2018年2月27日火曜日

「選択と集中」という「思考停止」

思考の型が、古いまま……?

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180227-00000012-asahi-pol

「選択と集中」については
いわゆる「企業側」である日本総研が、
すでに10年前(!)、
こう発表しています。

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「選択と集中」というフレーズは、
それこそ耳にタコができるほど当たり前に言われるようになってきました。
(……)
単純なパターン化による思考停止は、
どの企業にとっても陥りやすいワナです。
「選択と集中」というフレーズによる戦略のステレオタイプ化こそ、
実はとても危険だということです。


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plus de 5 heures

今日は久々の「会議デー」で、
会議は 5 つ、
都合 5 時間10分の会議時間でした。
なが!

で帰ってきて、
短い書評(4月号掲載予定)のゲラと、
もう1つゲラを直し、
送り返したところです。
(ゲラは、今日昼過ぎに送られてきていて、
締め切りが今夜!)

でも今日は、1か月ほど気になっていた事柄が、
無事会議を通過し、一安心しました。
そしてそれ以外にも決めるべきことがあったのですが、
わたしが所属している総合文化教室のメンバーは、
ほんとにみんな、
進んで仕事引き受けてくれるので、
仲間に恵まれているなあと、
いつもながら思うのでした。


停戦を

やっと、
とりあえず、
停戦へ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180227-00000000-jij-int

まだ、本気にはできませんが……。

子供たちがたくさん、
犠牲になっています。

http://www.afpbb.com/articles/-/3164093

それでも、
いつでも、
どこの国も、
「テロのと戦い」
と言うわけです。

2018年2月25日日曜日

Sur la planche

数日前に見た Much Loved がとてもよかったので、
モロッコつながりということで、

Sur la planche (2011)

を見てみました。

https://www.youtube.com/watch?v=2uvYfdfDfgs

舞台はタンジェ。
20歳になるBadia は、
妹分である Imane と一緒に、
小エビの処理をする工場で働いています。
とにかく、
小エビの殻をむしり続け、
処理した小エビ1キロにつき、約130円。
もちろん、若い二人は、
こんなことやってられっか、と思い、
フリー・ゾーンの中の、
たとえばテキスタイル会社で働くのが夢です。
Badia は強い人間で、
自分はタンジェは好きだし、
そのすべてを見たい、とも思うけれど、
こんな小エビなんか剥き続けている気はまったくない、
と宣言しています。

そんなとき、
知り合って付いて行った男のところで、
同年輩の、
きれいな二人組の女の子たちに出会います。
当初、4人は、
一緒に盗み(!)をしたり、遊びまわったりして、
楽しく過ごします。が、
ある時、この二人組は、Badia たちに、
「もっと大きな仕事」を持ち掛けてきます。
i phone を大量に盗みだすというのです。
ただBadia は、なにか怪しいと感じます。
利用されてるんじゃないか、と。
そしてその疑念は、やがて確信に変わるのですが、
その頃にはもう、完全に泥沼にはまっていて、
抜け出すことはできないのです……

全体に緊迫感があり、
タンジェの街の雰囲気も伝わりました。
ただ、少し単調というか、繰り返しが多いというか、
まだこなれていない感じもありました。
この監督にとっては、
これが最初のフィクションなんですが、
まあ、そんな印象はありました。

モロッコ関連の映画といえば、
ここでもいろいろ触れましたが、
この映画と同じタンジェ(タンジール)を舞台にしたものといえば、
これがありました。

http://tomo-524.blogspot.jp/2015/04/rock-casbah.html

でも、他にももっともっとありそうですね。

2018年2月24日土曜日

ナイス・ゲーム!

