……
誘拐ものとしては、
ちょっとひねったストーリーですが、
これは実話に基づいているそうです。

主演のイヴァン・アタルは、
シャルロット・ゲンズブールの夫としても有名です。
彼の両親はアルジェリア系ユダヤ人。
アルジェリア独立時にイスラエルに移住しましたが、
イヴァンが2歳の時、
今度はフランスに移住したそうです。
そして今調べてみると、
1989年、『愛さずにいられない』で、
セザール賞新人賞を取ったようなんですが、
彼が出ていたこと、全然覚えていません!

『マダム・イン・ニューヨーク』

インド映画、

『マダム・イン・ニューヨーク』(English Vinglish )2012

を見てみました。
インドのブルジョワ家庭の奥様が、
家族内で自分だけが英語ができず、
そのことで夫や娘からも軽んじられることを悲しみ、
たまたま姪の結婚式が行われるニューヨークでの滞在を利用して、
家族には内緒で、英語の勉強をする、
そして、やがては、「対等な関係」を再構築する、
というお話です。

https://www.youtube.com/watch?v=C0hewQ1hqmo

いい話なんですが、
あくまでブルジョワ家庭のお話ではあります。

NYの語学学校で、
彼女は多くの友人を持つことになるのですが、
その中の一人、フランス人のローランは、
本気で彼女のことが好きになってしまいます。
このフランス人を演じるのは、メディ・ネブー。
これに出ていた人です。

http://tomo-524.blogspot.jp/2014/12/blog-post_17.html

彼はフランス生まれでフランス人ですが、
母親はドイツ人、父親はアルジェリア人です。

2015年4月29日水曜日

「ことばを使用するたびに語の由来をたどり、
根っこに土がついたままそれらのことばを自分の頁に移植するもの、
それこそが真の詩人である」

ソロー

『クロス・ファイヤー』

Prêt à tout、『ロシアン・ドールズ』に続いて、
アイサ・マイガの出演作、

『クロス・ファイヤー』(Les Insoumis <服従しない者たち>)2008

を見てみました。
(なんだか、邦題に対して違和感を感じることが多いのですが、
今回は、特に強く感じました。
たしかに、激しい銃撃戦の場面はあります。
ただ、そこを最大のウリにしようとしたこと自体、
チガウと思います。それは見どころの一つかもしれませんが、
ほかに焦点を当てるべきところはいくつかあると思います。)

https://www.youtube.com/watch?v=j-6R46c04KM

これは、いわゆるフィルム・ノワールの要素を、
かなり忠実に取り込んでいて、
様式としての美さえ感じますが、
そこからはみ出してゆく部分も少なくありません。
物語としては……
元エリート捜査員で、過去に仲間を死なせたことのある警視が、
あと3か月で閉鎖という、
さびれた、しかし犯罪多発地区の警察署に流れ着く。
しかし彼は、その町を根城に、
大きな犯罪が行われていることに気づき……
というわけです。

この警視を演じるのは、リシャール・ベリ。
アラブ系なのに、「見てわかる」のはほとんど不可能という、彼です。
http://tomo-524.blogspot.jp/2013/09/lunion-sacree.html

そしてアイサ・マイガは、彼の部下。
この警視と巡査の関係は、ちょっとよかったです。
まず最初、聞き込みの途中に、警視がベルベル語を話すことに、
彼女は驚きます。
けれど、あるとき彼女は彼に言います、
申し訳ないけど、あなたをtu で呼ぶことはできません、と。
とはいえその後、警視に人間的親愛を抱くようになった彼女は、
警視に尋ねます。

「(アラビア語で)アラビア語は話せるんですか?」
「(以下フランス語で)君(=vous)も話すじゃないか」
「わたしはアラブ人だから」
「ぼくは以前、情報局にいたから。がっかりかい?」
「(ほほえむ)」
「ぼくが中東出身のほうがよかった?」
「(笑う)」

アイサ・マイガは完全にアフリカ系ですから、
アフリカ系アラブ人という設定なわけですね。
一方、リアルではアラブ系ユダヤ人であるリシャール・ベリは、
アラビア語が話せるわけです。

この映画には、
よく見る顔が多く登場していました。
たまには、画像でまとめておきましょう。

リシャール・ベリ。
ユダヤ人。
アラブ系(そう見えない)。

パスカル・エルベ。
ユダヤ系アルジェリア人の家系。


最近では、『もう一人の息子』でも、
ユダヤ人役でした。
http://tomo-524.blogspot.jp/2014/12/blog-post_8.html


アイサ・マイガ


オール・アティカ(モロッコ系)

彼女はなんといってもこれ。
http://tomo-524.blogspot.jp/2013/01/la-faute-voltaire.html

ムサ・マースクリ。
脇役で、何度も見かけた顔です。
たいていギャング。時に刑事。

2015年4月28日火曜日

『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』

パリはペリフに」囲まれ、
それは山手線と同じ全長35kmほどなわけですが、
ローマの場合、
この古都を囲んでいるのはGRAであり、
全長は約70km。
で、

『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』

は、この高速道路の周辺に暮らす人たちを描く、
ドキュメンタリーです。

https://www.youtube.com/watch?v=tlpod0-E2UQ

美しい映像です。
PC で見たのではっきりしませんが、
音もよさそう。
「詩情に富んだ」作品でした。

オリジナル・タイトルは、『聖なるGRA』です。

2015年4月27日月曜日

♪ ハラル弁当、はじめました

これはいいですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150427-00000003-withnews-soci

礼拝室も大事だけれど、
やっぱり食事はとっても大事。
「教育効果」も、たしかにありそう。

Les Aventures de Rabbi Jacob

先週見た『ジゴロ・イン・NY』の中では、
ブルックリンのユダヤ人社会が背景にありましたが、
それを見ていて、
思い出した映画があります。
ルイ・ド・フュネスとジェラール・ウーリのコンビによる、

Les Aventures de Rabbi Jacob (「ラビ・ジャコブの冒険」)

です。
これは以前見たのですが、
もう1度見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=vtia-qb2vhI (全編版!)

タイトル・ロールであるラビ・ジャコブは、
やはりブルックリンのユダヤ人コミュニティーにいて、
そこから、
甥のバル・ミツバーのために、
もう一人のラビと一緒に、パリに向かいます。

ただ、このドタバタ喜劇の主人公は、
実は本物のジャコブではなく、
彼と入れ替わって「にせジャコブ」となる工場主、
ヴィクトールのほうです。
ルイ・ド・フュネスが、このヴィクトールを演じます。

物語は、3つの流れがあります。
まず、パリの、ロジエ通り8番地へと向かうジャコブたちの道中。
そして、ヴィクトールの娘が、今日結婚式を挙げるため、
家族がそこに集合する道程。
3番目が、あるアラブ人グループが、
もう一人の(次期首相を狙う)アラブ人の殺害を目指しての奔走。
この3つの流れが、人物の入れ替わりによって絡み付き、
思わぬ展開を示すわけです。
もちろんドタバタですから、
深刻な感じはゼロで、
さまざまなコネタも挟まれています。
それでも、そのコネタの中には、
民族や階級に関わるものも少なくないのですが。
(ロジエ通りは、現実のロジエ通りではなさそうです。)