カーリングの3位決定戦、
最初から最後まで見てしまいました。
力のこもった好ゲームで、
おもしろかったです。
両チームの選手たちも、
素晴らしかったです。

カーリングというスポーツは、
野球にも似て、
ミスがあることを前提にしているところに、
親近感を感じました。
もちろんミスが多いほうが負けなわけですが、
そうはいっても、
両チームとも、
すべてのショットが完璧ということは、
想定されていないようです。
そこがいいです。

ああいう、いわば「微調整」系のものって、
わりと好きなんですが、
ただ、長く見ていると、
どこかで、ホームランとか、
ロング・シュートとか、
そういった系統のカタルシスも恋しくなりますね。

2018年2月23日金曜日

Much Loved

半分「賭け」で買ったDVDが、
期待を越えておもしろいということが、
最近増えた気がします。
今日見た

Much Loved (2015)

もそうでした。
これは、モロッコーフランス映画で、
タイトルは英語ですが、
セリフの95%はアラビア語、残りがフランス語です。
わたしはフランス語字幕版で見ました。

https://www.youtube.com/watch?v=JM1wixOJdzA

https://medias.myfrenchfilmfestival.com/medias/67/66/148035/presse/much-loved-プレスキット-フランス語.pdf

舞台はマラケシュです。
ヒロインは3人の娼婦たち。
リーダー格のノアは28歳。姉御肌です。
もう一人はスーカイア。
若くてきれいな彼女は、
ノアが「乞食」と呼ぶ、一文無しのカレシがいます。
3人目はランダ。
彼女はこの仕事が好きじゃないのですが、
それは彼女がレズビアンであることも関係しているのでしょう。
映画は、この3人と、
彼女らを仕事場まで乗せてゆく運転手、
もうかなり年のいったサイードが中心に回ります。

ノアは、とにかくお金のある男を探し、
サウジアラビア人のパーティーに行ったときなどは、
おそろしく積極的に彼らを挑発します。
実は彼女は、母親と妹・弟が暮らす実家に、
幼い息子を預けており、
彼らの全員の暮らしの面倒をみ、
家賃だって払っています。
にもかかわらず母親は、
娼婦になったノアに冷淡です。
ノアには、ヨーロッパ系の、
かなり年上のカレシ(カルロ・ブラント)もいますが、
彼にお金はありません。

スーカイアは、うまくサウジ人の男をつかまえます。
でも、彼は不能なのです。
2度目に会った時も、3度目も。
で、彼がベッドを離れたすきにPCを覗くと、
そこには男性のヌード写真が。
スーカイアは突如切れて、帰ると言い出します。
わたしにも自尊心があると。
男は怒って彼女を殴り……

ランダは、1つの夢を持っています。
それは、スペインに住む両親のもとで暮らすこと。
でも、IDカードを持っていない彼女は、
パスポートを取るとこすらできません。
それにそもそも、
そのスペイン云々の話も、
ほとんどフィクションにしか聞こえないし。

というわけで、
実はこの映画は、そんなにストーリーはないんです。
1つは、殴られたスーカイアが病院送りになり、
ノアがその復讐に行くと、
逆に自分が逮捕され、
刑事にわいろを要求されたりすること。
もう1つは、
物語りの後半、
妊娠して、田舎にいられなくなった女性が、
彼女らの仲間に加わること。
そしてみんなで、ヴァカンスに出かけること、です。
つまり、映画は、
こうしたストーリーよりも、
むしろそれが起こる「状況」を描こうとしているのです。
ノアたちが、仕事前、仕事後に走り抜ける、
マラケシュの街の風景。
この、前近代と現代がまじりあったような風景を、
ノアが、スーカイアが、見つめるのです。
近代的な合理性、みたいな場所からドロップアウトし、
でもサウジの金持ちと寝る彼女ら。
モロッコの人たちは、
この映画をどう見るのでしょう?
(実は、モロッコでは、上映禁止になったそうなんですが。)
そういえば、スーカイアが、
あからさまに反イスラエル的な発言をして、
女は政治に口を出すな、と、
サウジ人たちから怒鳴られるシーンもあります。

細かいところでおもしろかったのは、
まず、男がホモセクシャルだと知ったスーカイアが、
異様な勢いで怒り出す場面。
実は彼女が、ベッドの中で祈りをささげる場面があり、
つまり彼女は、
(「汚れて」はいるけど)敬虔な人間として描かれています。
で、イスラムでは、同性愛はタブーなんですね。
そして敬虔な娼婦であるスーカイアは、それに嫌悪した、というわけです。
ただ、これには対比があります。
ノアには、何人もの、
ゲイの同業者がおり、
ノアはみんなと仲良しです。
この辺の作りは、とてもうまいと思いました。
また、
ノアにわいろを要求する刑事ですが、
彼は取り調べ中、
ノアをレイプするのです。
(彼女は一声も漏らしません。)
でもその後、彼はノアを朝のカフェに連れ出し、
そこでわいろを要求するのですが、
それは同僚たちへの分で、
おれはもうもらった、早く食べろ……
と言うのです。
Mmmm、なかなか複雑です。

そう、この映画の一番の良さは、
人物たちのこうした複雑さにあるんでしょう。
そしてそれが、マラケシュの今と重なってゆく……

いい映画でした。

2018年2月22日木曜日

「『Aか、Bか』では済まない世界を」

中島さんとは、
共通の友だち(編集者・須山さん)がいて、
一度だけ共著の本を出したことがあります。
平川さんの本も何冊か読みました。
(『グローバリズムという病』は、
ある授業でレポートを書いてもらったこともあります。)

リベラルの反対は、パターナリズムなんだ」

よくわかります。


『労働階級と危険な階級』

先日、
都市計画を勉強してきた学生と話していた時のこと。
彼女は、
「都市計画とか、地理とかばかりでは、
その都市に暮らしている人の心理はわからない。
それは、映画なんかに現れるんじゃ……?」
と(いう内容のことを)言うのです。

これは実は、重要なポイントだと思っています。
わたしがすぐに思い出したのは、
ルイ・シュヴァリエが1958年に発表した、

『労働階級と危険な階級』(喜安朗他訳・みすず書房)

のことです。
この本は、副題にある通り、
19世紀前半のパリの社会史です。
ただ、ありきたりじゃないのは、
この58年という早い段階で、
(つまりトッドなどよりかなり早く)
人口動態に注目していたことです。

(ちなみに、19世紀前半には、
統計によって世界を知るのは、
「神への冒涜」だったそうです。
でもその後、「好奇心と情熱」が、
そうしたタブーを無効にしました。)

そしてシュヴァリエがすごいのは、
ただ統計を導入しただけではなく、
その上で、
当時の人々が事実に対して示した意識や関心こそが大事だと、
はっきり言ったことです。
そうした意識わからなければ、
彼らにとって社会がどんな意味を持っていたのかはわからない、と。
そして、
「もっとも気のおけぬ、もっとも秘めやかな」意識が、
文学テキストの中に見出せるとしたのです。
(「意識」と訳しているのは、実は l'opinion 「世論」です。)

文学、もそうでしょう。
ただパリの場合、今は映画も負けてないなと、
(これは特に根拠もなく)
感じています。

2018年2月21日水曜日

「日韓関係もこうなら…」

たしかに、
わたしもそう感じました。

https://www.asahi.com/articles/ASL2M5FSVL2MUTQP01X.html?ref=yahoo

でも、
韓国でもそういう反応だと知って、
嬉しく思いました。
国家と、
そこで暮らす人たちは、
もちろん同じじゃないわけですね。

大学院入試

今日(というか昨日)は、
わたしが所属している
「建築・都市学専攻 総合芸術系」
の、入試でした。
院の入試は3回あるのですが、
今年はこれが最後です。
科目は、小論文と英語です。

今回は、ネットでわたしの本(『パリ移民映画』)を知り、
海外から受験しに来てくれた受験生もいました。
それは嬉しいことです。
(もちろん合・否は、また別の問題ですが。)

今日会った受験生の内の何人かは、
来春からは授業で出会うことになるのでしょう。
楽しみです!

2018年2月18日日曜日

『都市の類型学』(備忘録3)

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
で知られるマックス・ヴェーバーの、
唯一の都市論がこれ、
『都市の類型学』(1921)
です。
ジンメルの「大都市と精神生活」は1903年なので、
それよりはやや後で、
時代的には、シカゴ学派が注目される直前、
というところでしょう。
ただ、このヴェーバーの本は、
都市論の世界では、
たとえばジンメルほどは注目されていないようですが。