「にせジャコブ」は、いわば資本家で、
人種差別主義者(の戯画)です。
彼が、排気ガスによって顔中真っ黒になり、
その結果黒人に間違えられるくだりは、
その戯画的な感じが典型的に表現されていました。
またいくつかの場面からは、
「共生」への賛意が見て取れました。

1973年の作品で、
フランスにおける「ユダヤ人映画」としては、
久しぶりに作られたものでした。

ニーバーの祈り

ニーバーの祈りと、
わたしが最初に出会ったのは、
愛読したローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズで、
アル中の主人公が、
AA(アルコホーリクス・アノニマス)の集会に出る場面においてです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A

その後しばらくして、
宇多田ヒカルの「Wait and see」という曲の中でも、
この祈りの言葉が使われていました。

https://www.youtube.com/watch?v=dpcHPVpjBCM
(2分16秒あたり)

で、
今日見た Camille redouble の中で、
久しぶりに、
そしてフランス語では初めて聞き、
ああそうなのね、と思ったのでした。
いくつかヴァージョンがあるようですが、
映画の中で、アクセサリーショップの老店主は、
指輪が抜けなくて困ってるというヒロインに対して、
こう言うのでした。

Donnez-moi le courage de changer les choses que je peux changer
celui  d’accepter les choses que je ne peux pas changer
et la sagesse d’en connaître la différence.
 
 



2015年4月26日日曜日

Camille redouble

今日見たのは、2012年に公開された

Camille redouble 

という映画です。
かつて、『ペギー・スーの結婚』というアメリカ映画がありましたが、
それに少し似ています。
41歳になるカミーユは、
高校時代から付き合い結婚したエリックに去られ、
悲嘆の中で参加した年越しパーティーで、
なんと高校時代にタイム・スリップしてしまうのです、
記憶と肉体はそのままで。
そして、大好きだったエリックにフラれた彼女は、
もうエリックとは付き合うまいとしますが……
というお話し。

https://www.youtube.com/watch?v=OL8a2b4--RE

おもしろいんですが、
どうしても気になるのが、
41歳(女優の現実は47歳くらい)の女性が、
ティーンエイジャーの中で、
そういう格好をして、
みんなふつうにしていること。
ちょっと、同級生に見えるかと言われると……。
でもその違和感を別にすれば、
なかなか楽しめる映画だと思います。

監督で主演をしたのは、ノエミ・ルボフスキー。
「ノエミ」というプレノンからすると、
アラブ系の人なのかもしれません。
またエリック役のサミール・ゲスミは、
名前も容姿もアラブ系ですね。

『ロシアン・ドールズ』

今週見た Prêt à tout のヒロインを演じたのは、
アイサ・マイガでしたが、
彼女が出ているというので見てみたのは、

『ロシアン・ドールズ』

です。
この作品は、セトリック・クラピッシュ監督による、
いわゆる「グザヴィエ青春3部作」の第2作に当たります。
個人的には、第1作の『スパニッシュ・アパートメント』が、
あまり好きではなかったので、
今日まで敬遠していたのでした。
(クラピッシュ監督は、基本的には好きなんですが。)

https://www.youtube.com/watch?v=gx0OpbWcfic

で、見始めると、
どうして第1作が好きになれなかったのか、
すぐに思い出しました。
それはとても単純で、
主人公の甘々の言動に対して、心情的にシンクロできない、
ということに尽きます。
この第2作も、前半はまったくそんな感じなんですが、
後半、彼の軽薄さが、周囲の女性たちによって、
あるいは自己省察によって、
多少とも相対化されるようになってからは、
見やすくなりました。
そしてその結果、
主人公と監督の(いい意味での)位置のズレが意識され、
さらに見やすくなりました。
主人公のニヒリズムは浅いのですが、
そういう風に描いているのね、という感じ。
これなら、最近DVDになった第3部、
『ニューヨークの巴里夫』Casse-tête chinois も見てみようかと思います。
(しかしこの邦題って……)

さてアイサ・マイガですが、
彼女はマリ系の父親と、セネガル系の母親を持ち、
4歳の時にフランスに移住したようです。
出演作は少なくないのですが、
わりと脇役が多くて、
今回の場合も、グザヴィエが最初にナンパし、
寝はしたものの、
結局はほとんど関係が深まらずに終わる役でした。
(ただ「未公開シーン」を見ると、
二人は数か月、蜜月だったことになっていますが、
本編からはそれもわからず。)
もしかしたら、Prêt a tout が1番大きい役かも?

そしてこの『ロシアン・ドールズ』で目立っていたのは、
セシル・ド・フランス。
(と思ったら彼女は、この映画で賞を取っていました。)
彼女の場合は、わたしには

http://tomo-524.blogspot.jp/2013/10/mauvaise-foi.html

の印象が強烈なので、
まったく別の女優さんにさえ感じられました。
それだけ、演じ分けられるということなんでしょう。
(なににでても同じ、という俳優もいますね、良くも悪くも。)

というわけで、何のかんだいっても、
いろいろ言いたくなる映画ではあるのでした。
特に、ある種のロード・ムーヴィーだと思えば、
よりおもしろいと感じられるかも。
とはいえ、「真実の愛」を求めてさまよう若者の話ですから、
おのずと限界はあるかもしれませんが。

*1つ気になるのは、
たくさんいる登場人物の中で、
たった一人のアラブ系であるジヌディーヌ・スアレムが、
これ以上ないくらい「平凡な人」として描かれていることでした。

2015年4月25日土曜日

人種差別対策130億円

http://mainichi.jp/select/news/20150419k0000m030038000c.html

イスラエルに移住するユダヤ人、
増えているのですね。

この子音字の発音は?

場所別です。

http://i100.independent.co.uk/article/how-selected-consonants-sound-around-europe-in-9-maps--xJRqqkw2JZ

おもしろいですね。

地中海における難民、移民の移動に関する共同声明

地中海の問題は、
まさに喫緊の、
重大な問題だと思います。

http://www.unhcr.or.jp/html/2015/04/joint-150423.html

『ゼログラヴィティ』

「ピープル」誌が、「世界一の美女」に選んだサンドラ・ブロック。
彼女が主演した『ゼログラヴィティ』を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=AFks1oK98Yo

スペース・エンターテイメント、というようですが、
たしかにまさにソレです。
なんというか、ストーリーはなくて、
宇宙空間に投げ出されそうになった博士が、
なんとか地球への帰還を目指す様子を追ってゆきます。
映画が始まったときの感触が、
もう途中から見ているような感じです。

サンドラ・ブロックは、もう50歳。
印象に残っているのは、
やはり『スピード』とか『ザ・ネット』とか、
つまり1990年代半ばの作品ですから、
もう20年も経つんですねえ。

2015年4月24日金曜日

Prêt à tout

今日は、まあ広めの意味では「ラヴ・コメ」とも言えそうな、

Prêt à tout

を見てみました。
これは「すべてに対して準備ができている」から、
「成功のためにはなんでもする、どんなことにも耐える」
を意味するようです。

https://www.youtube.com/watch?v=7dmRvUeAG78

言ってしまえばB級なんですが……

30歳のマックスは、
友だちと作った「出会い系サイト」が当たり、
それを大手が買収してくれたおかげで、
あっというまに大金持ちに。
でも、そうしてタイで遊んでいたある日、
労働運動を展開するある女性をテレビで見かけます。
彼女こそ、彼が大学時代にフラレ、
けれども忘れられないアリスその人でした。
マックスはフランスに戻ると、
なんと、アリスが働く倒産寸前の工場を買い取り、
自身もそこで働くことにします。
(新オーナーであることは伏せたまま。)
で、彼女と仲良くなりたい一心で、
工場の労働環境を良くしたり、
彼女の一人息子を可愛がったりしますが、
彼女はなかなか、彼の気持ちに気づいてくれません……

ポイントは、
マックスがヨーロッパ系フランス人で、
アリスがアフリカ系フランス人であることでしょう。
彼女は、初めて対面したある男性から、
もっと明るい肌なのかと思っていた、
などど言われたり、
かわいそうなアフリカ、という文脈で
(現実を無視して)話しかけられたりします。
物語の中でも、
一緒に子供を持ったヨーロッパ系男性が、
これは子供なんか欲しくなかったんだよ、と言って、
離れてゆき、
その結果、シングル・マザーとなったアリスは、
大学を辞め、工場で働かざるを得なくなります。
マックスは、
良くも悪くも無邪気ですが、
まあこの場合、無邪気はもどかしいです。

この映画がB級なのは、
マックスが億万長者である点が大きいでしょう。
(『最強のふたり』も、だから、エンタメから出てゆきにくいのでしょう。)
元の工場のオーナーがユダヤ人だったり、
そこにマイク・ブラントを絡ませたり、
細かな演出もあるんですが。

そう、小さなことで印象に残ったのは、
大学生たちのなんでもない会話の中に、
altermondialisme
という単語が、まさになんでもない感じで使われていたことです。
これは、これです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%A0

日本では、まだ会話の中で聞く機会はごくまれです。
(英語の、オルタ・グローバリゼーションにしても、
わたしはあまり聞きません。)
このへんは、ちがうなあと感じました。

2015年4月23日木曜日

『ジゴロ・イン・ニューヨーク』

ジョン・タトゥーロが監督&主演で、
ウディ・アレン、ヴァネッサ・パラディ、シャロン・ストーンも出ている
『ジゴロ・イン・ニューヨーク』
を見てみました。

ブルックリンのユダヤ人社会に分け入り、
ウルトラ・オーソドックスの生活と意見を垣間見せてくれますが、
物語は、まあ、なんというか……
お金に困った男二人が、
一人がポン引き、
もう一人が男娼になり、
でもそうした中で、
後者は一人の女性を恋するようになり……、
というだけです。
(『真夜中のカウボーイ』を、少しだけ思い出しますが、
作品としては、『真夜中』のほうがずっといいと思います。)



2015年4月22日水曜日

Ma vie n'est pas une comédie romantique

ジル・ルルーシュという俳優は、
わたしから見ると、
スーツを着ている役が似合うように思います。たとえば

http://tomo-524.blogspot.jp/2013/02/blog-post_17.html

そしてマリー・ジランは、
今月だけでも2作見ました。
両方とも、よかったです。

で、この二人の組み合わせなら、
期待するのが当然だと思いますが……

今日見たMa vie n'est pas une comédie romantique は、
アメリカ風の、
アメリカ映画の要素を取り込んだ、
「ラヴ・コメ」でした。

https://www.youtube.com/watch?v=SW0mtPzN8Q8

最近見た中では、わたしには、
魅力が乏しい作品でした。

同じ人!?

全部同じモデルさんとは……!

http://feely.jp/18283/

2015年4月21日火曜日

Lulu femme nue


先週から、
明治大学リバティー・アカデミーが始まっていて、
今日はその第2回でした。
で、
授業の最初におしゃべりしたのは、
昨日見たこの映画、
Lulu femme nue (「リュリュ、裸の女)」
についてでした。
上の画像は、原作マンガです。

https://www.youtube.com/watch?v=RYSE573r8Nc

(イタリア語字幕版なら、YouTubeに全編版があります。)

Lulu は、Lucie の通称です。
(彼女の場合は、Lucienne ではありません。)
高校生を筆頭に3人の子供があり、
フランスの田舎(中部の大西洋岸近辺)で、
小さな自動車修理店を営む夫ともに暮らしています。
でも彼女は、自分で「仕事」がしたくて、
ちょっと離れた街に出て、ハローワークを訪ねます。
が、なんのキャリアもない彼女に「仕事」はありません。
Lulu は、なにか糸が切れたようになり、
帰りの列車に(わざと)乗り遅れ、
そして翌日も、海辺をさまよいます。
(家の近くに住む妹には、時々電話しています。
夫からのメッセージには、答えません。)
そしてその後、
偶然知り合った風来坊のような男と仲良くなり、
お金のない彼女は、
彼のキャンピングカーに寝泊まりし、
深い関係になってゆきます……

話しとしては、これで3分の1くらい。
この後、別の街では、
孤独な老女と仲良くなり、
ある(縮こまっている)若い女性には、
もっとやりたいことをやれと言い……

前回見た『パリ、ただよう花』のホアが、
ある「喪失感」を抱いていたとするなら、
Lulu もまた、別の種類の「喪失感」を抱え込んでいます。
それはたしかに、
かつて「ブルジョワの倦怠」と呼ばれたものとは違いますが、
一方で、それと近似値的でもあります。
Lulu は「ブルジョワ」ではありませんが、
彼女の暮らしぶりは、
往年の「ブルジョワ」のレベルに近づいているとも
言えそうだからです。

主演のカリン・ヴィアールに惹かれて見た映画ですが、
なかなかの佳作でした。
ちゃんと、「人間」が描かれていました。
(ただし、やはり女性監督だからか、
女性がこまやかに、深い現実感をもって描かれているのに対して、
男性の描写は、やや物足りない面もありましたが。)

2015年4月19日日曜日

『パリ、ただよう花』

タハール・ラヒムに期待していた映画、
『パリ、ただよう花』(Love and Bruises)
を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=4oJ6mK3nIqE

舞台はパリ、そして北京、そしてオーシェル。
(オーシェルは、フランス北部。
もう少し行けばカレーというあたり。)
ホア(「花」の意だそうです)という名の中国人留学生と、
マチューという、建設現場で働くマグレブ系青年(ラヒム)の物語です。
この二人の周りに、
さまざまな男たち、女たちが現れますが、
物語の中心には、常にこの二人がいます。
いないときでさえ、います。

ホアは、
北京で付き合っていたフランス人を追って留学してくるのですが、
いざ来てみると、
彼はもうホアに興味がありません。
で……

(以下ネタバレあり)
ホアは、たまたま知り合ったマチューにレイプされ、
けれどそのままセックスを重ねるうち、
心身ともに彼と深い関係になってゆきます。
ただ彼女は、ルームメイトである中国人学生とも、
北京では元彼ともセックスし、
さらにはマチューのワル仲間にレイプされても、
怒りはしますがそれだけで終わり。
こんな言い方身もふたもないけれど、
彼女は、セックス依存症と言われても仕方ないでしょう。
だから当然、そういう場面が多いのですが、
これらがなんとも、荒んだ、もの悲しい感じ。
たしかにいい意味で、
「がつがつした感じ」(ブニュエル)はあるのでしょうけれど。
ただ問題になるのは、
そうした描写を通して提示される、
ホアの「喪失感(son sentiment de perte*)」とでもいうべきものでしょう。
彼女は、いわば「からっぽ」です。
そしてその「からっぽ」な感じに対して、
それが彼女個人の問題ではなく、
時代的な、ある種共有されたものだと思えるかどうかが、
この映画の評価と直結する気がします。
(その意味では、やはりホアの背後に、
中国における彼女の「世代」を意識する必要があるのでしょう。)