では、大雑把ですが備忘録。

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『都市の類型学』

主な分析対象:古代&中世の、ヨーロッパの都市

最重要ポイント:
中世の都市ゲマインデが、
近代資本制と近代国家の基礎となったという指摘。

「ゲマインデ」とは、一般に「共同体」のことだが、
ヴェーバーが言う真の「都市ゲマインデ」は、
以下の条件を満たすとされる。
・経済的な意味での「都市」
・(城壁などの)防御施設を持つ
・市場を持つ
・裁判所と法を持つ
・団体の性格を持つ
・自律性、つまり市民が参加する行政がある

→全部満たす都市は少数だった。
たとえば日本では、城壁がなかったわけで、
そもそも「都市」があったかどうか疑わしい。
大量現象としては、中世に、アルプス以北のヨーロッパにのみ見られた。
(めちゃめちゃ狭い!)

そして「都市ゲマインデ」は、古代にも中世にもあった。が、
近代資本制と近代国家が成長したのは、
中世の場合のみだった。どうして古代はだめだったのか?

その理由は;
古代の都市ゲマインデ:奴隷や外国人が経済活動。
           それをしない政治人による共同体。
           →身分的対立があった。
中世の都市ゲマインデ:経済人による、利益を守るための共同体。
           →(貧富の差はあっても)身分は同じ。

cf.「都市の空気は自由にする」~
中世ヨーロッパは、<領主ー農民>的な身分制度に覆われていたが、
都市ゲマインデは、そうした支配に対する、
自治と自由の空間として成立した。

        ★

中世の都市ゲマインデを母胎として、
近代資本制と近代国家は生まれた。
しかし、
いったん近代資本制と近代国家が成立すると、
都市ゲマインデは消失した。
それはなぜか?

その理由は;
中世の都市ゲマインデが、
その領域内に形成した「市民社会」というものは、
やがて近代国家に吸収され、
市民が担っていた経済活動も、
都市を越える「国民経済」として展開するようになったから。

        

都市 = 大聚落 ≠ 隣人団体(=住民は互いに見知っている)

時代も空間も越えて、
すべての都市に共通しているのは、
それが大聚落だということ。(←とても単純。でもその通り。)
そしてそれは隣人団体ではないので、
当然、住民相互の相識関係はない。(その通り。)

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最後の部分。
現代でもなお、都市の人間関係の希薄さが言われたりしますが、
ヴェーバーにならえば、
それこそが都市だということにもなるわけですね

2018年2月17日土曜日

L'Economie du couple

今日はオリンピックのニュースで盛り上がっていますが、
元将棋部としては、
藤井新六段の誕生にびっくりしています。
優勝すれば六段なのは知っていましたが、
まさか、名人を含むA級棋士に連勝するとは……。
もう、実力は八段なんでしょうか!?
怪物です。(←もちろん誉め言葉!)

で、今日は、
ベレニス・ベジョ&セドリック・カーン主演の、

L'Economie du couple (2016)

を見てみました。


15年ともに暮らしたカップル。
彼らには、可愛い双子の娘たちがいます。
(小学校2年くらい。)
でもこのカップルは、今、別れに直面しています。
映画は、
この二人のいがみあい、
口喧嘩、イライラ……
などを描いてゆきます。
画面の重さを救ってくれるのは、
もちろん可愛い娘たちなんですが、
ただ、なんというか、
主演のふたりの、
いわゆる「抑制のきいた演技」がとてもよくて、
たとえ喧嘩の場面でも、
不思議と見るのがイヤにはなりません。

別れの直接の引き金は、
必ずしもはっきりしません。
でも、女性のほうは、
この15年自分は働き、
家計のすべてを支払ってきた、と言います。
一方、あまり仕事のない建築家である男性は、
自分がかなり改装したからこそ、
このステキな家の価値が上がった、
だからその分はよこせ、と言います。
(彼は、借金取りに付きまとわれています。)
その金額が、なかなか折り合わず、
文無しの男性は、
出てゆくところもないのです……

音楽が、この映画の雰囲気をよく伝えています。
バッハです。


そして、喧嘩続きの映画の中で、
一度だけ、ふたりが、
かつて愛し合った時を思い出すシークエンスがあります。
それは娘たちが、
この曲に合わせて踊り出したのがきっかけでした。


そして、両親も加わって4人で踊るうち、
ふたりは、思い出すのです…… いい場面でした。

アルゼンチン系のベレニス・ベジョは、
ここでも何度か登場しています。



いい女優だと思います。

明日です

3月10日の、
『パリのすてきなおじさん』
のイベントについては、
すでにお知らせしましたが、
同じB&B で、明日行われるのが、これ。

小島ケイタニーラブ×めいりん×管啓次郎
「朗読劇 星の王子さま」


http://bookandbeer.com/event/20180218_le-petit-prince/

管さんの訳を使って、
オリジナルの曲も付けて。
『星の王子さま』ファンは、見逃せませんね!

2018年2月16日金曜日

『歴史の都市 明日の都市』(備忘録2)

修士論文発表会の後、
ふとパラパラと読み返してみて、
備忘録を書いておくことにしました。
ごく簡単なものですけど。

https://www.amazon.co.jp/歴史の都市明日の都市-ルイス・マンフォード/dp/4105093010/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1518787680&sr=1-2&keywords=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E9%83%BD%E5%B8%82+%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%81%AE%E9%83%BD%E5%B8%82

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『歴史の都市 明日の都市』(1961) ルイス・マンフォード

都市の起源から出発し、
古代・中世・ルネッサンス・バロック・近代・現代、まで、 
それぞれの時代の都市の様相がさまざまに示され、
さらに、(1961時点での)未来の都市についてまで話は及ぶ。
つまり、これは、
都市を巡る「大きな物語」、
都市の起源から未来までを、
1つの大きな物語とみなして語る本である。

その物語は、思い切り図式化すれば、

内爆発 → 外爆発 → 見えない都市

ということになる。

<内爆発>~都市の始まり
城壁内の、
王を中心とする、
古代の「ひとつの世界となった都市」のあり方のこと。
ばらばらに分散していた社会的諸機能が集められ、
1つの世界観・宇宙観にしたがって編制されること。
「王」はここで、
大量の人々を周囲の世界から引きつける「聖なる力」であり、
内爆発を生む触媒である。

<外爆発>
「人間の力の異常な技術的拡大」を果たし、
近現代の技術文明が、
世界的な規模で拡張してゆくこと。
その結果、
城壁は消え、
有機的に編制されていた社会的諸機能は解体される。
そして、巨大都市が生まれる。

<見えない都市>
「(多くの実際の面において)都市となった一つの世界」のこと。
(マクルーハンの「グローバル・ヴィレッジ」(1964)は、
この視点の直接の影響下にある。
この論議は、現代のサイバー都市論にも繋がりうる。)

ただし、
「大きな物語」は、
1979年に、リオタールによって否定された。
実際本書も、いわばヨーロッパ中心主義であり、
アジアやアフリカの都市には言及されていないのだから、
ほんとうは、
人類の都市の歴史全体をカヴァーする「大きな物語」とは言えない。
それでも本書には、
専門が分化した現代では忘れられがちな、
大きな問い(「都市とは何か?」等)がある。
その問いは本質的で、スルーすることはできない。

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なにしろ600ページ近い本なので、
すご~く大雑把ですが、
とりあえず備忘録でした。

銃乱射

アメリカでの銃乱射事件。
これはもう、アメリカの病そのものに見えます。
が、
いろんな人が指摘している通り、
銃はアメリカの建国神話の一部なので、
これを捨てることはなかなかできません。
(ライフル協会の利益、もあるでしょうが、
それは副次的なことがらなのでしょう。)

アメリカ映画を見ていると、
執拗にナショナル・アイデンティティーを確認しないではいられない、
という印象があります。
いつでも、
自分が誰なのか確かめていないと、
自分が誰だかわからなくなってしまうというか。
映画を通して確認し続ける行為に、需要があるというか。

アリゾナで成立した「オープン・キャリー」という法律は、
公共の場所での銃の携行を認めているそうです。
たとえばモールには、
そんな人がたくさんいるわけです。

そして1つ大事なことは、
トランプが大統領に就任して以降に起きたテロの犯人は、
白人系が最も多い、という事実です。
にもかかわらずそういう印象があまりないのは、
犯人が白人の場合、「テロ」という表現を避ける傾向があるから。
そして犯人が中東系の場合には、
躊躇なく「テロ」という語が使われるという事実。
これをバイアスといわず、
何をバイアスというのでしょう?