また、この二人を通して、
「階層」の問題も示されます。
マチューの父親は、
炭鉱労働者であるという設定ですから、
これは「最底辺」という含意だと言っていいでしょう。
実際、オーシェルの、マチューの実家がある地区は、
典型的な炭鉱町に見えます。
ただこれは、単にフランスの問題としてではなく、
中国社会の問題とも絡んでいて、
(この辺は語りにくいのか)
踏み込んだ表現は見られないように思いました。
(マチューを中国人の「階層」に当てはめると……)

またパリの街の描写については、
北駅周辺、ベルヴィルらしきマルシェ、RER、
どれもまあ見慣れたもので、
新たな視線のもとに出現するというところまでは、
行っていなかったように思います。
(意外にも、13区は出てきませんでした。)
ただ、
アジア系の女性が、
マグレブ系の男性と「恋」に落ちるというのは、
パリ的であるとはいえるのでしょう。
しかも男性は、実は、
ルワンダ出身の女性と結婚しているのです。
またある日の車中では、
ニナというアフリカ系の女性と
「恋の芽生え」を成立させもします。
そして女性の背後には、
非・民主主義国家が控えているわけです。

セックス表現に関わるあたりの評価を別にすれば、
こういう映画が出てくるのは、素晴らしいと思います。
ただ、特に前半は、
見ていてそれほど心躍らないのは、なぜなんでしょう。
やはり、「喪失感」というのが、
やや時代遅れの、
「文学」的テーマなんでしょうか?
(そういえば、チョイ役で「クミコ」と名乗る留学生も出てきます。)

http://next.liberation.fr/cinema/2011/11/02/lou-ye-a-la-hausse-a-paris_771808

Lucy

ちょっと息抜き(?)に、
ベッソンの Lucy を見てみました。
随所に、『レオン』的な、
あるいは『タクシー』的な表現がちりばめられていて、
ベッソン節なのね~、という印象。
ネット上では、
あまり芳しい評価ではないようですが、
でもまあ、本気でツッコミを入れるような作品でもないし。
エンターテイメントとしては、
平均よりちょっと上、
という感じでしょうか?

スカーレット・ヨハンソンについて言えば、
少なくとも、
『ロスト・イン・トランスレーション』のときのほうが、
わたしには、ずっと良かったです。

2015年4月18日土曜日

ユダヤ人がパリの町を10時間歩いたら......(動画)

http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/17/10-hours-of-walking-in-paris-as-a-jew_n_6702708.html

Le Tueur

Le Tueur(殺し屋)という映画を見てみました。
監督のセドリック・アンジェ、
主演のグレゴワール・コラン、
二人はともに1975年生まれの、若いコンビです。

https://www.youtube.com/watch?v=4WZlWta6-TQ

ただわたしが見てみようと思ったのは、
もう一人の主役がジルベール・メルキで、
さらにはメラニー・ロランまで出てるからです。
ユダヤ人であるメルキは、
『イブラヒムおじさん』でのモモの父親など、
基本、ユダヤ人の役を演じています。
メラニーは、たとえば

http://tomo-524.blogspot.jp/2013/10/je-vais-bien-ne-ten-fais-pas.html

が、わたしには印象的でした。
彼女もユダヤ人のようですね。
(wiki 情報なので、100%ではないですが。)

この映画、登場人物は少なくて、
まずは、レオ・ジネルマン(メルキ)。
彼は投資信託会社でいいポジションにいて、
8歳の娘がいます。
ただ、奥さんは、彼の同僚と浮気中です。
二人目が、殺し屋であるディミトリー・コーパス(コラン)。
孤独な彼の素性は、はっきりとは語られません。が、
おそらく母親は娼婦で、
父親は誰だかまったくわからない、
という育ちのようです。
(母親から、これが父だと説明されていた軍人の写真は、
安物の写真立てにもともとついていたオマケであることが、
あとからわかってしまいます。)
そして
そして三人目が、「エスコート・ガール」であるステラ(ロラン)。
彼女は、ディミトリーと関係します。

で、物語ですが、
成功者であるレオのもとに、
どうやら彼に大損させられたらしいライバルが、
殺し屋を送り込むのですが、
レオはいち早くそれに気づき、
自ら進んで、この殺し屋に交渉します。
土曜まで待ってくれ、
それまでに大きな契約がある、
それが終わったら、
一思いにやってくれ……
この奇妙な申し出を、ディミトリーは受け入れることにします。

<以下、ネタバレあり>

レオは、実はなんらかの病気で、
余命いくばくもない状態でした。
(性的に不能でもあります。)
だから、殺し屋にあんな提案をしたのですが、
そのとき言った「大きな契約」とは、
仕事上の、ではなく、
娘に遺産のほとんどを残すという遺言書の作成のことでした。
そして、この「執行」延期のため、
レオが雇ったのがステラで、
彼女はディミトリーに近づき、
土曜まで、時間を忘れさせる役割を与えられたのです。
けれどもこの二人は、
なにか深いところで共鳴し、
最終的には、「恋」に落ちることになります。
少なくとも、ディミトリーのほうは。

クリスマスの晩、
一家で夕食を済ませた後、
レオは自ら、ディミトリーのもとに向かいます。
仕事は、果たされます。
ただ殺し屋は、その後、
レオの妻の浮気相手も、殺しにゆきます。
それはレオが、自分が死んだあと、
あいつが娘を育てるのは耐えられない、
と言っていたから。
これは、彼の中に、
「心」が芽生えたのか、あるいは、
ステラとめぐり合わせてくれた礼なのか、あるいは、
その両方か、でしょう。

ラストで、ディミトリーはステラに手紙を書きます。
その結びは、スペイン語でした。
これが何を意味するのかは、あいまいです。
また、レオやステラがユダヤ人である「徴」は、
特に示されませんでした。
(レオの姓は Zimmerman ですが。)

そして最後に特筆しなければならないのは、
モルヒネが効かなくなっているレオが、
あの13区の中華街、オランピアド地区、
そのまたオスロ商店街を抜けたところにある寺院の地下で、
あやしげな麻薬を注射してもらっている描写です。
オスロ商店街がこんなにはっきり出てきたのには、
とても驚きました。

2015年4月17日金曜日

Origine contrôlée

このところ、
おもしろい映画に当たり続けていて、
いい感じなんですが、
今回見た

Origine contrôlée

もまた、とても興味深い作品でした。

http://www.dailymotion.com/video/x84o97_origine-controlee-ba-fr_shortfilms

この予告編だと、
完全にB級の印象で、
実際、ドタバタ・コメディ的なところもあるんですが、
それでもテーマは「フランス人」であり、
単なるおふざけとはまったく違うレベルに達しています。
一種のロード・ムーヴィーでもあります。
監督は、Krim(1995)のAhmed Bouchaala と、
Zakia Bouchaala の名前がクレジットされています。
(後者は、Zakia Tahri の別名のようです。
彼女について検索すると、
Screens and Veils で言及されているようなので、
あとで確認します。)