2018年2月15日木曜日

Paris pieds nus

タイトルに惹かれて見てみたのは、

Paris pieds nus(2016)

です。
これは、『ロスト・イン・パリ』という邦題で、
去年の夏に公開されています。
(わたしはDVDで見ました。)

https://www.youtube.com/watch?v=SQNkvmh2beg

一言で言えば、
ファンタジックなコメディー、なんですが、
不思議に飽きるところがなくて、
おもしろく見ました。
しばしばチャップリンと比較されるそうですが、
たしかに、思い出します。

ある日、
カナダの雪深い町で司書をしているフィオナのもとに、
1通の手紙が届きます。
もう半世紀も前にパリに行った伯母、マルタから、
助けて、というメッセージ。
ずっとパリに行ってみたかったフィオナは、
ついに旅立ちます。
が、
宛所にマルタはおらず、
あちこち探すうちトラブルに巻き込まれます。
そんな中知り合うのが、
ホームレスのドムです。
2人はともにマルタを探し始めるのですが……
というお話。

主演のフィオナとドムを演じるのは、
アベル&ゴードン(Abel & Gordon)。
2人は、監督・脚本もつとめています。
本業は道化師なだけあって、
動きがシャープです。
(実年齢は、還暦です。)
そしてマルタを演じるのが、
あの『24時間の情事』で知られるエマニュエル・リヴァ。
彼女にとっては、これが遺作となりました。

それにしてもこの監督たちは律儀で、
いわゆる「伏線の回収」率がすごいです。
ほとんどそれが、物語を引っ張っている感じさえします。
で、トータルとしてはとても感じよかったのですが、
気になったこともあります。
まず、マルタの住んでいるのが、
おそらくサン・ジェルマン・デ・プレ教会のすぐ裏あたりで、
こんな家賃の高いところに住める理由が、
いまいち分かりませんでした。
また、ドムが暮らすテントが、
「白鳥の小島」の北端、
つまり自由の女神のふもとなのですが、
あの辺ならむしろ、
橋の下に住むんじゃ? と、
思ってしまいました。
そしてなぜ、
こんな一見つまらないことを言うのかと言えば、
タイトルに「パリ」と入るからには、
たとえファンタジーでも、
やはりパリの構造(と言えるかな?)は、
無視しないでほしかったからです。
でも、繰り返しますが、
たしかにおもしろい映画でした。

ちなみに、
「白鳥の小島」が登場する映画と言って真っ先に思い出すのは、
これ。

https://www.jiji.com/jc/v4?id=hssfranse-003-16060001

また、ベルモンドのこれにも出てきてました。

http://tomo-524.blogspot.jp/2013/06/peur-sur-la-ville.html

音楽はショスタコのこれ。

https://www.youtube.com/watch?v=3tGOFEgDzug

そして『24時間の情事』の原作小説は、

https://www.amazon.co.jp/ヒロシマ私の恋人-ちくま文庫-マルグリット-デュラス/dp/4480024352/ref=pd_cp_14_2?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=XEGN1DGK01VGB044HJFK

です。

「Toc ! Toc ! フランス語ワールド」

たまたまネット上で見かけた修士論文。
指導教授は、西山教行先生。
題して、
「NHK テレビフランス語講座における「文化」の分析 」。

http://www.flae.h.kyoto-u.ac.jp/2017_Uozumi_master.pdf#search=%27%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%81+%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0+%E6%B8%85%E5%B2%A1%27

嬉しかったのは、
p.24で、
「Toc ! Toc ! フランス語ワールド」
を取り上げてくれたこと。
これは、ぜひやりたかったことの一つで、
ディレクターのKさんやOさんも同じ意見でした。

実は、ラジオのほうでも、
「今週の一曲」というコーナーで、
音楽を通して同じ趣旨のコーナーを作ったのですが、
これは、
著作権がらみでCDには収録できず、再放送時もカットされたので、
ほとんど幻のコーナーとなってしまいましたが、
わたしは気合が入っていました。
(ある時、音楽評論家で尊敬する北中正和さんにお目にかかった時、
このコーナーのことをご存じだったので、
かなり嬉しかった記憶があります。)

古い話で恐縮です!