まずタイトルですが、
これは例の<AOC>(原産地統制銘柄)というときの、
「統制された原産地」ということですが、
むろんこれは、「フランス国籍」に関わる作品なのでした。
しかもポスターには、
「フランスでは、ラベルにこだわってます!」
とあり、明らかに<AOC>を踏まえた、
フランスへの皮肉が感じられます。

主な登場人物は3人。
まずは「フランス人」のパトリック。
彼は求職中でしたが、
やっと仕事にありついたところです。
そして娼婦であるソニア(ロニ・エルカベッツ)。
アルジェリア系で、ムスリマである彼女は、
実は「彼」で、
ジュネーヴで性転換手術をすることを望んでいます。
そしてもう一人が、
やはりアルジェリア系の小悪党であるユセフ。
ただし彼は、2(3?)世であり、
アラビア語もできなければ、
コーランの祈りの言葉さえ知りません。

物語は、
パトリックが女装し、
恋人マリの会社の仮装パーティーに出かけるあたりから、
動き始めます。
その会場でもめ事を起こし、
ひとり怒ってバーに入った彼は、
そこで、トイレに行っている間に、
本物(?)の女装した男娼に、
バッグを交換されてしまいます。
そこには、身分証明書が入っていました。
で、
直後に警察の手入れがあり、
あわれパトリックは、
アルジェリア系の不法滞在の女装した男娼、
ということにされ、そこから彼の苦難が始まります。
彼は警察の留置所に放り込まれ、
そこで、ソニアとユセフに出合うのです。
このままでは、三人はアルジェリアに強制送還されてしまいます……。

官憲によって、移民系だと決めつけられたパトリックは、
どうもがいても、
はいはい、みんなそんなこと言うのよね、
という感じで、まったく聞いてもらえません。
そこで、「フランス人」であることの証明とは何か、
という問題が、
にわかに浮上してくるのです。
英語のタイトルである Made in France は、
そういう意味で、
なかなかうまい訳だと思いました。

印象に残ったセリフを、
備忘録的に書いておくことにします。

ユセフ(20m)
「誰がフランス人かなんて、どうすればわかるんだよ?
誰だってフランス人になれるだろ。
おれは、フランス人に見えるアラブをたくさん知ってるし、
アラブに見えるフランス人ならもっとたくさん知ってる。
ほら、背が高くて、もう死んだあの歌手とか……」

それはイヴ・モンタンのことでした。
まあ、彼はイタリア系ですが。

ユセフがパトリックに。(24m)
「おれがあんたみたいなフランス人だったら、
今頃はアメリカ人になって、
マイアミで暮らしてるさ」

そしてもちろん、パトリックが間違えられるのは、
単に「移民」であることにとどまらず、
同性愛者であることでもあります。
揺らぐのは、国籍だけではありません。

逃亡中の三人が逃げ込んだカフェで、ある客が。
(パトリックが、女装した男娼を殺したとされている件について。)
「それはいいことをしたさ。
あんなやつら、殺していいんだ、
ホモとか、ユダヤ人とかもな」
「じゃあアラブは?」とユセフ。
「アラブは別だよ。
アラブの姉ちゃんときたら、めちゃめちゃホットだからな!」

まあ、政治的には完全にアウトな発言ですが、
これを、田舎のカフェに集う労働者に言わせているところに、
自身もアラブ系である監督たちの意図があるんでしょう。

また(英語版の)wikiによれば、
これは、ロニ・エルカベッツが、
初めてフランス語の映画に出たものだそうです。
たしかに、いつもはヘブライ語ですが、
どこかでフランス語も聞いた気がしますから、
それはこれ(2000)よりあとの作品だったのかもしれません。

有名な作品ではまったくないですが、
いろいろ考えるポイントのある映画でした。

2015年4月16日木曜日

Rock The Casbah

カサブランカ生まれの女性監督、
レイラ・マラクシの長篇第2作、
Rock The Casbah
を見てみました。
(クラッシュのあの曲とは、直接は関係ないようです。)

https://www.youtube.com/watch?v=E6Oy9qKsCig

結論から言うなら、
これは傑作だと思いました。
軽やかなユーモアあり、
激しく魅力的な口論や会話があり、
驚きがあり、
役者たちは個性が立っていて、
しかも、
物語もしっかりしている。
傑作ですね。
(唯一引っかかるのは、
お金持ちたちの話であること。)

モロッコのタンジール。
あるお金持ちの家の主人が亡くなり、
その葬儀のため、家族たちが集まってきます。
で、登場人物は、
亡くなった主人(オマー・シャリフ)、
その妻(ヒアム・アッバス)、
整形手術に明け暮れる長女(ナディン・ラバーキー←『キャラメル』)、
先生をしている敬虔な次女、
(出てこない三女。彼女は以前ロンドンで自殺)
アメリカ人映画監督と結婚した、
女優である四女(モルジャーナ・アラウイ)。

映画の時間は3日間で、
それはまさに、
それだけの時間をかけて行われる葬儀に相当します。

ネタバレしないように、
細かな点をあげるなら……

・四女と息子だけが、英語を話す。
先日のHéritage でも、
最年少の娘とイギリス人恋人が英語で話していましたが、
背景にはアラビア語がありました。
今回背景にあるのは、フランス語です。
またこの小さい息子は、ヤンキースの帽子をかぶり、
実は彼の父親もそうなのでした。
・四女は映画女優だが、
「アルカイダのテロリスト」みたいな役ばかり。
画面に映し出された劇中劇では、
彼女は「アラー、アクバル!」と叫んでもいます。
そしてこれに似たエピソードは、
『アデル』の中でも使われていました。

とにかくこの映画、
素晴らしい出来だと思いました。
こうなると、今までスルーしてきた同じ監督の、
Marock
も、見てみたくなりますね。

2015年4月15日水曜日

Héritge

お気に入りの女優さんは?
と訊かれたら、
まず頭に浮かぶのは、わたしなら、
ヒアム・アッバスです。
彼女の出演作は多く見てきましたが、
今回は、ずっと気になっていた、
彼女が監督した長篇第一作、
Héritage
を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=jxCmpyHcSsg

舞台はパレスチナのガリラヤ。
イスラエルとリビアの間で戦闘が起きていますが、
いつの時代なのかは、あいまいにされています。
これは、ある家族の物語だといえますが、
それは、アラブ系の人々が住む町の、
あるアラブ家族です。

ひとりの立派な父親がいます。
彼は病気なんですが、治療を拒んでいます。
長男は、手広く仕事を展開させていますが、
実は資金繰りに行き詰まっています。
彼も、彼の妻(ヒアム)も、
古い因習に囚われています。
次男は医者ですが、クリスチャンのアラブ女性と結婚していて、
しかも子供ができないため、
周囲から冷たい眼で見られています。
不妊の原因は、彼の側にあるのですが、
世間は、異教徒と結婚したからだ、という見方です。
三男は、有力候補者の一人として、選挙活動の真っ最中です。
でも彼の家庭は崩壊寸前。
というもの彼は、ユダヤ人女性と浮気中で、
妻も子供たちも愛していないからです。
また彼は、イスラエル人とのパイプがあり、
「裏切り者」との非難も受けます。
長女は、父親の世話をしています。
その夫は、義父から資金提供を受け、
タクシー・ドライバーをしています。
彼は、この家族に寄生しつつ、反感を抱いています。
次女は、ハイファ大学の学生で、
美術教員の若いイギリス人と同棲に近い関係です。
でももちろん、異教徒で、しかも非アラブ人となると、
家族がこの関係に賛成するはずはありません。
実際長兄は、別れないなら、この妹を殺す気です。
これが主要メンバーで、
ここに長兄夫婦の娘たちや、
次女のいいなずけなどが加わり、
複雑な展開を見せます。

物語は、長兄の娘の結婚式から始まります。
このあたり、実は『シリアの花嫁』と似ています。
実際、父親と三男を演じた俳優は、
『シリアの花嫁』では、
父親と次男を演じていました。
また、アラブ社会における、
世代間の相克も明確に描かれています。

ただはっきりちがうのは、
彼らの町が<戦時下>にあるということです。
結婚式の、最後の記念撮影をしようとしとき、
ごく近い場所が空爆され、
会場はパニックになります……。

イギリス人と仲良くなった次女を演じるのは、
ハフシア・ヘルジ。
色んな映画で見ましたが、たとえばこんな作品がありました。

http://tomo-524.blogspot.jp/2011/04/la-graine-et-le-mulet.html
(『クスクス粒の秘密』)

http://tomo-524.blogspot.jp/2011/08/la-source-des-femmes.html

http://tomo-524.blogspot.jp/2011/04/francaise.html

というわけですが、
全体としては、いい映画だと思いました。
アラブ系パレスチナ人であるヒアムにとっては、
どうしても、
1度は作っておかなければならない作品なのでしょう。
ただ1つの弱点は、
登場人物が多いので、
やや人間関係をつかむのに苦労する点でしょう。
ヒアムには、もっと作ってほしいです。

retweet

『パリ移民映画』を書きたとき、
この人に見てもらえたら嬉しいなあ、
と思っていた人たちのひとり、
昼間賢さんが呟いてくださっています。
コピペします。

*******************************************

『パリ移民映画 都市空間を読む 1970年代から現在』白水社新刊。
本来は「パリ/移民/映画」のように、
複数の歴史が、文化が、芸術のアプローチが交錯する難しい&魅力的なテーマに、『エキゾチック・パリ案内』(平凡社新書)の著者が取り組んだ本格的な著作。

特に読みどころと見受けられるのは、
「移民映画」というときに、
おそらく他の芸術ジャンルの場合以上に、
アラブ・イスラエル問題が重要な背景として浮かび上がる、
そうした見解にもとづく考察です。
書誌とフィルモグラフィーも充実。
この分野での基本文献に。

*******************************************

もうこれで、
本にした甲斐が十分ありました。

(実は、『エキゾチック・パリ案内』を、
平凡社から出してもらえた背景には、
昼間さんのちょっとした心遣いがあったんです。)

二重の意味で、
Merci beaucoup !

2015年4月13日月曜日

『スナッチアウェイ』

一昨日見た l'appât のヒロイン、
マリー・ジランが主役を務める、
『スナッチアウェイ』
を見てみました。

http://www.premiere.fr/Bandes-annonces/Video/Ni-pour-ni-contre-bien-au-contraire

この作品、監督はセドリック・クラピシュで、原題は
Ni pour, ni contre  (賛成でも、反対でもなく)
なので、
「強奪する」を意味する邦題は、
原題からは遠いですね。
しかも、英語が使われているので、
タイトルからはフランス映画だということがわかりません。
(アメリカ映画に見えるようにしてる?)

かつかつの生活に疲れた女性カメラマンが、
たまたま紹介されたワルの一味から、
自分たちの犯罪現場を撮影するように依頼されます。
報酬に目がくらんで引き受けた彼女は、
しだいに、ワルの世界に嵌まり込んでゆく……
というお話です。
結論から言えば、おもしろかったです。
最近のクラピシュは、
この作品に比べると、
ずいぶん「大人」になったようにも思えます。

ワルは、この人たち。

ヴァンサン・エルバズ(ジャン)   
シモン・アブカリアン(ルカルプ)  脇役としてよく見ます。
ジヌディーヌ・スアレム(ムース)  おなじみです。
ディミトリ・ストロージュ(ルル)

エルバズは、これ ↓ で重要な役でした。

http://tomo-524.blogspot.jp/2013/12/comme-les-5-doigts-de-la-main.html

スアレムはアラブ系。
アブカリアンは、現実にはアルメニア系だそうですが、
彼もまた完全に(中近東の)アラブ系に見えます。
(映画内では、小さなケバブの店を経営しています。)

そしてエルバズが好きなのは、シャン・ゼリゼ。
彼らは、いわゆる移民街ではなく、
凱旋門に近いキャバレーを根城にしています。
この辺も、監督の「パリ観」が出る気がします。

カトリーヌ(カティーと呼ばれる)マリー・ジランは、
悪に堕ちてゆくという点では、
l'appât に近い役どころと言えるでしょう。
彼女の、どこか枠を壊しそうな雰囲気が、
そうした役を呼び込むのかもしれません。

2015年4月11日土曜日

『屋根裏部屋のマリアたち』

どうも、この邦題がピンとこなくて、
ずっと手に取らなかったこの映画、
『屋根裏部屋のマリアたち』
(Les femmes du 6ème étage)
を見てみました。
(本編の中では、日本風に「7階」ではなく、
「6階」と訳されていますが、
この場合はそれもアリだと思います。)

https://www.youtube.com/watch?v=EGLvov6bG_w

(今日は、以下、多少ネタバレあります。)

舞台は1962年のパリ、
「栄光の30年」驀進中のフランスは、
旧植民地はもとより、
イタリアやスペインなど、
ヨーロッパ系の移民たちも受け入れていました。
でこの映画は、
パリのアパルトマンを所有するブルジョワ夫婦と、
そのアパルトマンの「6階」(=屋根裏)の狭い小部屋に住む、
スペイン系移民女性たちの物語です。
とりわけ、
ブルジョワの夫であるジャン=ルイと、
彼のところで働く家政婦、マリアの関係の変化が、
メロドラマ的な縦糸となっています。
(あわてて付け加えますが、
これはわたしには、
なかなか楽しめる映画であり、
「メロドラマ」というのは、
決してけなしているわけではありません。)

舞台は1962年のパリだと書きましたが、
映画の終わり近くには、
1965年のスペインも舞台となります。
この3年間で、社会では何が変わったのか?
図式的ですが、
やはり、フランコのいたスペインで、
この時期、急激に経済が回復し始めたことが挙げられます。
だからこそ、
「今じゃ、トリブレ夫人(管理人)を悩ますのは、
ポルトガル系女性だよ」
という発言がなされるのでしょう。
スペイン系の女性たちの多くは、
帰国しているのです。
(一方、アンゴラでの戦争への徴兵を逃れるため、
70年代にポルトガル移民はピークを迎えると言います。
http://www.gakugei-pub.jp/kanren/gaikoku/no09/002.htm