2018年2月14日水曜日

論文と水餃子

というわけで、
修士論文発表会も、本日無事終了し、
2月5日から始まった、
1年で1番慌しい10日間が終わりました。
風邪にもインフルにもならず、
なんとか大過なく過ごせてよかったです。

今日の発表会は、
中野キャンパスで行われたのですが、
ランチは、水餃子を贔屓にしている珉珉で。
(まあ本当は、もっと皮がしっかりしていて、
スープに浸かっていないタイプのほうが、好みなんですが。)
で、
論文発表の後の、お疲れさま会が……ふたたび珉珉!
ホール係の(台湾出身の?)お姉さんには、
また来ました!
とご挨拶。
でも今度は総勢8人で、
いろいろ注文できたので、
それはそれで楽しかったです。
(もちろん水餃子も頼みましたけど!)

2018年2月12日月曜日

読み終えて

というわけで、
修士論文を読み終わりました。
写真論や映画論たちです。
みんなそれぞれにおもしろかったです。
特に、都市論を写真論を結び付けたものは、
興味がわきましたが、
都市論というのは、
それだけでも先行研究が膨大なので、
それを押さえきるというのは、
簡単ではありません……

そして写真論も映画論も、
どちらも映像が問題になっているわけですが、
論文でそれを扱うとなると、
やっぱり文章力が必要なんだなあと、
再認識しました。

みんなまだまだまだ若いので、
これからも挑戦していってほしいです。


2018年2月9日金曜日

the longest week

金曜日になりました。
実は今週は、
1年で1番大学業務の多い週で、
風邪をひいたりするとまずいので、
ちょっと緊張しましたが、
なんとか金曜までこぎつけられて、
一安心しています。
そしてさらに来週も、
この感じが続く予定なんですが、
これは週の半ばまで。
なんとか乗りきりたいと思っています。

今、開会式を見ていました。
派手過ぎず、好感が持てました。
南北統一という課題が、
この式典を独特なものにしていたと思います。
(ワールド映画ゼミで、
『国際市場で逢いましょう』を見ておいて、
良かったと思いました。
学生たちにとっては、
あれを見ているのといないのとでは、
やはり感じ方が違いだろうと思いました。)

土日は、
学生たちの修士論文を読む予定です!

2018年2月6日火曜日

MFFF、1番よかった長編作品は……

というわけで、
MFFFの長編映画は、
(一応)見終わりました。
(『ピガール広場』はすでに見ました。

http://tomo-524.blogspot.jp/2017/12/les-derniers-parisiens.html

Dans la forêt は、ホラーらしいので、
わたしはパスします。)

で、今回見た10 本の中では、わたしは、

『アヴァ』

が圧倒的によかったです。
次によかったのは、
『スワッガー』『婚礼』『クラッシュ・テスト』『1:54』
の4作。
その次によかったのが、
『Willy N.1』『夏が終わる前に』
の2本。
ここまでは、おもしろかったです。

そしてイマイチだったのが、
『ジャングルの掟』『ヴィクトリア』『Rock'n Roll』
の3本。
前2作は、好きな女優が出ているのに、
残念でした。

こうして見ると、
有名俳優が出演している作品は、
あまりいいと思えなかったことになりますが、
もちろんそれは結果に過ぎません。
Vimala Pons Je suis à vous tout de suite などは、
とても好きな作品です。

http://tomo-524.blogspot.jp/2016/08/je-suis-vous-tout-de-suite.html

それにしてもMFFF、
これで1000円ちょっとですから、
150%もとをとりました。
しかも、ふだん選ばないタイプの映画も見ることになるので、
なかなか新鮮でした。
次回も楽しみです!