また、6階の女性たちの中には、
バリバリのコミュニストもいます。
彼女は、フランコ軍に両親を目の前で殺されたのだ、
と語ります。
ただ彼女以外は、
基本的に信心深いカソリックの女性たちで、
一般にいわれるスペイン人女性のイメージをなぞっているようです。

この映画は、はっきりした「階級」の差異が、
やや戯画的に描かれています。
そしてその階級を越えようとする男女がいるわけですが、
ちょっと興味深いのは、
この飛躍に対し、
「資産家」の側からはもちろん、
「労働者」の側からも否定的なまなざしが向けられることです。
コミュニストも、信心深い女性も、
それぞれの「思想」によって、
この飛躍を潰しにかかります。
この辺りは、監督の人間理解の深さがうかがえる気がします。

空間的な扱いについて言えば、
これはとても単純に、
同じ建物の中の、
上の部屋と下の部屋、
に分かれていて、
おもしろいのは、
ブルジョワ夫婦のフロアーの奥の部屋には、
「上の部屋」へと上がれる階段があることです。
この階段が、2つの世界を繋いでいるようです。

もちろん、この主人公の年齢に達した「資本家」が、
こうした飛躍に踏み出すことは99%ないでしょう。
そもそも彼の社会認識があまりに甘くて、
そこですでに現実離れしているんですが、
そういう弱点があるにしても、
「スペイン移民もの」としては、
重要な作品だと思いました。

この映画については、
ネット上にいろんなコメントがありました。
中で印象に残ったのは、

「屋根裏部屋のマリアたち」はパリを舞台にしているのに、
パリらしい風景が出てこないのだ。
出稼ぎスペイン人にとっては、
仕事場と市場と教会と自分の屋根裏部屋が日常のほとんどなのだろう。」

なるほど。

また、移民歴史博物館のHPには、
こんな文章も。

Les deux vagues espagnoles additionnées,
celle de 1939 et celle des années 50 et 60,
constituent une très importante population,
qui atteindra les 600 000 personnes à la fin des années 60,
avant de décliner dans les années 70.
Les Espagnols remplacent peu à peu la migration italienne,
qui a tendance à se stabiliser dans ces années.
On les trouve dans le bâtiment mais peu dans l’industrie,
tandis que les femmes occupent des emplois de maison.

ほんとに減り始めるのは、
70年代に入ってからのようですね。

http://www.histoire-immigration.fr/musee/collections/vie-quotidienne-d-une-bonne-espagnole-a-paris-de-jean-philippe-charbonnier

2015年4月10日金曜日

l'appât

l'appât (「餌」「誘惑(物)」)という映画を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=WaQO3LRr91Q

この映画は、(見た後に知ったのですが)
1984年に実際に起こった事件を題材にしたものでした。
その事件とは、

http://fr.wikipedia.org/wiki/L%27app%C3%A2t_(fait_divers)

映画内の名前を使うなら……
洋服屋の売り子であるナタリー(18歳。実際は16歳だった)は、
お金持ちの服飾業者のドラ息子、エリックと同棲中。
その部屋には、やや理解力の劣るブリュノも居候している。
エリックは、まだ十代なのに、
一度会社を潰した経験があり、
アメリカにさえ行けば、
必ず成功できると信じている。
残る二人も、その「夢」に、積極的に乗っている。
そしてその資金を作るために、3人はある企みを思いつく。
ナタリーに、金持ちの男を誘惑させ、
彼女が男の部屋に入り込んだ後、
エリックたちを手引きし、
強盗を働く、というものだ。
けれど、彼らは強盗しただけではなく、
殺人までいってしまう……

ナタリーを演じたマリー・ジランは、
奔放で、性的に自由で、
ほとんどまったく道徳観念のない少女を、
とてもうまく演じていると感じました。
また監督のベルトラン・タヴェルニエも、
丁寧に事件を跡付け、
だから作品は、
決してスキャンダラスなキワモノにはなっていません。

この映画、『イブラヒム』と同様、
街行く生地業者の姿がはっきり捕えられていました。
で、実際の事件は、サンティエ地区で起きたわけなので、
固有名詞が示されるわけではありませんが、
やはりサンティエを意識したのは間違いないでしょう。
ということは、舞台はユダヤ人街なのです。

エリックが、ある男(なんとリシャール・ベリ)を殺そうとした時です、
男はエリックに言いました、
「お前はユダヤ人だろう?
わかるよ、おれもそうだから……。
ユダヤ人はな、たとえ詐欺や盗みはしても、
殺人は決してしない。
まさか、兄弟を殺すわけないだろうな?」

また、逮捕時にナタリーがつけていたネックレスには、
「ダビデの星」がついているのですが、
それは、べり演じる男のところから盗んだものでした。

(でも、映画としていい作品だとしても、
今は釈放されている3人にとっては、
歓迎できないものでしょうね。)

*追記:
日本版のVHSがありました。
(DVDは未発売のようです。)

『ひとりぼっちの狩人たち』

新聞広告

昨日の朝日新聞の朝刊、
一面「サンヤツ」
(タテ三段 × ヨコ 八つ切り(=8分の1)、ですね。)
の白水社の広告に、
『パリ移民映画』も加えてもらえました。
嬉しい(&ありがたい)ので、あげることにしました。
やっぱり「サンヤツ」は、特別ですから。




『シャルリ・エブド事件を考える』も、
「重版出来」とあります。
まだの方は、こちらもぜひ!




2015年4月9日木曜日

「今月の新刊」(by HAKUSUISHA)

お茶の水にある老舗の白水社、
その入り口には、
「今月の新刊」が並べられた窓があります。
今は、こんな感じです。



『パリ移民映画』と、
『フラ語動詞』と、
わたしも参加させてもらった『シャルリ・エブド事件』特集号、
が並んでいます。
こんなこと、最初で最後でしょう。
記念に、挙げておきます。
(わざわざ送ってくれたミドリさんに感謝。)

そして!
右下に注目すると、
「ふらんす」の4月号の顔も見えます。
お伝え遅れましたが、
この4月号は、CDもついて1年使えます。
岩野卓司先生による、
「贈与」についての文章や、
セネガルについての文章など、
読みやすくおもしろい新連載も始まっています。
そして今月のシナリオは、
『間奏曲はパリで』。
フランス語デビューのみなさんには、
チョーおすすめです!