Rock’n Roll

MFFF 10本目は、

Rock'n Roll

です。

https://www.youtube.com/watch?v=QzDAsbOSuy0

ギヨーム・カネ、43 歳。
幸せに満ちた人生を送っていると思っていた。
パートナーのマリ オンと息子、愛する家族との生活、
自然に囲まれた田舎の別荘、馬…。
すべてが 「ダサい 男」のイメージにつながっているらしい。
なんとかしようと意を決したギヨームは、
自分が まだまだ「イケてる」ことを証明しようと、
あきれ顔の周囲の心配をよそに、
あらゆるこ とに「挑戦」するが…。
私生活でもパートナーであるギヨーム・カネとマリオン・コティヤ ールが
本人役で共演」

ギヨーム・カネの監督・主演ですから、
彼の作品と言っていいでしょう。
いわゆる「中年の危機」もので、
上の紹介だと、「ダサい男」を脱するために、
と読めますが、ポイントは、年齢、
つまり、若さの喪失です。
自分が、若い女の子たちの「対象」から除外されていることを知り、
いやそんなはずはない、
そんなはずじゃなかった、
今からでも取り返すぞ!
と張り切るお話です。

序盤はテンポよく、
自虐ネタを連発しながら、好調に進みます。が、
中盤はやや重く、
その後はややブラックな様相を呈し、
終盤は、ブラックではなかったことを示す展開です。
(いや、ここまで全体がブラックのつもりかも??)

そして実はパートナーのマリオンにも、
ややしつこい感じの性格設定がなされていて、
虚実の間の境界線を見えなくする、
という意味では成功しているのでしょうが、
そもそもの問題は、
この結末で解決されたことになるんでしょうか?
そうは感じませんでした。

わたしは一般に、
小説家が主人公の小説、
俳優や演出家が主役の芝居、
やはり俳優や監督が主役の映画に対して、
あまりいい印象がありません。
これらは概して、
内向きで、仲間受けで、
(たとえ自虐という形であっても)自己愛的になりがちだからです。
今回も、
ややその嫌いがあったように思いました。

*間違っているかもしれませんが……
ある場面で、あるアメリカ人が、
ギヨーム・カネのことを指して、
Froggy
という言葉を使っているように聞こえました。
これは、軽蔑的に「フランス人」を表す英語です。
日本語字幕では「フランス人」となってましたが、
自虐とはいえ、一瞬驚きました。

2018年2月3日土曜日

『1:54』

MFFF 9本目は、

『1:54』

を見てみました。

「ティム、16 歳。
社交的ではないが、優秀で、素晴らしい身体能力の持ち主だ。
学校でさまざまな嫌がらせを受け、
親友を失う事態に至ったティムは、
いじめのリーダー、ジェフに打ち勝って、
陸上の全国大会に出場することを目標にするが、
いじめグループからのプレッシャーや脅しは日に日に増していく」

https://www.youtube.com/watch?v=EJFDFJLzcyg

これはカナダ・ケベックを舞台にした映画で、
Yan England という監督にとっては、
最初の長編映画だとあります。
それにしてもこの映画、
観客を引き付ける力がすごい。
物語の中にどんどん引き込まれます。
上の紹介記事には、
途中から「スポーツもの」になっていくかのような印象を与えますが、
それはいい意味で裏切られます。
また、上ではただ「親友を失う」と書かれていますが、

******以下、ほんの少しネタばれます************

実はこの「親友」は、
ゲイなんです。
そして主人公のティムもまた。

まったく無駄を感じさせない、
緊張感が持続する映画でした。
ただ、この映画について何かを書くと、
みんなネタバレになってしまうので、
書くのがためらわれるんですが、
1つだけ。
弱さ、ずるさ、身勝手さなどを描かなければ、
人間を描くことはできないわけですが、
この監督は、頭ではなく、内臓において、
それを知っているのだろうと感じました。

*1か所、日本語字幕が間違っているようです。
壁に貼られた2012年の新聞があるのですが、
その見出しの訳です。
1位と2位の人物が、逆だと思われます。
(2011年ではなく、2012年のほう。)

*ジェニファーを演じているソフィー・ネリスは、
かつて『ぼくたちのムッシュ・ラザール』(Monsieur Lazhar)にも
出ていました。

*主人公ティムのファミリー・ネームは「フォルタン」。
これって、学生時代に教わった、
カナダ人の先生の名前と同じ。
で、ちょっと調べてみたら、
この Fortin という名前は、
「ケベックで多い名前」の第9位でした。

www.stat.gouv.qc.ca/statistiques/population-demographie/caracteristiques/noms_famille_1000.htm

知りませんでした!