『バツイチは恋の始まり』

今日は、ツタヤに更新に行き、
ついでに、昨日に続いて軽いものを借りてみました。
これです。

『バツイチは恋の始まり』(Un plan parfait)

https://www.youtube.com/watch?v=MnN60ujHaGI

この映画、『最強のふたり』の制作陣が結集、
みたいなのが宣伝文句で、
わたしもそれに惹かれました。

よくできた「ロマンチック・コメディ」ということになるんでしょう。
もちろん、予定調和的ともいえますが。

ケニヤの場面、ロシアの場面が、
それぞれわりとたっぷりあるんですが、
わたしとしては、
ナイロビの街中の雰囲気が、グッときました。
あの何とも言えない喧噪のなかに、
身を置いてみたいと、強く思いました。
行ってみたいです。

こういう「メジャーな作品」というのは、
やっぱり、エンターテイメント性が強いんだということを、
今日も再認識しました。
でも今年は、
こういう作品も見ていくつもりです。





2015年4月8日水曜日

『正しい恋愛小説の作り方』

という作品を見てみました。

http://www.allocine.fr/video/player_gen_cmedia=18411212&cfilm=61313.html

原題は Toi et Moi。
珍しいことではありませんが、
思い切った邦題です。
いや、今回のは、思い切ったというより、
なんというか、落ち着いて考えると、
ほぼ意味はないんですね。
ただ、「正しい」「恋愛小説」「作り方」
というような語句が、
なんとなく連想させる雰囲気を伝えているのでしょう。
(そういう意味では、Toi et Moi も、
そんなに意味は感じませんけど。)

そんなに娯楽的でもないのだけれど、
一応「ラヴコメ」に入るのでしょう。
主人公である姉妹の、小説家である姉のほうは、
ファリドというアラブ系の男と付き合っていて、
その後は、
スペイン系の、石工でもある建設作業員と付き合います。
二人とも移民系であるのは、
なにか制作上の意図があるんでしょうか?
前者は、
金持ちだけど遊び人で不誠実。
後者は、
気のいい出稼ぎ労働者で、コミュニティー内で生き、
「教養がない」と彼女に判断されます。

一方で、チェリストの妹のほうは、
養護学校(?)で働く、やや愚痴の多い男、
そして、才能あるヴァイオリニスト、
と関係を持ちます。
この二人は、ともにヨーロッパ系白人。

全体として見ると、
小説家と音楽家(二人)はヨーロッパ系白人で、
胡散臭い金持ちと肉体労働者は移民系です。

ちょっと、気にならないでもないです。

2015年4月7日火曜日

アマゾン、販売開始

この Petit Mali ツアー、メチャメチャ楽しそう!

http://www.newsdigest.fr/newsfr/actualites/france-news/7062-2015-4-6.html

シャトー・ルージュ、好きです。

そして……

『パリ移民映画』、
ついにアマゾンでの販売が始まりました!

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%AA%E7%A7%BB%E6%B0%91%E6%98%A0%E7%94%BB-%E9%83%BD%E5%B8%82%E7%A9%BA%E9%96%93%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80-1970%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%8B%E3%82%89%E7%8F%BE%E5%9C%A8-%E6%B8%85%E5%B2%A1-%E6%99%BA%E6%AF%94%E5%8F%A4/dp/4560084327/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1427519687&sr=1-1

表1の写真は、レオン小公園で。
表4の写真は、まさにシャトー・ルージュ、
ドゥジャン通りのマルシェです。

どうぞよろしくお願いします!

「辺野古「知事支持」83% 新基地反対76%」

辺野古「知事支持」83% 新基地反対76%

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=110601

雇用者報酬の推移

こういう数字、
もっとメディアが伝えるべきじゃ?


2015年4月6日月曜日

「フランスでイスラム関連書籍の売れ行き好調」

フランスでイスラム関連書籍の売れ行き好調、
その理由は?

http://www.afpbb.com/articles/-/3044535

2015年4月4日土曜日

「でも戦争に行きたいのは老人だけ?」

「安全保障議論活発に、でも戦争に行きたいのは老人だけ?」

http://news.mynavi.jp/news/2015/04/03/111/

2015年4月3日金曜日

『最初の人間』

近所の家の庭に、
大きなしだれ桜の木が1本あるのですが、
昨日通った時には半分も咲いていなかったのに、
今日、もう8分通り咲いていました。
1日で、こんなに変わるんですね。

さて今日は、ちょっと気分を変えて、
カミュの未完の自伝的小説の映画化、
『最初の人間』
を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=85JqaJ2blV8

いい映画だと思いました。
もっと見ていたい、と思うような。
そして今の時代に映画化するのも、
十分意味のあることだと感じました。
アラブ人とフランス人の「共存」を主張し、
武器を取ることを潔しとしなかったカミュ。
今なら、
たとえばイスラーム国相手でも、
空爆と地上戦、
なんていう短絡的な方法は、
退けたのだろうと思います。

ただ、恥ずかしながら、
わたしはまだ原作を読んだことがないので、
この映画というより、
原作そのものの良さが、
この作品を支えているのかもしれません。

原作を、読んでみようと思います。

2015年4月2日木曜日

〈お金のモノトピアにさからって〉

管さんの文章、
〈お金のモノトピアにさからって〉。

http://www.sunnyboybooks.com/heterotopia-news-4/

Je suis tout à fait d'accord.

『ココ・アヴァン・シャネル』

監督のアンヌ・フォンテーヌ繋がりで、
『ココ・アヴァン・シャネル』
も見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=GpNc4PACZv0

わたしには、「やや退屈」という感じでした。
男性社会に切り込んだ女性、
というアングルにしたかったのでしょうが、
はっきり言って、
富豪のもとに押しかける娼婦、
というのがスタートポイントであり、まあ、
体を張って男性社会を利用した女性、
というほうが正確でしょう。
店を持つ時も出資したのは(別の)金持ちの愛人だし。
そういえば、その後打ち出した路線も高級ラインで、
ココという人は、
お金持ちが好きなのね、
ということは、よくわかりました。

シャネルの伝記的事実はそこそこ知っていたのですが、
こうしてストーリーにして、
「革命的人生」であるかのように提示されると、
なにかちがう気がしました。

La Fille de Monaco

またも、ロシュディ・ゼム出演作である、
La Fille de Monaco
を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=JNZX4r8S8lY

この予告編を見ると、
「セクシー・ロマンティック・コメディー」
に見えるし、実際そう言ってますが……

舞台はモナコ。そこで、
パリからやってきた有名弁護士に目を付けた、
地元のケーブルテレビの「お天気お姉さん」が、
彼を籠絡すべく動き出し、
その作戦は見事に成功するものの……
というお話です。
この「……」の部分を書くと、
完全にネタバレなので書きませんが、
でもこれがあるおかげで、
後味としては、
「ブラック・コメディー」
と言ったほうが近いでしょう。
実際、comédie noire と評している雑誌もありました。

さてゼムの役柄ですが、
これは弁護士を守るボディーガードです。
彼はかつて、この「お姉さん」と付き合っていたことがあります。
弁護士とボディーガードの、
女性に対する態度のちがいは、
物語を立体的にしてはいますが……

ゼムがアラブ系であることは、言葉では言及されていませんが、
ヨーロッパ系白人をアラブ系が守る、
という形になっていることは、間違いありません。
そして「……」の部分では、この関係が崩れるんですが、
その意味はあいまいな感じもします。

監督は、オーギュスタン・シリーズのアンヌ・フォンテーヌ。
そういえば、『女はみんな生きている』にも、
そういう意味ではブラックな部分がありましたが、
あれも女性監督(コリーヌ・セロー)でしたね。
どちらも、やや処罰的なところがあるように感じます。
特にこの『モナコの娘』は。

途中で思い出したのは、『痴人の愛』でした。

2015年4月1日水曜日

ル・モンドから

この11か月で、
イスラム過激派になった人の数。

http://www.lemonde.fr/police-justice/article/2015/03/26/les-nouveaux-chiffres-de-la-radicalisation_4602011_1653578.html

「スナイパーを探せ」

「目に見えない存在から常に怯えていなければならない、
という概念について遊んでいるんだ」

http://wired.jp/2015/02/03/hidden-snipers/#!/galleryimage_1

わかりづら!